自己受容の前に

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感情

こんにちは!幸せマンです。
今回は、「自己受容」をするための話です。「自己受容」をしなさい!と言われ、いきなり自分の嫌な部分を含めて受け入れてくださいというものは、なかなかに難しいものなのでは無いか?と思いましたので、今回はそんな、自分を受け入れる「自己受容」をする前のクッションになるような話しに出来ればと思いました。

では、早速いきましょう!

自己受容


私達は、自分自身を知る事が出来れば、気持ちが上向いていきます。自分を受け入れる事が出来れば、徐々にではありますが、陰鬱な気持ちを抱えていらっしゃる方もその気持ちが晴れていくんです。
自分のありのままを受け入れる。これが「自己受容」という名で知れ渡っています。

ですが、この「自己受容」の過程には、切っても切り離せない、それでいて最大の関門である、「自分の本当に嫌だと思う部分」も受け入れなければなりません。

これが本当に辛く、苦しいものであった事は、私自身も実感しています。
しかしひとつずつ受け入れた先には、少しずつ気持ちが楽になる明るい毎日が待っていた事もまた、実感しています。

「自分の本当に嫌だと思う部分」を受け入れる事ができた時、どうして気持ちが晴れるのかというと、
その嫌な部分が「自分にとっての」嫌なものでは無くなっていくからです。

「嫌だな」と拒絶してしまうような気持ちを抱く事が、自分自身の手でもって自分を傷つけたり、苦しめたりするんです。

ところが、この嫌だと思う部分を自分が認めてあげた時、
「私には確かにこういう所があるけど、これも私の一部なんだ」と思えるようになります。

ひとつひとつ受け入れていくと、どんどん良い方向に向かっていきます。
心に余裕が出来始めるんです。その余裕が顕著な形で現れるのが「怒り」です。
例えば
今、どうしても苛立ちが押さえられないという場合は、その人が怒りっぽいのでは無く、心に余裕が持てないほどの我慢をしてしまった結果であると、私の経験上そのように感じています。
私自身が、悩みに悩んだ時はほとんど毎日のように怒っていました。怒っている理由が自分でも良く分からない日もかなりありました。

ですが心に余裕が出来れば、怒る理由もなくなるんです。

とはいえ、この「自己受容」自体の難易度が高いと感じています。
誰だって自分の嫌なところは見たくないものです。

ですので、今回はこの自己受容のクッションになるようなものをご紹介できればと思いました。

私達「人間」という生き物


私達は「人間」として生まれ、沢山の方や様々な環境と関わり合いながら成長し、今を生きています。多くの情報に触れながらその恩恵を受け、反対に、その情報に振り回されてしまう事もあります。
この人間という生き物は、圧倒的な頭の良さを持って生態系の頂点に君臨しながらも、
依然として不安を抱えやすいです。

その不安を埋めようと、何とか完璧にこなそうとしますが、しばしば失敗もします。
また、とても頭がいいので、想像力でその不安や失敗の穴埋めをしようとしてしまいます。
「こうだったらいいのに」
「あれが無ければ」

と、沢山頭で考えてしまいます。

ですが、頭で考えてその穴埋めをしても実際には起きません。過去に起きたことは私達にはどうする事も出来ません。
そうしてその実際に起きなかった事に対して、再び不安を抱えてしまいます。

本当はこうありたいのに、よく失敗し、不安を抱え、悩みます。

少し厳しい話になってしまいました。申し訳ありません。

しかし、これが「人間」です。
私達は天使でも悪魔でもなく、「人間」なんです。

完璧にはなれない


私達は全知全能の神でも、善行を続ける天使でも、悪行を繰り返す悪魔でもありません。

完璧にはなれないし、よく間違えるのが人間です。
しかし、裏を返せば「誰であっても完璧じゃ無い」ということも見えてきます。

心の仕組みを知るほど、脳の仕組みを知るほど、完璧とは程遠いものを持っているのが私達だということが分かります。
「よく間違える」仕組みを駆使して、全人類が生活しているんです。

よく間違えるのが基本の私達なら、完璧にはなれない事に苦しむんじゃなくて、
「完璧じゃなくてもいいんだ」と認めてあげることが大切なんです。

「人間はよく間違える」という前提を持つ事が出来れば、自分を蔑む必要も、誰かを罵る必要も小さいものから次第に無くなっていきます。

失敗したなら、その失敗を悔い続けるのではなくて、「今からなにができるかな?」
嫌な部分があるのなら、嫌だなと思い続けるのではなくて「じゃあ、これからどうしようかな?」

間違っていいんです。また、始めればいいんです。

人は誰かに対し、「反省しろ!」と言ったりしますが、私達のやってきた反省って「落ち込んでてください」に近いですよね。本当に必要なのは落ち込むことを強要するのではなく、その人が失敗から考え、また立ち上がれる「これからどうする?」と考える力と解決する力を選択肢として増やしてあげる事なんじゃないかと思うんです。

間違ってはならない、完璧でなければならないという前提があると、嫌な部分はとても強く自分自身を傷つけてきます。
しかし、間違っても良い、完璧でなくてもいいという前提があれば、自分を受け入れる「自己受容」の後押しをしてくれるものだと感じています。

こんな話をした後で、申し訳ないんですが、
私自身が私のことを全て分かっているわけでは無いんです。実際に今でも
「こんな事があると、私は不快感を抱くんだな。」という事に出会ったりします。

ただ、それ以上に受け入れられた部分が多く、またその噛み砕き方もどんどん上手くなっています。それがまた私の自信となり、支えにもなっています。
そんな自分に驚かされつつも、それもまた私なんだ、とすんなり受け入れる事が出来ています。

また、そんな不快感を抱くような事柄は、今ではそう多くはありません。というより、滅多に出会いません。私も道半ばではありますが、少しずつ変化している事もまた事実なんです。

不完全でよく間違う私達人間を認めた先には、完璧を求めていた頃には想像も出来なかった気持ちの良い日々が待っています。

今日のあなたの一日が「人間はよく間違う」という事を足がかりに「自己受容」する一日である事を願って。
読んでいただきありがとうございます!!

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