これからの私達の話をしよう~ミーン・ワールド・シンドロームを含む、文明文化の歪に気づく~

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人間関係

今回は、過去3つの記事に渡って「人の本性」について見てきた内容を現代に繋げ、「これからの私達の話」というお題目で、お話を進めていきたいと思います。先ずは最初に今までのおさらいをざっくりした上で、少しずつ本題へと移っていく次第です。先立って「人の本性」の3つを丁寧に読んでくださった方には特に、ここで感謝を申し上げます。ありがとうございます。

では、早速いきましょう!!

性善説、性悪説


直近の3つの記事の中で、「人の本性は善か?悪か?」について見ていきました。その内容について先ずはざっくりとしたおさらいをしていくと、

「人の本性」について考えた偉大な人たちが具体的にどのように考えていたかをご紹介して、その結果どれもある程度は納得できてしまうものだったことを見てきました。

次に、「人の本性が善か?悪か?」について、どちらも納得できてしまうのであれば実際の例を見ていこう、という事で世界を代表する2つの悪名高い科学実験の結果と、「その実態」についての記事をご紹介しました。

その次に、これまた実際の例として人類史を遡り、また戦争の実態についても触れました。

それらを鑑みると、どうも「人の本性は善で(優しく、思いやりが)ある」と言った証拠が次々と見えてきました。
もっと言えば、「人の本性が悪である、と証明しようとした事柄をいろいろと知るうちにごく一部の思惑や、文明の発展におけるギャップによって生まれている代償の結果。」が要因としてありそうだという事が見えてきました。

だとすれば、現代の生活において私達を苦しめるものの実態を見ていけば、そのいくつかは、少しでも和らぐんじゃないかと考えています。

最初に言っておきますが、ここからの話は
「文明を築いたからこそ争いが生まれたのなら、文明を捨てよう!野に還ろう!」のような話ではなくって、
「今ある文明や社会に上手く適応するために、知っておいた方がいい事を知って、これからの私達に繋げよう!」という試みであります。

アリの円環


さて早速本題に、と言いたいところですが、
その前にちょっとだけ話を変えて「アリの話」をしていきます。

アリは、自らフェロモンを出して地面に「道しるべ」を作ります。
他のアリたちが迷わぬよう、本能でもって道なき道に、新たな道を作り出します。

例えばこれが「円環」のように引かれてしまった場合、多くのアリたちはその円をフェロモンの線に沿ってグルグルと回り続けます。

そしてそれがもし、「灼熱のアスファルト」だったら?
あるいは「極寒の大地」だったら?

多くの仲間は苦しみながらも前へ前へと進まんとします。誰が悪いわけでもなく、とにかく抜け出そうと前へ前へと必死で進みます。

けれど新たな道を切り開くほかに、そこから抜け出す術はありません。
「暖かい巣」に帰る。その新たな道に迷うことなく向かうよう動き出す最初のアリに「私達」がなれたのなら、少しずつ皆、「温かい巣」へと帰ることが出来ます。

今日はそんな話です。

そして私達は、望遠鏡も地図も駆使してその道を目指すことのできる頭のいい、それでいて優しい動物です。
先陣を切る「ひとり」になり、「皆」になるんです。

鍵っ子


私は、とある田舎で生まれ育ちました。大学生になるまで都会を知りませんでした。初めて渋谷にいった時は「お!今日は祭りかな!?」と言って友達に爆笑されたことのある、ごくごく普通?の一般男性です。

私が生まれた当初は団地に住んでいました。そのおかげか沢山の人に囲まれすくすくと育ちました。
その当時は誰も家に鍵をかけていない時代です。
友達の家にノックもしないで入り、「今日ヒマ!?」なんてやり取りも盛んにありました。

いつからでしょうか?そういった事がどんどんとなくなっていったのは?

