脳の統一理論「自由エネルギー原理」について~私達の脳は常に予測し、誤差を埋めようとする~

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感情

こんにちは!幸せマンです。


今回は、現在脳神経科学において最もホットな話題の一つともいえるであろう「自由エネルギー原理」についてのお話です。着々と様々な検証がなされ、脳科学のみならず他分野でも注目を集めている原理です。この原理は脳のあれこれへの説明可能性を秘めていると感じましたので、ご紹介していきます。特に後半は、人によっては納得するし、人によっては「マジすか」って思うような、人の「バイアス」にも深く関わっているであろう話へと展開していきます。

では、早速いきましょう!

脳のフシギ


脳は極々単純に見た場合、細胞の集まりです。
そんな細胞の集まりであるにも関わらず、目の前にあるものを感じたり、思考したり、記憶したり、感情を持ったり、といろんなことが出来てしまうし、
意識によって自分自身を認識し、また「私」の自覚、「あなた」の認識なども出来ます。

細胞たちがどうしてここまで沢山の機能を備えたのか?についてはまだまだその全容は把握しきれません。
しかし近年、脳神経科学は勿論、生物学、情報科学、哲学など、様々な分野で大きな影響を与えている原理があります。
まさしくそれが「自由エネルギー原理」です。
この原理は、今最もホットな脳の統一理論として、とっても注目されています。

脳は科学されてきた


1906年。ゴルジさんとカハールさんという全く正反対の立場を取る二人から、脳の神経細胞が発見され、
1950年代には、脳を電気刺激することで直接、脳神経の活動と働きを観察
1990年代には、MRIの発明によって、脳を損傷させることなく、その活動を可視化することに成功しました。
その後も様々な理論や原理(基本法則)の確立であったり、検証(実際に調べてみようという実験)と実証(それが確かであることを証明しようとする実験)がなされてきています。

脳は科学として研究されてきていますが、
その中でも今最も熱い原理として注目されているのが、カール・フリストンさんによる「自由エネルギー原理」です。

自由エネルギー原理ってなんなの?


「自由エネルギー原理」は2006年にカール・フリストンさんによって提唱された原理(根本法則)です。
その原理が徐々に浸透し、かつ多くの科学者さんから支持を集め、結果カール・フリストンさんは2016年に「最も影響力のある脳神経科学者(脳神経科学者ランキング1位)」と言われる人物になりました。

じゃあ、その肝心の「自由エネルギー原理」って何なの?って話ですが、
ものすごく簡単に言えば
「脳は常に次に起こることを予測している。また、その際の予測に誤差があった場合は、その誤差を最も小さくできるように働く。それも数学的で統計的な方法によって。」
という事です。

おそらくこの説明だとピンとこないと思いますが、もう少し掘り下げると、「こりゃ、とんでもない原理なんじゃないか!?」って思う人も少なくないと思います。

自由エネルギー原理は「統一的にみた時に脳が出す結果」の基本法則


脳には確かに、個々の機能が発揮される個別の脳分野、脳領域があります。

前頭前野では判断と抑制や、信念のようなものを保持するなど、
また、前頭葉後部では運動に関する指令、
扁桃体では感情にまつわる色々を、海馬では記憶の大きな部分を、

と言ったように脳の部位によってその機能が分かれています。

その一方で、
「自由エネルギー原理」はもう少し統一的な神経活動に対して言及していると言えると思います。

例えるならば、
個々の脳部位の、更に細かな神経活動を「入口」とした場合、「自由エネルギー原理」は「(脳が統一的な機能を持つ場所に対する原則としての)出口」の話です。

入口と出口があって、その中身である迷路の部分はよく分からないことがたくさんあるけど、確かに脳が統合されて働いた結果、「(統一して機能する部位としての)出口ではこういった結果が残るよ!」っていうものです。

自由エネルギー原理が、さらなる発展を遂げることが出来れば、出口から迷路の中身の今まで分からなかった事まで観えてくるんじゃないかな?という期待があります。

実際、最近では発達障害や精神疾患なども説明できそうであるとフリストンさんは言っていて、その中身を見れば確かに今までの検証や実証内容との整合性が取れるところが、多々見受けられます。

