意欲が湧かない理由~意欲の源泉を脳から見てみる~

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感情

今回は、意欲が湧かないその理由と、意欲が湧いて「やってみるか」となる方法についてご紹介します。何かをやる気持ちが湧いてこないのは理由があるんです。意欲について脳の仕組みから簡単に説明できればと思います。

では、早速いきましょう!

意欲が湧かない時、意欲が削がれる時


目の前のやった方が良い事、やらなければならない事に対して、後もう一歩気持ちが足らず結局やらず終い、なんて事が良くあります。
私達は「やらなきゃ」という思いはあるものの、「明日でも間に合う」だったりという誘惑に気持ちに負けてしまいます。これが意欲やヤル気が湧かない状態です。

私達の脳の仕組み上、正直このやり方には無理があるんです。
「意欲、ヤル気」というものが湧くよう、奮い立つ様に行動していくのは、最初の一歩としてはかなり難易度が高いです。

また、誰かの何気ない一言から気持ちが落ち込み「もうやりたくない!」と思った事は誰しもが経験しています。最初はやるつもりだったけど批判されたり、上手くいかないとヤル気が出なくなります。
これが意欲やヤル気を削がれてしまった状態です。

この「意欲やヤル気が削がれてしまった」という過程に、私達の「意欲」がなんなのかが表れています。

意欲が削がれるのはなぜか?


私達は、ある規則性をもって意欲というものを感じています。規則正しく脳の仕組みとして意欲は湧くんです。どういう事かというと、誰かに何かを言われた事が私達の感情に作用し、心拍数が上がったり、呼吸が変化したりと身体に作用し、やるかやらないかの行動に作用しています。ちょっと分かりにくいのでもっと詳しく見ていきます。

過程に分けると、
「五感によるきっかけ」があって始めて、
「感情」が動き、
「身体」にその気持ちの反応が起きて、
「やりたいやりたくない」に出ています。

つまり、「きっかけ」が先で「感情や欲求」が後なんです
私達が、意欲が湧かないと感じているときには「やらなければならない事」に対して、きっかけをすっ飛ばして、その気持ちが伴っていない状態なのに何とか気持ちを奮い立たせようとし、その結果、行動に起こせず毎回失敗しています。

意欲は起こそうとして起きるものでは無く、起こるべくして起きているんです。

この説明で何が言いたいのかと言うと、私達が日常生活において「意欲が湧くようなきっかけが、圧倒的に足りていない」、という事です。

きっかけを得るために


行動に移せる時、私達は大抵の場合、最初に「きっかけ」があったから、明確にやりたい事、やらなければいけない事が見つかっているんです。そのやりたい事が強ければ強いほど、「面倒だけどやるか!」もしくは「やりたい」となります。

つまりは、私達は「やりたい」というきっかけが得られていないがために、意欲が湧かないんです。
このきっかけを与えてくれるものはいつだって「五感による経験」です。
五感による良いきっかけになる良い体験が少ないために、意欲が湧かないんです。
いえむしろ、少ないのでは無く、「少なくなるよう努めている」といった方が的確かもしれません。

目で見て
耳で聞いて
肌で触って
においを嗅いで
味わって

五感による日々の経験を噛み締めていない事、まるで当たり前になっている事が「意欲」が湧かない最大の理由だと感じています。

例えば、
目の前にある物をしっかり見てみるんです。まるで初めて見たように、しっかりとです。すると目の前にずっとあったPCのボタンの配置や形だったり、スマホの四つ角は尖っているのか丸いのか?を改めて見てみると、意外と分かっていなかったりします。

また、スマホの角がなんとなく丸みを帯びているのは知っているけど、よくよく見てみると「あれ?こんなところに傷が」となります。私達はこんな些細な事でも見ているようで見ていません。

加えて、ありがたい事に今この記事を見ていただいていますが、これも見るという経験です。何かのきっかけになってくれれば幸いですが、そうでない方も沢山おられると思います。
しかし、これもまた「見たこと」が「この意見は合う、合わない」のきっかけになり、「次も見よう、もういいや」の気持ちが動き、実際に「見る、見ない」の行動をします。

目でご自分の好ましい意見や出来事を見て、耳から好きな音楽を聴いて、さわり心地の良いものを触って、良いにおいを嗅いで、おいしいものを沢山味わって、そうして「意欲」は湧き、行動したくなります。

これら五感による経験は感じようと思った時、より沢山の情報を与えてくれます。
私達はその経験を感じようとしなくなったがために、さして意味の無いものに感じているんです。実は「きっかけ」はそこら中に落ちています。