今や人間関係は希薄になりつつあり、家に鍵をかけることは当たり前になりました。
また都内を歩けば、見知らぬ人ばかりで気疲れする、なんて人は多いですよね。

現代はどんどんとコミュニティが小さくなる半面、グローバル化は進む、というなんとも不思議な時代になってきました。

そしておそらくは「グローバル化」の中に「コミュニティを縮小せざるを得ないと思わせる何か」があると私は考えています。

グローバル化が危険と言っているわけではなくって、「そう思わせるだけの何か」がそこには含まれている、という意味です。

報道の意味とネガティビティバイアス


グローバル化に大きく貢献したものの一つに「世界中への情報の普及」があります。

情報は得やすくなり、調べればすぐ出てきて、いろんな人がいろんな主張をしています。
勿論それによる良い面も沢山あります。
ですが、多くの人が特に目が行くのは「不安になるような事」です。

私達は生来、楽しくなる事より不安になる事に敏感です。これを「ネガティビティバイアス」と心理学では言います。
インターネット上の検索数をみると、事件や事故、あるいは芸能関係の不祥事などの「不安になる事、良いとは言えない事」についての検索は、圧倒的大多数です。

となれば、メディアはより見てもらえるような内容の報道をし、記事を書きます。
そちらの方により需要があるため、それを大々的に報じるのは自然な流れかと思います。

毎日のように「不安になる事」が情報として入ってきて、私達はまるで世界中が混沌としているかのような印象を受ける機会は増えました。

メディアの研究者であるジョージ・ガープナーはこの現象について
「ミーン・ワールド・シンドローム」という名前を付けました。

これは
マスメディアが繰り返し暴力的なコンテンツを報道し、それに人々がさらされた結果、世界が実際より危険な場所だと認識してしまう。ことです

しかし、実際はここ数十年の間に、世界規模で事故や事件は減っています。
それもすさまじい勢いで着実にです。

もちろん事件や事故は、事実起きています。ただ、それらが起きることは人間社会全体で見れば極めて稀である、という事を私達は忘れてしまいがちです。

それと同等かそれ以上に微笑ましい事柄が起きているはずにも関わらず、平穏に暮らしている日々があるにもかかわらず、それらはたまにしか報道されません。

ここで注意したいのは、いたたまれない事件を無視してください。と言っているのではない、という事です。そうではなくてそれらは事故や事件はかなり特質的な出来事なんだ、という事を知っていただきたかったんです。

確かに世界には非常に危険な場所が存在します。それを改善するような機会を得るためにも、必要な情報ではあります。ただその反面、治安が良くなり今までは助からなかった命が救われるような活動がもっと沢山あるんです。

またいくつか情報の中には、「切り取った事実」だけを報じる嫌い(良くないところ)があります。

背景にはこういうことがあって、その結果起きた事件でさえも、「その結果だけ」を取り上げたりします。
まるで残虐な人間が沢山いるかのごとく、です。
間違いなく背景があるにも関わらず、その背景にはほとんどスポットが当てられません。

テクスト(文章)には、必ずコンテクスト(背景)があります。その事実の一端には、必ずその事実よりも遥かに大きく複雑な事情やいきさつがあります。

その番組の1枠でもいいので、
「本日、ここ日本での事件の件数は〇〇件ですが、これはあの頃と比べれば劇的に減っています。特にこの地域では、悪質な事件は全く起きない平穏な一日でした。では、善い一日を。」のような報道があるとするなら、また違った社会の見方も生まれるでしょう。

しかし反面、
現代社会に至るまでに人類は沢山の寄り道をしてきましたが、着実にその成果を出してきています

世界中で奴隷制度は正式に廃止され、少なくとも法的に奴隷制を認めている国は無く、また極度の貧困に苦しむ人の割合は10%を切りました。
また、過去100年、暴力によって亡くなる方は2つの世界大戦を含めても尚、1.3%まで減少しています。

都市部では見知らぬ人と何度もすれ違い、その見知らぬ人の情報を埋める主な手段はメディアであり、そのメディアが特質的な事件を頻繁に取り上げ、切り取った情報を得た私達は「見知らぬ人は危険だ」と思う。
現代の情報は、随分とその役割を果たしているように感じます。