さて、「自由エネルギー原理」の大まかな説明をしたところなので、今度はもう少し具体的な話をしていきます。

予測~私達の脳は予測せずにはいられない~


私達は五感によって、自分の外側の環境を知覚します。
見て、聞いて、触って、嗅いで、味わう。

自分の外側では何が起きているんだろう?と、私達は五感でもって「感じる」ことが出来ます。

さて、私達が知覚を試みる際、私達は予測を「事前に、前もって」試みています。
私達は、私達の脳は「予測せずにはいられない」と言えます。
つまり、私達には信念や価値観、または無意識的な(意識できない)神経活動によって、何らかの想定、予測、推論を行っています。

例えば、
・相手がいれば、その相手の表情やしぐさから気持ちを予測する。
・コーヒーを飲む時、その味を予測する。

など、日常的に事前予測をしています。

しかしここで、「いやいや!そうでもない時ってない?」って感じた方もいると思います。
突発的になにかが起きた時には、それに対しての予測はしていないんじゃないか?などのご意見があるかと思います。

これについては、私達が違うことに対して予測を行っている。と言えるんじゃないかと思います。
例えば
・今日は晴れるって聞いていたのに、突然雨が降った。
・コーヒーだと思ったら、コーラだった。

などが起きた際に、前もってされていた予測は、
「今日が晴れだろう、ということ」と「それがコーヒーだろう、ということ」です。

または、

・仕事や家事をこなしていたら、突然後ろで大きな音が鳴った。

のような時って、仕事や家事のことを考えているか、もしくは「今日の晩御飯はなににしよう?」のようなことを考えているんじゃないかと思います。そんな時に後ろで大きな音が鳴れば、まず間違いなくビックリしますよね。

予測が外れたからこそ、その予測の枠から外れるような予測外の事が起きたからこそ、私達は「驚く」のです。
私達はそういった時に、すぐさまその差異に気付き、再びそれについての予測を行います。

予測と予測誤差~私達は予測の誤差を埋めたくなる~


では、常々予測をしている私達ですが、当然この予測に関しては、当たる時もあれば、外れる時があるわけです。

予測が当たった場合は、そのままでいいなと判断する私達ですが、
とりわけ予測が外れた場合には、「予測誤差」が発生します。
つまりは、予測と実際の「ギャップ」がある状態です。

この時の状態を「自由エネルギー原理」によって説明を加えるとすると、「予測と予測誤差を統計的手法で最小化することで、そこに発生するコストを抑える(エネルギー最小化)働きがある」としています。

要は、
私達は、と言うか私達の脳はその「ギャップ」を埋められないか?(最小化できないか?)と考えたくなりますよ、と言う事です。
もっと簡単に言ったら「違和感を埋めたい」と思うってことです。

先ほどの例で言えば、コーヒーがコーラだったらすごくびっくりします。
そのびっくりした後即座に、「え!?マズい!何が起きたんだろう?」と考える
と思います。
余談ですが実際コーヒーとコーラを間違える、もしくは誰かにいたずらで差し替えられると、「コーヒーが腐ってる!!」なんて感じるみたいです。笑

さて、私達は予測と実際のギャップを埋めるために、再び予測を立てる、と言いましたが、今度はその予測の立て方について見ていきます。

脳はそのギャップを埋める時、統計的手法を取る


さて、ここでは脳の予測の埋め方についてですが、その前に少しおさらいします。
【脳は常に予測をしながら活動している。そのため時々、あるいは頻繁にその予測に対しての実際との「ギャップ」。つまりは「予測誤差」が発生する。
そしてすぐさま、その時々で発生した「予測誤差(ギャップ)」を埋めたい!違和感を埋めたい!と感じる。

のが私達です。という話をしてきました。

さて、ここからはその【私達の脳の「ギャップ」の埋め方】についての話です。
私達はこの予測と実際の間に生まれた「ギャップ」を埋める時、どうも「統計っぽい手法」を知らず知らずの内に用いているようです。

まず予測を立てる際、私達は
「事前の価値観や経験。それに信念などからなる予測」を立てます。

この時、その予測と実際の間に「ギャップ」が生じた。とします。

するとすぐさま以下のような「ギャップを埋めるため」の修正作業(次の予測と推論)を始めます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

1、「何が起きたのか?」を確認し、初期確立を頭の中で出します。
【なんでこんな事が起きた!?普段からこんな事あったっけ?どのくらいあったっけ?】

2、その初期確立のもっともらしさ、尤度(ゆうど)はどの程度か?
【過去にこんな事がよくあったな! or 過去にこんな事は一度もなかった!…ってことは!】

3、初期確立ともっともらしさを照らし合わせる。
【普段からこんな事があったなら今回もそうかもしれない! or 普段こんなこと無かったから別の何かかもしれない・・・。】

