未来について考える私達の脳はあまり精度が高くない

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生き方

今回は、脳から見た私達の「未来」についての考え方をご紹介しようと思います。脳はとっても高性能なんですが、ちょっとおっちょこちょいなところもあります。今日はそんなおっちょこちょいな特徴について、触れていけたらいいなって思ってます。

では、早速いきましょう!

私達の脳は未来については結構おっちょこちょい


私達の脳は超高性能です。ですが、実はちょっとおっちょこちょいなところもあります。
今回はそんな部分に触れるべく、今回は「未来」の話をします。

人間は頭が良いので、ちょっと先の未来まで予想を立てることが出来たりします。これは他の動物より遥かに、飛びぬけて長けています。ですが、実際にはかなり難しい思考の部類なので、私達の脳はしばしばその大きさとその重みに対して、その見積もりを間違えてしまうことがあります。

「できはするけど、難しいのであんまり正確じゃない」というのが私達のちょっと先の未来への予想です。

私達の未来予想図


普段の私達は未来について考える時、
その未来が「遠ければ遠いほど」に、いまいち正確に思い描けなくなります。

例えば
しばしば私達は安請け合いをしては、「あれ!?どうしてこうなった?」みたいなことをおそらくは誰しもご経験されているかと思いますが、
そういった安請け合いをしてしまうのは
ちょっと先の未来を軽く捉えがちだからです。

どういう事かというと
その未来が近いほどに、鮮明にかつ重みを増し
その未来が遠いほどに、不鮮明にかつ重みを減らします。

良い事も、悪い事もです。

とはいえこのままだと少しわかりにくいので、
例えで見ていきたいと思います。

例えば
直近の問題を先延ばしにしたくなるご経験。

これは誰しもあると思います。これは、
とりあえずその問題を先延ばしにしたり保留にしたりするのは、少しだけ遠い未来に放り投げることで、その重みが減った気がするからです。

こんな感じで、近い未来の損失は、遠い未来の損失よりも鮮明に感じます。

また反対に、近い未来の報酬は、遠い未来の全く同じ報酬よりも鮮明にもなります。

子供がお菓子を見つけてしまったら、それはそれは大変だということを、お子さんをお持ちの方ならご理解いただけるんじゃないかと思います。
「おやつの時間になったら食べられるよ」なんて言っても、子供の心はもう目の前のお菓子に夢中です。
ちょっと先のお菓子よりも、今すぐ食べることのできるお菓子の方がずっとずっと魅力的なんです。

これはすくすくと発達をしている子供だけじゃなくて、大人にも当てはまります。そして私にも心当たりがあります。笑

思い立って始めたダイエット。理想的な身体を手に入れるべく、少し先の未来に思いをはせる反面、目の前のお菓子やお酒がどうしても頭から離れません。

これを胃の中に入れてしまったら台無しなのは分かっている。分かってはいるが、どうしても食べたい。ダイエットが上手くいったらとも考えるけれども、そのダイエットすら手放しそうな私には、更に先にあるご馳走達は、どうも実感が湧かない。

これに関しても、ちょっと先の未来より、今すぐ手に入るものの方が重要だと感じます。ですがその後は、食べてしまった罪悪感が今すぐ手に入ります。

じゃあ、そんな時、脳はどんな反応を示すかというと、やっぱり予想通りに
近い未来に対しての活性化具合は遠い未来に対してのそれと比べて、より活発なんです。

価値の天秤


嫌なことは先延ばしにしたくて
良い事はできればすぐに得たい

少し先の未来について、基本的にはこう考える私達ではありますが、そのある程度は抑制したり、それをもう一度吟味したりできます。
ただし、抑制の方は極端に言えば、「たくさんの我慢」をすることになってしまいます。
ですので。単純に我慢してくださいとは、言わないし、言っちゃいけない事だと思います。

ここで、私達の決心や行動をどう決めているか?を少しイメージしやすくするために、たとえ話にしていきます。

私達の身体の中に、価値に重み付けする「天秤」があると想像してください。
その天秤は、本来は重たい方へ、つまりは価値を感じる方へと傾きます。

悪い事の場合は
それに嫌な価値(重み)を感じるからやらない。
それに嫌な価値(重み)を感じないからやってみよう。

良い事の場合は、
それに価値(重み)を感じないからやらない。
それに価値(重み)を感じるからやってみよう。

基本的にはこう感じて、行動したりします。

ところが私達は、こんな単純ではなくてもっと複雑に物事を考えます。
例えば義務などによって、
全く本意ではないけど、やらなければならないことにも当然出会います。

そんな時に私達の中の天秤は、まずは本当にやりたいことに傾いています。そちらに価値を感じ、それが重みとなって片一方のお皿の上にのっています。
しかし、やらなければならないことをやるためには、本来重みを感じている片一方を、逆側(もう片一方)へと、なんとか傾けなければなりません。

