空気は読むものでは無く、吸うものです

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人間関係

こんにちは!幸せマンです。
今回は、礼儀正しさを大切にする日本だからこそ、要求されている「空気を読む能力」についてご紹介できたらなと思います。生まれも育ちも「空気を読む」を学んできたからこそ、私達は生きにくさを感じていると思います。

では、早速いきましょう!

礼儀正しさは裏返る


私達日本人は礼儀正しさを大切にする傾向があります。かなり多くの人が礼儀を大切にされていると感じています。これ自体は本当にすばらしい事だと思います。しかし、この礼儀正しさを求めるあまりに、出る杭は打たれるような社会のルールが少しばかり一人歩きし、
「礼儀正しさ」がいつしか裏返り「空気を読む」にもなってしまっていると感じているんです。

かくいう私自身が「礼儀正しさ」についてよく分かっていなかったところがあります。

この「礼儀正しさ」と「空気を読む能力」の違いは実際の例を見ると見えてくるものがあります。

例えば
列を乱さず並ぶのは、日本の素晴らしいところですよね。まさに「礼儀正しい」ですね。

しかし、これが「空気を読んでいる」だけだったとするとどうでしょう?

勿論「礼儀正しく」並んでいる人もいるとは思いますが、その中には「列を乱すと目立つから」と思っている方がいらっしゃるんじゃないかとも思います。
皆が並んでいるから「空気を読んで」並んでいる可能性もあるんです。

実際に割り込む人や並ばない人など「空気を読まない人」を目の当たりにした時、なかなかのバッシングを浴びますよね。

このままだと、列を乱す事が良いことみたいになってしまいそうです。
なので、もうひとつ例を出します。

席を譲ったりする場面で、席を譲らない人も当然いますよね。いやむしろそちらの方が多いと感じます。
これは心の中では「席を譲ろうかな?どうしようかな?」という気持ちがありますが、立ち上がる事で「目立つ事を恐れている」と考えると腑に落ちます。

そもそも礼儀正しいのであれば、こぞって席を譲ってもおかしくないですよね。

異論はあると思いますが、今の日本は「礼儀正しさ」を重んじる心より、「目立たない事」「空気を読むこと」を優先しているように感じています。

生まれも育ちも「空気を読んできた」私達


しかしこれは仕方のない部分もかなりあると思っています。
私達は幼い頃から、皆で協調する事を中心に学んできて、学校でも目立った行動をするとあまり良い顔はされなかったように思います。
私達日本人は、「空気を読む」国に生まれ落ち、育ってきました。
「前に倣え」「出る杭は打たれる」が根付くような子供時代を過ごして来ているので、社会に出ても尚、これは影響しています。

例えば
何らかの会議で、「何か意見はありますか?」といって、意見が出ない事はよくありますよね。まるで違う意見や分からないところがあってはならないかのようです

または多くの人がいる場面で、仲睦まじいカップルに対して、不快な顔をする人も少なくありません。
まるで「目立つ事が悪」であるかのような状態ですよね。

しかし、日本で本来目指されていたのは「空気を読む」事では無く、「礼儀正しさ」を重んじることだと思います。

空気を読みあう関係はお互いがけん制し合い、意見の言えないまま消耗するばかりでメリットが少ないんです。むしろデメリットばかりが目に付きます。

礼儀とは何か?


では、礼儀正しさって何なのでしょう?
礼儀とは、そもそもの目的は「人間関係や社会秩序を維持するための人が守るべき行動様式」です。
つまり、礼儀って「他者を敬い、思いやり、感謝」するためにあるんです。

これが「空気を読む」場合には、一番大切な「思いやりや感謝」はすっぽり抜けてしまっていて、「皆がそうしているから守るべき行動様式」になっているように感じます。

私達を縛り付けるだけ縛りつけ、本人の意思や思いやりをないがしろにしたものが「空気を読むこと」なんです。

じゃあ、私達になにが出来るかというと「思いやりや感謝」を前提に置き、「空気を読む」を「礼儀正しい」にする事です。

社会じゃなくて自分に向き合う


出る杭は打たれるという「空気を読む」傾向がある社会は、今のところ私達にはどうする事も出来ないので、社会を正そうとするより自分はどうするか?に向き合ったほうが現実的です。何より私達の負担も少ないです。

私がそうだったんですが、自分自身が影響できる範囲以上の事に気持ちを向け過ぎると、とても苦しくなります。強い「空気を読む」性質がある社会全体に対して「どうしてこうなんだ!」と思いを馳せるのは、私達にとっての負担が増えるだけで、その社会事態は一向に変わっていかないんです。

社会全体に気を配るより、自分とその周囲を守り、幸せにする事が何より大切です。

多数派に付き従うんじゃなくて、「思いやりや感謝」でもって、私達の行動を決めてしまっていいんです。「思いやり」で行動すると、多数派になる時も少数派になる事も当然出てきます。でも、それでいいんです。

勿論、私達の思うようにどうしていくかを決めるという事は、少なからず批判はあるかもしれません。しかし、同調し続けて消耗するよりは、負担が軽くなるんです。
どのような行動をしても批判はつきものです。
あくまで自己中心的な考えでは無く、思いやりからの行動であれば、批判にあっても動じません。
また思いやりが前提にあれば、批判する人の何倍もの賛同してくれる人が現れます。

あくまで自分がいいと思った事を続ける事が、今の私達に出来る事なんじゃないかなって思います。
思いやりから行動できれば、
列には並ぶが、席は譲らない」という「空気を読んだ」行動は
列にも並ぶし、席も譲れる」という思いやりからの「礼儀正しい」行動に変わります。

席を譲る行為に対して批判する人は、多くは無いんです。
多数派か少数派かは関係なくて、自分にとってどうする事がいいかが私達を自由にし、楽にしてくれます。

幸せに関する心理を学んでいくと、行き着く先が「思いやりや感謝」なのは、それが集団生活を必要とする人間に最も大切な事だからだと思うんです。

今日のあなたの一日が「思いやりと感謝」を重んじる一日である事を願って。
読んでいただきありがとうございます!!

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