文明の呪いを解く鍵


近年急激に「人の本性は悪である」という見方は多種多様な分野で根本的に見直されつつあります。
誰かが号令をかけたわけではなく、一斉にです。
そしてそれらからなる事実は、「人の本性は善である。」というものにどれもこれも繋がってきています。
これは偶然かもしれません。ですが、偶然ではないかもしれません。

しかし、私は私達の文明によって生まれたギャップを取り払う鍵がここにあると思っています。
「人の本性が善である」可能性が極めて高いにもかかわらず、「人の本性は悪である。」という前提の基、まるで決まりきったかのように私達は文明の発展によって生まれた歪みから、「お互いがお互いを心のどこかで疑ってしまっている。」んじゃないでしょうか?
格差のようなものを意識され、野心が別の野心を強め、そこに優劣を強く求めているんじゃないでしょうか?

悩み苦しんでいる人が、心が疲れてしまう人が年々増えているのは、現代において尚、世界に対する暗い見方があり、それに加えて「不安になる事」に対する情報があまりに多いことが一つの大きな要因なんじゃないか?と思います。

皆が皆を疑ってかかることで、不安が増大し、他人との差異を気にし、いらぬ心配を常々させられ、気を張り、家に帰ればホッとはするが、どこか物寂しい気持ちになる。
そうして至る気持ちは「ああ、私は一体何なんだろう?」

こういった事の多くの原因が、「性悪説」的な世界の見方と、とにかく世界中の人と自分を比べてしまう条件、情報が揃ったせいだったとしたら?

おそらくはネガティブの連鎖が起きています。

これはどこかで断ち切らなければ、その「円環」から抜け出さなければ、優しいはずの人類が、不安や悩みを抱えていき、お互いに心を疲れさせてしまいます。
また、誰かが突然やってきてそれを見事に断ち切ってくれる可能性は、依然として低いものです。

ですが、
だったら、
だからこそ、

私達から始めてみるのはどうだろう?その「円環」から、抜け出してみるのはどうだろう?

そのネガティブの連鎖を断ち切るのは、あなたかもしれない。

もちろん、無理をして我慢をして明るく振舞う、と言った類の話ではなくて、先ずは自分の心を救い上げていき、それが整ったら少しずつ拡げていき今度は皆も、といった形をとっていこう、という話です。

むしろそれでなければ意味がありません。
あなたが我慢することで周囲を元気にしたとしても、あなたが元気でなければ、いずれは我慢の限界が来てしまいます。

あなたの人生はあなたが主人公であって欲しい。
これはあなたの物語であって、誰も肩代わりできない物語です。

大丈夫です。人は本来優しいんです。
それが極めて確からしい事実であり、今も尚一つ、また一つと証明されつつあります。

確かに気持ちのいい答えが返ってくるばかりではありません。
ですが、日ごろの生活の穏やかさがそれによって手に入るのなら、補って余りあるほどの恩恵を私達は受けることが出来ます。
小さな代償はありますが、大きな贅沢を味わえます。

またそんな小さな代償も、「現代における文明の歪の影響を受けてしまっているのかも知れない、苦しんでいる人」から発せられるものだと知れば、代償ですらないのかもしれません。

ここまで4つの記事に渡って丁寧に読み進んでいただいた方には、心から感謝を申し上げます。そしてそんな方の一助となれればと思い、今度は更にそこから繋がる「生き方」を確固たるものにしてくれるような、
「圧倒的な生き方」を提示してくれたとある偉人の考えを、もうすぐご紹介していきます。

実は、ずっと前からこれらの記事は「コンビ」として、「タッグ」として温めていた記事でもあります。「人の本性は善である」+「とある偉人の哲学」は個人的には非常に強力だと思っています。

そしてその偉人とは「カント」です。
この記事にご興味を持ってみていただけた方なら、きっとその力になってくれます。
科学と哲学を織り交ぜて作成してみました。

では、年末にお会いしましょう!
よいお年を。

今日のあなたの一日が「円環から抜け出す」一日である事を願って。
読んでいただきありがとうございます!!

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