本来の気持ちの重みがあればあるほど、
もう片一方の天秤の皿に「我慢」の気持ちを増して重みを乗せなければならないんです。

私達は多少のことなら難なくそれをやってのけますが、あまりに本来の気持ちの方が重たいと、それだけ大きな、そして重たい「我慢」が必要になります。

更には「我慢」には限界があります。日ごろから「我慢」をたくさんしている方は、その分だけ「我慢」を使ってしまっていまので、そこからさらにとなると、かなり負担が大きくなってしまいます。

だとすると「我慢」はできるだけ取っておきたいので、できれば気持ちを抑えることは、したくないものです。
じゃあ、そのために何をしようかと考えた時、「その価値を吟味してみる」ことはそこそこに効果があるものと思います。

価値の吟味


「その価値の吟味してみる」

その問題を先延ばしにしてしまう事がある私達。
確かに問題を先延ばしにしたことによって、そうしようと決めた少しの間だけは、なんとなくホッとしたりもします。
ただ、よくよく思い出してみると、「あれが残っていたな…。」と思ったりして、ずっとモヤモヤしたことは少なくないんじゃないかと思います。更には大抵の問題は、先延ばしにするとより大きくなったりもします。
そう考えると先延ばしにした場合は、「モヤモヤ+より大きくなった問題」となって私達に降りかかってくる可能性は大いにあります。また、問題が大きくならなくても、先延ばしにした分だけもやもやが残り続けます。問題の先延ばしって、嫌な思いを増やして、長くすることが多いんです。

つまりは「価値の吟味」とは、平たく言えば

こうしたくないなぁと感じた時、ちょっとの間立ち止まって「でも実際どうなんだろう?」と考えることです。

「いやいや、これも我慢だろ」と感じる方もいらっしゃるとは思います。確かにその通りです。ですが長い目で見た場合は、その「我慢の総量」は減っているはずです。ですので、沢山の我慢をしていらっしゃる方からしてみればどちらかというと「我慢を減らす」活動です。

できれば「我慢」したくないけど、そうもいっていられない場合は、「我慢の根絶」ではなく、「我慢の総量を減らす」ような考え方をした方が、結果的にはより良いんじゃないかと思います。

ただ、これがかなり厳しい意見だなと思った方は、おそらく「日ごろの我慢が多すぎる」可能性がとても高いんじゃないかと思います。
だとすれば、今回の例のような「追加され、増えてしまった問題」に目を向けるより、
まず先に、「今抱えている問題」に目を向けたほうがずっといい
と思います。
「今抱えている問題」に対してずっと我慢していると、私達はどんどんと余裕をなくしてしまうんです。

そういった方の場合は
「頑張っていない」のではなく「頑張りすぎて、もう抱えられない」事が本質的な原因だと思いますので、まずは「今抱えている問題を減らす」方向の方がいいと思います。

さて、ではダイエットの時の食べたい欲求はどうしたらいいんでしょう?

ここで突然の朗報ですが、
「ダイエットの時は、たまには普通か多めに食べるくらいの方が実は【痩せます】。」

ダイエットのプロ、ボディビルダーさん達は、
その減量期間中、1週間に1度だったり、2週間に1度だったりと、過酷な減量の最中に普通にご飯を食べます。

これを「チートデイ」といいます。
じゃあどうしてたまに食べる量を増やすのかというと、

私達の身体は「その状態に慣れ、そしてそれに対応する」ようできています。
ずっと、食べる量が少ない状態だと、身体はこう考えるんです。
「どうも最近のご主人様は、食料の調達に苦戦しているようだな。このまま消費カロリーを多くしておくと命の危険があるかもしれない。ここはご主人様に便宜を図って、省エネモードにしとくか。
こんな感じで身体は省エネでも対応できるように働き始めます。そんな時に一度そこそこの量を食べて、身体をびっくりさせてあげると、「なんだ食料あるじゃん!省エネにするところだったよ。」と勘違いしてくれます。

これは、私達にとってはありがたい限りですよね。

週に一回、大好きなラーメンを食べていいんだ!しかも痩せる!!

これは大きな励みになります。

それでもうっかりそれ以上の頻度で食べたくなったら…。
まあしょうがないんです。笑
誰だってそんな時もあります。ご飯がおいしいのがいけないんですよね。笑

私達の脳はわりかし未来に関してはおっちょこちょいです。

今日のあなたの一日が「未来予測は意外と正確じゃない」事を知る一日であることを願って。
読んでいただきありがとうございます!!

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