「得たくば、真似よ」

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生き方

こんにちは!幸せマンです。
今回は、真似こそが私達を楽にしてくれ、強くしてくれる最強の武器です、という話をします。「誰かと一緒が嫌だ」「均質化が嫌だ」とお思いの方がいらっしゃると思います。ですが、誰かの真似をする事は必ずしも均質化すると言う事では無いんだよ、という事をご説明できればと思います。

では、早速いきましょう!

誰かと一緒が嫌


「誰かと一緒が嫌だ」という気持ちは多かれ少なかれ、誰しも持っているものだと思います。特別な何かを得たいと思っているものだと思います。
ところが、いざ自分の力でもって、何かを見つけたり、特別な思いを作り上げようと思っても、かなり難しいですよね。

それもそのはずで、何も無い「0の状態から1を作り上げること」は、ほとんど不可能だからです。私自身も、それを作り出そうと必死になっていた時がありましたが、「自分にとっての特別な何か」を作り出せる可能性はほとんど無かった事に気づきませんでした。実際に、当時の私からは何も生まれる事はありませんでした。

独自の何かを作り出すのはほとんど不可能です。というのは何の根拠も無く言っているわけでは無いんです。

ここから、それがどうしてなのかをご紹介していこうと思います。

私達の歴史は真似である


「0の状態から1を作り上げること」がほとんど不可能だといっているのには理由があります。
その理由とは
「人類史は誰かの真似の積み重ねと繰り返し」だからです。
これだけだと何の理由にもなっていないので、少し具体的に話を進めていきます。

地球からしてみれば、人類史はとても短いものですが、それでも農耕が始まってから約1万年以上もの歴史があります。これはとてつもなく長い歴史ですよね。

ところが、これだけ長い歴史を持ってしても、全く何も無い状態から発明されたものは、「ほとんど無い」んです。

何もない「0」の状態から作られたものを具体的に言うと「車輪」、「文字」や「火薬」など、数えられるほどしかありません。

例えば、
「文字」に関して言えば
文字が生まれた場所は世界でも、非常に少ないです。
間違いなく独自の文字だと確定しているものは2つ。それとは別に、そうじゃないかといわれているものが2~3つしかありません。
それ以外の文字は、それを真似て、もしくはその概念を持ち帰って生まれたものです。

これだけ広大な世界の中で、たった4~5つしか生まれていないんです。もしかすると、たった2つだけかもしれません。

何にも知らない状態で、それも私達がたった1人で生み出す事は極めて難しいといっていいと思います。

ここで、「ちょっと待て!今は様々な分野で新しい発見があるじゃないか!」という意見も出てくると思います。
確かに近年の技術革新は目覚しいものがあります。

ですが、その新しい発見は「基となる概念」「基となる基本的知識」の積み重ねがあって初めて成されたものです。広い視野で見てみれば、今あるほぼ全ての技術や知識が「真似」から生まれています。

概念や知識の「真似」によって文明が発展したなら、私達個人の発展もまた思想や知識の「真似」によって生まれゆくんです。

真似の達人になろう


今続々と新しい発見がされていて、その発見は加速しながらどんどんと出てきています。
これだけの発見が出来るのも基本的な知識を身に付け、その新しい発見を基に「真似」をしているからです。

だとしたら、私達個人も「真似」していけばいいんです。
私達を助けてくれるような情報は、そこらかしこにあります。
それを1つずつ適用し、自分のものにして利用してしまえばいいんです。

この「真似」には2種類あって、
1つは、その思想や概念を「丸ごと真似」し、適用していく方法。
もう1つは、「概念だけを真似」て、別の何かに適用する方法です。

1つ目は基本に忠実に、見たり聞いたり、実際に試してみる事でそこそこ正確に覚え、自分のもの出来ます。
この「丸ごと真似る」というのは、意外と難しいものです。それを知っているだけではなく、それを自分で再現出来て初めて「真似が出来た」という事だと思います。そして「丸ごと真似る」が出来て初めて、
2つ目の「これって、この考え方にも使えるんじゃ?」ということが見えてきます。

つまり、真似をして知っていった結果、「皆と同じ」のような均質化をするどころか、独自の考え方や新たな思想に行き着きます。

ですので、基本はまず「真似」をして、知ってしまうことです。
新しい何かを生み出しているようなすばらしい方も、何も知らないところから真似をし、知識を得ることから始めています。

以前の私をたとえるなら、先人の積み重ねた元の流派を知ることもなく、極める事もなく、何の積み重ねもない弱っちい「自己流」で、一人で謎の修業をする「自称拳法家」みたいな感じですね。しかも、その自己流だと思った拳法も、強い拳法家をみて憧れたものなので、やっぱり積み重ねたものに影響を受けています。こうしてみると、「選択肢をよく間違う私らしいな。笑」と自分のことながらほほえましい気持ちになります。

今悩んでおられる方も、何かを得たいという方も、誰かや何かを「真似」する事から初めることが、その可能性を飛躍的に高めます。何世代も積み重なった知識は、やっぱりそれなりの「なにか」を持っているものです。
知ってみないことには、それが自分にとって良いものか、はたまた悪いものかは分かりません。
たとえ、自分に合わなかったとしても、どの道に向かえば良いのかが少しずつ見えてきます。

これは合わなかった。でもじゃあ、こっちを知ってみたらいいのかもしれない。

この連続です。知ったからこそ、試みたからこそ自分の目指すべき道がどんどん明確になります。

私自身も、良いと思えばすぐに取り込み、実践してみよう、転用してみようと、ずうずうしくも考えています。
でもそれでいいんです。

0から何かを生み出すのは非常に難しいですが、ありがたい事に今の時代は情報に溢れています。私達を助けようと知識から知識へと積み重ねたものが、今は沢山あるんです。

先人たちの思いも含めて、私達はありがたくそれを利用させてもらおうじゃありませんか。

またまたずうずうしくも、私もその一助となりたいと思い、こうして発信しています。
私には、誰かを変える事は出来ませんが、誰かが変わりたいという「きっかけ」にはなれると信じています。

真似に真似を重ねた結果、私はとても楽になる事が出来ました。

どうか、幸せになってください。

「得たくば、真似よ。」な記事でした。

今日のあなたの一日が「真似」する始まりの日である事を願って。
読んでいただきありがとうございます!!

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