その「やらなければならない事」は「やりきる」だけのきっかけが足りないだけなんです。

きっかけが得られたなら


きっかけが得られると
仕事で言えば、その達成したこと自体が出来た事に対する「見た事、聞いた事」という五感による経験です。そしてそれは心地よさや達成感を生み出します。

その達成感から次のやりたいという気持ちが生まれ、再び行動する事が出来ます。
きっかけなしより遥かに動きやすいです。

五感によるきっかけ→感情や欲求→行動→行動した事への達成感(きっかけ)
この一連のプロセスが、私達が「意欲、ヤル気、モチベーション」と呼んでいるものです。
つまり意欲とは、五感による経験からなる達成感を味わった結果、言葉が使えるようになった私達が作り出した「一連の行動過程と結果」なんです。

私達は、頭だけ使って何とか「頑張ろう」だとか「やれる」などと考えてしまいますが、脳の仕組みから見ると、本来五感による感覚的経験があって初めて感情が動き、行動したくなります。

まずは、五感でめいいっぱい感じて、その「きっかけ」を得ることが大切です。

つまり、私達が意欲なる一連のプロセスを起動するためには、外側から得る新たな「きっかけ」をいくらか持ってきてやることが大切なんです。例えば、動物同士の助け合いの動画などを見ると、なんだか温かい気持ちになります。これもまた「暖かい気持ちを抱けるようなきっかけ」があってこそです。

努力はそもそもネガティブな行為


「きっかけ」によってそこからの行動が決まる事を説明してきましたが、ここでもう1つだけ抑えておきたい考え方があります。
それが、「努力」です。
努力と言う言葉を私達が使う時はどういう時でしょう?

例えば、
「努力が足りなかった」
「努力したから○○出来た」といいますが、

よくよく考えてみると、この「努力」という言葉には「目標達成のためにする嫌な事」のようなニュアンスが含まれています。

大会で良い成績を残すために「努力」したというのは、辛い練習を乗り越えた事を「努力」といっています。
とするなら、「努力しろ!」などの誰かに対して言う時、「嫌な事をしろ!」といっているのと変わらないと思うんです。

つまり「努力」と言う言葉は結構ネガティブな要素が強いんじゃないか?って思っています。

そのネガティブな「努力」をこなすためには、やっぱり「きっかけ」があるものです。
以前の大会で優勝した人の姿を見て、「いつか自分もあの場所に立ちたい」という大きな「きっかけ」があるんです。

「努力」をするためには「意欲」が必要で、「意欲」を湧かせるためには「きっかけ」が必要なんです。

極論、日々我慢をして力を出す「努力」をする人より、やりたいと思うような「きっかけ」に出会い、進んでいる人の方が圧倒的に楽しんでいるし、心の負担は小さいと感じています。むしろ楽しんでいる時は、その「努力」を「努力」と感じていない状態にあるんです。誰かにとって嫌な事はその人にとって嫌な事じゃないから続くんです。つまりその人は「努力している」んじゃなくて、「楽しんでいる」んです。そういう見方をすると、おそらく楽しんでいる人は努力していなくて、ただ好奇心のまま走り出しているんだと感じます。

きっかけはそこら中に


「きっかけ」は何だって良いんです。あなたが心動かされるような何かはそこら中にあります。気付かないだけなので、見ようとすればいくらだってあるんです。

人はしばしば「能動的であれ!」と言います。しかし、私達が能動的であれる時には、その少し前に「受動的な態度」があることも忘れてはならないと思います。つまり何らかのきっかけとなる情報の受け入れが、私達を駆り立てるんです。受動と能動のバランスが保たれている時、いろんな意見に出会いつつも、行動できるような状態の要(かなめ)なのだと思います。

私がブログで記事を書こうと思ったのは、誰かを直接変える事はできなくても、誰かのきっかけになれるなら是非なりたいと思ったからです。私じゃなくても、これをきっかけに他の方の記事を見るでも全然良いんです。それで何か得られたのなら、私からじゃなくても心から「良かったね」と思えます。

私自身の心が様変わりしたのは、間違いなく「きっかけ」があったからです。穿った見方かもしれませんが、悩み苦しんだからこそ「どうしても前へ進みたい」と思えたように感じています。

「意欲」というものは「きっかけ」ありきです。まずは五感で感じる事が大切です。

今日のこの記事があなたの何かしらの「意欲のきっかけ」になる事を願って。
読んでいただきありがとうございます!!

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