自分のことは自分で決めたい心理~心理的リアクタンス~

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人間関係

今回は、私達には自分のことは自分で決めたいという欲求がある、と言うものをご紹介します。誰かを変えたいという気持ちは、時にその誰かを傷つけてしまうこともあります。

では、早速いきましょう!

自分の事は自分で決めたい「心理的リアクタンス」


私達は、誰かからのお勧めされたり、強制されたり、強要されたりした際に反発する気持ちを本質的に抱くように出来ています。

例えば
別の仕事をこなしている際に、上司から「今時間あるか?あれやっといて!」といわれた時、一瞬ウッ!と身構えてしまう事ってあると思うんです。これは実際に、時間に余裕があろうが無かろうが起きます。
その後、私達は一考して「う~ん。仕方ないやるか…。」と取組み始めます。

また、あらかじめ今日やろうとしていた仕事を、ちょうど上司から「あれやっといて!」と言われた場合でも、「言われなくてもやろうと思ってましたよ!」と少なからず思ってしまう事もあります。

これはとても自然な反応で、誰しも起こる事なんです。
私達は「自分の事は自分で決めたい」という欲求があり、誰かに強制、推薦されたことに少しばかり反発を起こす心理を持っています。そしてこれを「心理的リアクタンス」といいます。

そうは言っても、自分で決めたくなくて「誰かに決めてもらいたい。私は引っ張っていってもらいたい!!」そんな気持ちの方もおられると思います。しかし、この気持ちをよ~く考えてみると
「誰かに決めてもらいたい」ということ自体をご自分の意思によって決めているんです。

この心理は「自分がそうだと決めた事柄」に対する意思に、反するか反さないかで作用しています。
なので、この場合は「決めてもらいたい」という意思に、決めてくれない事が反するので、引っ張ってもらえない場合には、心の奥底では「反発」が起きているんです。

表に出すかは別として、私達は自分の意思に反する意見に少なからず心の中では反発が起きています。
これは、私達が本質的に自由でありたいという欲求なのかも知れません。

では、私達はこの「心理的リアクタンス」に対処する方法があるのでしょうか?

「心理的リアクタンス」自分への対処


結論から言うと、この心理に対処する方法があります。
その方法とは「自分にとって、それが前に進めるものかどうか、一旦考える」事です。これだけ聞くとなんだそれ?ってなると思うので具体的に説明していきます。

例えば、
とある友人から「この本がお勧めでさ、読んでみてよ!」といわれた場合、上で見てきたとおり、まさに予測どおりに私達は「う~ん」と、どちらかといえば読みたくない方に気持ちが傾きますね。笑

その時に、一旦考えて見るんです。
「実際、その本は私に必要なのかな?その本の何が気に入って私に勧めているんだろう?」
こう考えてみるんです。前に進めそう、自分の為になりそうと思ったら読んでみて、特に必要なさそうだったら、断っても良いわけです。あくまでお勧めで「読まなければいけないもの」では無いですから。

大切な人の場合はこれで良いと感じますが、たとえば、よく来るメルマガなどにこんなことやっていたらキリがありません。
なので、判断基準は「自分がそれによって前を向けるかどうか」です。
必要そうならやってみる。前を向けそうならやってみる。いらなければ、お断りやスルーしても良いものです。ただそれだけです。

そうはいっても、やっぱり相手の反応が気になる、という方はアドラー心理学に課題の分離というものがあります。私達の意見で相手がどう思うかは全くコントロールできないので、私達は私達のしたいように自分を、相手を「思いやって」いけばいいんです。

自分に対しては「前に進めそうか?」で考える事でより気楽に選択できますが、反対に誰かに対してこの心理を抱かせないような気持ちの良い伝え方をするにはどうしたら良いでしょう?

「心理的リアクタンス」誰かへの対応


誰かに何かを伝える際にも、その誰かの意思に反する場合は、この心理が働きます。
この伝え方に関しては、個人的に良いなと思っているものをご紹介します。
結論から言うと「気づいてもらう」事です。やっぱりこれだけ聞くと、訳が分からないと思いますので説明していきます。

例えば、仕事にて
今日は大事なミーティング。打ち合わせ場所に集合する事になっていました。上司のあなたは、大事なプレゼンだという事と、それになかなか来ない部下も相まって少し焦ってきました。部下は電話も出ないし、プレゼン資料は部下が持っているしで、あなたはとても困りました。
すると、ギリギリの時間で部下がやってきました。あなたは一言言っておきたい気持ちをグッとこらえ時間も無いので打ち合わせに向かいます。

打ち合わせは見事に上手くいきました。ですが、あなたはギリギリに来た部下に対し、どうしても一言言っておきたい気持ちが強くなっています。
その結果、次回の行動を直すために「どうしてあんなギリギリにきたんだ!もっと早く来い!」と、「強制」する形で言ってしまいました。
その後、おそらく部下は「…すいません。」と謝ります。

ギリギリにきた部下に対し、怒って次回の行動を直す様「強制」すると少なからず反発が起きます。この場合は「強制」では無く、「気付いてもらう」んです。

打合せが終わった時に
「今日のプレゼンは本当に良かった。ありがとう。君のプレゼンがあったからこそ、今回は上手くいったんだと思う。確かに今回は上手くいったが、正直君がいつ来るか不安だった。どうしてあんなに遅く来たんだ?」とあなたが言ってくれさえすれば、

部下はハッとして
「すいません!プレゼン内容に不備があってギリギリまで直していたんです!」
理由を言うだけの余地が生まれます。

そこから更にあなたが続けて
「そうだったんだな。頑張ってくれてありがとう。だからギリギリになったんだな。しかし、もし時間に間に合わなかったらお客様にも迷惑が掛かったかもしれない。今回のような事があったら次はどうしたら良いと思う?」と言えばきっと

部下は
「ああ!すいません!携帯もマナーモードで気付かなくて!次はこうならないように、何か不備があったらこちらから連絡するようにします!」

こうなってくれると思います。

今の伝え方は仕事でなくても、いろんな場面でお互いが良い気持ちになれます。
この話し方には基本構造があります。

その基本構造とは
「感謝→肯定→疑問」もしくは
「感謝→肯定→仮定」です。


私達のつながりをより一層強くしてくれる気持ちのいい伝え方です。

私達がこのひと手間を掛けるか掛けないかで、今後が大きく変わるまであります。
特に、やってもらったことに対し感謝と肯定をするのは、最重要です。私達が感謝や肯定をしなければ、きっと「せっかくやったのに」という思いは強くなります。

とはいえ、「そうはいっても肯定できない事だってあるでしょ?」という気持ちもあるかと思います。確かにその気持ちには一理あるとも思います。ただ、よくよく考えなおしてみると、相手にとっても「そういう考えに至った事情」は付きものです。その事情を先ずは聞いてみることで、お互いの認識の間のギャップが埋まる可能性が生じます。

気付いてもらう伝え方が、むしろ自分自身にも「気付かされる」機会を与えてくれます。

思い知らせるのでは無く、気付いてもらう。これが信頼関係の大切なポイントだと強く感じています。

また、日常生活においてのやるやらないは、基本的に受け手に決定権があると理解しておけば、断られても私達は嫌な気分にならないで済みます。

今日のあなたの一日が「前に進めるかどうか」を判断し、「お勧め」せず「気付いてもらう」一日である事を願って。
読んでいただきありがとうございます!!

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