4、3の結論から「ギャップ」の原因を確信する(予測誤差が埋まるもっともらしい推論がなされた)。もしくは「ギャップ」の原因として合致しないので、1~3の情報も含めて再度考え直す(予測誤差が埋まるもっともらしい推論が得られなかったため、再検討)。
【原因はこれだ!だからこんな事が起きた! or 原因はこれじゃないようだ。これも含めてもう一回何が起きたか考えよう。】

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

つまりは、
「ギャップ」を埋める初期確立と、そのもっともらしさを照らし合わせながら、原因を追究】する作業を繰り返すことで、その「ギャップ」を埋めようと模索します。

では、またまた先ほどの例である、
「コーヒーかと思ったら、コーラだった。」場合をこの予測システムから考えると、このようになるかと思います。

例えば、Aさんがコーヒーを飲もうとした場合、
先ず
「目の前のコーヒーを飲もう。」と考えたはずです。
つまりこの時、目の前にある飲み物がコーヒーであると予測しています。しかし、その飲み物は「コーヒーではなく、コーラ」だったとします。

そして実際に口に含んだ際、その事前に予測していた味とは大きく違っているので、ここで強烈な「予測誤差(ギャップ)」が生まれると思います。

更に続けてAさんは、
1、え!?味がおかしい!?とってもマズい!!今まで味わった事のない味だ!
2、今まで味わったことがないってことは、もしかすると「腐ってる!?」
3、今まで味わったことが無いし、おそらく腐っているとみて間違いないんじゃないか!?
4、うん、間違いない!こりゃあ、腐ってる!!

と言ったように、予測誤差を埋めようとするはずです。

おそらくここから、消費期限の確認や、銘柄の確認を混乱しながらすると思います。笑

さて、ここまで話を纏めるとこうなるかと思います。
「脳は常々予測している。しかし予測が外れた場合、そのギャップを埋めたいと感じる。なので、過去を遡ってそのギャップを埋める原因は無いか探しつつ、それがもっともらしい(妥当)かどうかを判断し、妥当でなければ再予測をする。」

このような「予測のギャップを埋める、次の予測」をする事によって私達はその「ギャップ」を埋めようと試みます。

さて、ここで重要な話をしたいと思います。

先ほど私達の予測システムは「統計っぽい手法」だよ、と言いましたがこれはあくまで「っぽい」という事です。

再びコーヒーの話に戻して、
「コーヒーが腐っている」と確信したAさんは、「消費期限や銘柄の確認」をします。でも、どうにも消費期限も全然切れてないし、銘柄もいつものだ。と再び予測とのギャップが生まれます。

もしかするとここでも、「この消費期限の表記がインチキかもしれない。」と結論付けて、ちょっとした怒りや驚きのようなものを感じさえするかもしれません。

さあ!種明かしの時間です!笑
後ろからひょいっとBさんがやってきて凄く楽しそうに笑っています。
ここでBさんが一言
「おいしかった?笑」などと言います。

Aさんは、Bさんのその表情やしぐさ、そしてその発言を見たり聞いたりしながら、すぐさま再び予測誤差を埋めるべく、必死で考えます。
そうして出た答えは
「え?・・・なんかコーヒーに入れた・・・?」

Bさんは更に大爆笑して
「いやいや!これだよこれ!」と言いながら、コーラのペットボトルを目の前に置きます。
Aさんはここでも、新たな情報が手に入ったので再予測します。そして「答え」に至ります。
「あ・・・。」
「・・・この野郎!ふざけんな!!笑」

さて、この例え話で何が言いたいかと言うと、「予測と予測誤差を埋めるための推論を常にしている。」と言うことと、このプロセスは「厳密な意味での統計的手法ではありません。」と言うことです。
というか手法は統計なんだけど、「その参照しているデータが、経験に依存する」んだよ、と言った方が適切かもしれません。

つまり
私達は、自分の経験からなる価値観、信念などでそのもっともらしさを埋めようとしますが、その経験がない場合などに、あまり適切ではないかもしれない結論を導き出す可能性があるという事です。
つまり、経験の中にないような誤差(ギャップ)を感じた時、場合によってはトンチキな答えを導き出しさえするという事です。

