噂話の性質

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人間関係

こんにちは!幸せマンです。
今回は噂話というものはどう発展し、どのように私達に影響しているか?また、その噂話に対しどのように対処していけば良いのかをご紹介します。

では、早速いきましょう!

噂はあっという間に広がる


私達の人間関係において、何度も耳にするであろう「噂話」。これはなかなかに難しい問題な上に、あっという間に広がります。

実際に、喧嘩のような言い合いがあった場合、本人たちはお互いにこう考えます。
「相手が何を考えているのか分からない」
「分からないけど、きっとこう考えているに違いない」

こうした気持ちを抱く事は至って自然な事です。
そして口論という事実に対し、この「こうに違いない」という個人の装飾が加わり噂話などに発展した場合、事実とは全く異なる形で、それもとんでもない速度で、更には加速しながら広がっていきます。「こうに違いない」は広がる際に「こんな事があったんです」になってしまうんです。

これにより、事実とは全く違う話が広まり、昨日までの信頼関係は一気に無くなってしまうなんて事が起きます。

例えば
誰かの発言が取り上げられた際、切り取られた「単語」による解釈が広がってしまい、本人の意図しない方向に発展してしまった、という事はよく起きます。
本来はその前後があって初めて全体の意味を成す言葉だったかもしれないのに、切り取って伝わったものを、またその人が自分なりの解釈をして広がっていきます。
つまり広がる際には「個人の意図が追加される」事が良く起きてしまうんです。
噂話は記憶の性質上、どんどん尾ヒレが付いてしまうものです。

私達の記憶の危うさ

私達の記憶は私達が思っている以上に曖昧なんです。というのも、
記憶は私達の脳から取り出される(思い出す)際に、少しずつ形を変える性質があるからです。

実例を挙げると
アメリカでDNAや指紋などの鑑定が導入され始めた時代。「冤罪を主張する人」にDNA鑑定を行った結果、目撃証人によって逮捕され、罪に問われた人の約4分の3もの人が人違いによって服役していたんです。冤罪を主張する人は、本当に冤罪だったんです。

これを知った時、私は結構な衝撃を受けました。
他人をパッと見ただけでは、その人だと断定するにあたって、私達の「記憶」はあまり宛にならないんです。
私達の意図しないところで記憶は形を変えていっています。

私達に出来る事


私達が第三者だった場合、噂話や本来の意味では無い情報に対して出来る事は、「その性質上、本来の意味ではない」事を知っておき、「事実からものを見る」事です。
「こうなんじゃないか?」は「こうに違いない!」とされてしまいがちです。
この「こうに違いない!」を「本当はどうなのだろう?」と自分の目で確かめる事が大切なのだと思います。
世界の情勢などについては、事実を知る事は難しく判断しにくいですが、私達の身の回りでおきる人間関係においては、実現可能なものです。

また、私達が当事者でも「事実からものを見る」事が出来ます。
私達の人間関係で、例えば誰かが一度裏切るような行為を働いたとします。
それ自体は良い事では無いし、「裏切り」として残るものだと思います。
しかし、その裏切りにも何らかの理由があるかもしれません。
もしかしたら私達自身が「こうに違いない!」の罠にハマり「裏切られたと思っていたが、理由を聞いてみたら違った」かもしれません。

この時私達が理由を聞き、「そういう考えがあったんだね」と理解する事は、プラスの面はあっても、マイナスの面がありません。

更に言えば、その行為が本当に悪意からのものだとしても、私達が向け続ける優しさを裏切り続ける事はほとんどの人にとって容易な事ではありません。

向けられ続ける優しさに、裏切った人は反省しこれから受けた優しさに報いたいと思うはずです。
ここで私達が見放してしまったなら、言い訳を身に付け、それが習慣となり得ます。
もしかしたら、もうしないよう懸命に努力していたかもしれないのに、私達がそれを出来なくしてしまうのは悲しい事だと思います。
何よりお互いにとって、得られたはずであろう信頼関係が失われた状態こそが、マイナスでしかないのだと思います。

それでも世の中には、人を何度も裏切るような方がおられます。そういった場合は、残念ながら距離を置くしかないのだと感じます。

噂話は、「噂」でしかありません。それに翻弄されるくらいなら、翻弄されない事実に向き合った方が良いと私は考えます。

今日のあなたの1日が「噂」に翻弄されない1日である事を願って。
読んでいただきありがとうございます!

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