やりたいことの取り組み方

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生き方

こんにちは!幸せマンです。
今回は、やりたい事の取組み方の話です。やってみたい事や、やっていて楽しいことがある方はとても素敵な事なので大切になさって、そして是非取組んでみてください。今回はそのやりたい事の過程で生じることや、それに対する捉え方がメインです。そのやっている事に少し違和感を感じてしまっている人に今回は読んでいただけたらと思います。

では、早速いきましょう!

やりたいことは本当に楽しい


やりたい事って皆さんはありますか?
やりたい事が見つかると毎日は本当に楽しく感じるものです。

私達人間という生き物は、
強制されると辛く、それでいて面白くなく感じ、
自発は楽しく、それ自体を面白いと感じます。

また、始まりはどうであれ、結果的に自分がこうしたいものに出会ってしまうとその瞬間から、楽しくて仕方なくなります。それが楽しいと感じるのは自分がこうしたいという「自発的」な行動に途中からなったためです。

幼い頃に取組んできた勉強がちっとも面白くなかったのは、どうしても強制感が強くなりがちで「やらなければいけないこと」の比重が傾いていたからなのだと思います。

反面、何かに取組んでいる大人は、自分から学びにいっている場合においては、それが自発的な「やりたいこと」なので、皆が皆、こぞって「面白い」といいます。

大人になって何かに対し意欲的に取組んだり、学んだりしている時に驚くほど多くの方が「面白い!」というのは、自分の意思によって「やりたいこと」をやる事が出来ているからなんです。

自発的に何か取組もうとする時と、学ぼうとする時って本来ものすごく楽しいんです。大人も子供も関係なく、楽しいものなんです。

強制は辛く感じ、自発は楽しく感じる。
今回は、この部分をもう少し掘り下げようと思います。

「自発」のなにが楽しいのか?


何かに対し取組んだり、学んだりというのは自分の意思でもってやっていくのが一番楽しく感じるという話は先に読んでいただきました。ありがとうございます。
ですが、どうして私達は「自発」が楽しいと感じるのか?という、そもそもの部分がまだちょっとよく分からないですよね。

「自発」が楽しいと感じやすい理由については、何個かあります。

これをやったらこうなるかもしれないという、それが出来ている姿を想像しワクワクするような「期待」と、
まだ知らなかったことに対し、知って行き少しずつ自分のものになっていく「過程」と、実際に手に入れた「結果」が、私達を「楽しい」と感じさせます。

つまり、やる前の「期待」と、実感を感じることの出来る途中の「過程」、やった後の「結果」で、何回かの「楽しい」という気持ちを味わっています。

この「期待」「過程」「結果」の部分が私達を突き動かす原動力になっています。

自発の場合は、こうなりたいという気持ちに自ら向かうことが出来るために、「期待」「過程」「結果」の楽しいという気持ちを得やすいんです。

自分の気持ちに他の誰でも無く自分で向かっていけるから、満足感が得られます。

ところが、こうありたいという気持ちがそのまま順調に、順風満帆に、何事もすんなり進むかというと、残念ながら必ずしもそうでは無いですよね。

私達の「ヤル気なるもの」を奪ってしまうものもあるんです。

その道のりは順風満帆ではない


こうありたいという気持ちが私達を突き動かしますが、その道のりは必ずしも順風満帆ではありません。
望む「結果」を得るために行動する「過程」では、いろいろな事が起きます。

結果」に向かうその「過程」では、何度か目の前に立ちはだかる「障害」に出会います。この障害の大きさは人それぞれ様々です。

人によっては、その障害がやってくるとやっぱり私には無理だっただとか、私には向いていなかっただとかとなってしまいがちです。

何かに取組む「過程」は楽しい場合もあれば、障害が生まれて楽しくなくなってしまう場合もあります。

進む事ができれば楽しくその進行を阻まれてしまえば楽しくないんです。

ですが、
何かに対する出来、不出来という「結果」は
実際に見事に辿りついた場合か、
私達の心が折れてしまった場合にのみ、付いて来るものです。

つまりは、
私達の心が折れてしまわない限りは、まだ「結果」は出ていないんです。

私達が何かに取組んでいる時の伸び方というのは不思議なもので
それまで全く出来ていなかったのに突然出来る様になる、ということが常々起きています。

しかしその一気に伸びる時期が来る前には、進捗が得られたという実感が湧かないから、私達の心は折れてしまいます。
ですが、忘れてはなりません。

後一歩だったかもしれない。
後半歩だったかかもしれない。

心の中にある障害は、目に見えないために、それが打ち破れるかどうかが、大きさ、強さ、そしてその進み具合がよく分かりません。

更には一番最初の障害が大きく、分厚かっただけで、次の障害は大して大きくないかもしれませんが、それも見ることが出来ません。

それを知ることが出来るのはその障害を越えたときだけなんです。
そして大抵の場合は、大きな障害を越えた先は何も無かったりします。
加速しながら一気に進む事が出来るものです。


氷は0℃を超えた時初めて、その形を変えます。
今は-5℃かもしれないし、-1℃かもしれません。

私達にはそれが分からずただただ寒く感じますが、1℃ずつ上がって行くと、その時は突然やってきます。
直線的な温度の変化は、時にそれを全く別物のように変えます。

私達を凍えさせるだけだったその「氷」は、一変して私達の喉を潤す「水」に変わるんです。
私達のやっている事はこれに近いです。

直線的な日々の行いは、そのまま直線で進むことなく、指数関数的に突然はじけたように成果を出し始めます。

そしてその温度は私達が諦めない限り、必ず少しずつ上がっていきます。

心が折れたときに、私達は立ち止まってしまいますが、
その先はもしかしたら、あと半歩かもしれない。あと0.5℃かもしれない。

心さえ折れなければ、まだ「過程」なんです。

その半歩の後押しが出来ればと思いつつ、今回は記事を書きました。

今日のあなたの一日が「やりたい事が後一歩かもしれない」に気付く一日である事を願って。
読んでいただきありがとうございます!!

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