要は、
ギャップを埋める作業は、良くも悪くも「ギャップが埋まればそれで良い」という側面があるんです。

僕らはよく間違える


私も含めた人間は、控えめに見ても「よく間違える」生き物です。

自分の中にある予測(経験、信念、価値観、無意識的な意見からなる)は、結構な頻度で誤り(実際とは違うような予測)に出くわします。

最近は「バイアス」が、かなり多くの人に認知されてきているのかなと思うんですが、
私達の考えから生み出されるいくらかの結論は、「修正しようと考えなければ、なかなかに思い違うし、勘違いする」のがどうも私達のようですよね。

特に私達が持つバイアスで、最も有名なものの一つに
「確証バイアス」があります。

簡単に言えば
【信じたいものを信じ、信じたくないものを信じない】という、なんとも耳が痛くなるバイアスです。

このような「バイアス」と、自由エネルギー原理による予測システム(エネルギー最小化)を紐づけて考えた時、私達は、
その予測が各々の主観的な妥当性(わたしはこれがもっともらしいと思う)に依存するような側面が非常に強いということです。
とすれば、間違った予測をしちゃうのは至極当然なことなんだと思ったりもします。

でもそうはいっても、予測せずにはいられないのが私達でもあって、次から次へと予測と、予測誤差を埋めるための予測をするほかないということも見えてきます。
つまり、「予測しなければいいんだ!」がおそらくできません。
何の予測もしない場合、私達はそれと同時に何の活動も出来なくなる可能性が高いと思います。

ただ、逆に言えばそれを含めた思考の修正も出来るんじゃないか?とも思いました。
端的に言えば、
「予測を一旦保留して、勘違いが無いかを確認する」と言うことです。

つまり、
予測をするほかなく、かつ予測誤差を最小エネルギーで埋めたい私達(自分の価値観による納得感を、私達はもっともらしいと感じる)。ということを認識した上で、あえてその自分自身の思考を吟味してみる。【今私はこう思ったけど、実際はどうなんだろう?その最小化された結論は本当に実際と合っているのか確かめてみよう。】といくらかの一般的な意見や、信憑性の高い科学的なデータを参照してみる。ことが、場合によっては必要なんだと思います。

予測していることを予測(自覚)することで、実際により寄り添った形でギャップが埋められるかもしれません。

もしくは、世の中の良い事や悪い事について
「たいていの事柄には、表面的な事柄とその事情(表面的でない事柄)がある。また、表として見えていることもごく一部のオモテである。いろんな事情が複雑に絡み合った結果、その一部のオモテが見えているだけであって、そこに至るまでの様々ないきさつがあるんじゃなかろうか?」

などなどです。
上記はあくまで一例です。

今回、「自由エネルギー原理」をとっても大まかな流れの基、見てきました。
もっと細かく見ていけば、「自由エネルギー原理」は更に、
知覚や、気付くこと、意思決定や、運動など、様々な組織体(統合して働く機能)でも「エネルギー最小化のための働きがあるだろう」
と説明しています。

もし興味がある方は自由エネルギー原理の本を読まれるとよいかと思います。

因みに、デンマークのコペンハーゲン大学で行われ、つい最近の2023年9月22日、「Current Biology」に掲載された「クラゲに関する実験」で、
脳がない生物であっても高度な学習機能がある可能性が示されました。
クラゲ(ハコクラゲ)に「円柱状のシマシマ模様が書かれた水槽」に入ってもらいますクラゲはそのシマシマを「マングローブの根っこ」だと勘違いし、透明なガラスの部分をすり抜けようとして壁にぶつかります。(そのクラゲが住む場所では、マングローブの根っこの間に主食となる生物が住んでいるらしいため、積極的にすり抜けようとする。)

このような自然界にはない状態(クラゲからすれば、ガラスは何もないのにすり抜けられない状態)を作り上げ、その後どうなるのかを観察した結果、
実験開始から7.5分で壁にぶつかるのをやめたんです。
つまり、「通れないことを学習」したんです。しかも、この学習時間(7.5分)はより高度な脳を持つ生物と何ら遜色ないようです。

更にその研究を進めるため、クラゲの各所にある視覚情報を感知する器官「ロパリア(人間でいうところの目に当たる器官)」が学習したのではないか?という仮説のもと、今度はその部位単体での学習の様子を実験、観察しました。
その結果、「ロパリア」から回避信号が発せられます。つまりは続く実験においても「そのロパリア自体が、それ単体で、通れないことを学習」したんです。

本当に組織体(統合されて働く機能)それ自体が、経験による学習機能(予測と予測誤差の最小化機能)を有しているかもしれません。

今日のあなたの一日が「予測と予測誤差による仕組み」を知る一日であることを願って。
読んでいただきありがとうございます!!

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