今回は、私達が間違いによって自分を責めてしまったり、誰かを責めてしまったりしてしまうことに対し、もう少しだけ肩の力を抜けるよう、どうして許せないのか?についてご紹介します。また、責めてしまう理由を知った上で、責めなくて良い理由にも触れていきます。
では、早速いきましょう!
自分たちの間違いをどうして許せないのか?
私達は間違ってしまった時
「やってしまった!」
「自分は何でこんな事も出来ないんだろう」
と考えてしまう事があります。
また、誰かの間違いに対しても
「どうしてそうなの?」
「こんな事も出来ないなんて」
と口には出さなくとも、頭では考える事ってあると思います。
間違いたくて間違う人はいないのに、どうして自分や誰かを責める様な考えを持ってしまうのでしょう?
自分も嫌な気持ちになり、誰かもまた、嫌な気持ちになってしまうものなのにです。
これには理由があります。
「間違い」に敏感な理由
私達が自分や誰かの「間違い」に敏感なのは、私達の誰もが持ってしまったある「固定概念」によるものです。
私達は様々なことを経験しながら大人になって、決断や判断に必要な情報はある程度持っていて、その判断による結果は何にも邪魔されないもので、その予測は的確で、全く間違わないものだと想定しているところがあります。結果、その想定によって「こうあるべき自分、こうあるべき誰か」が当たり前のような感じを持ってしまっています。
しかし、実際には私達が思っている以上に私達は様々なものに影響されているんです。
良く間違うし失敗する事は今までの経験から分かっているはずなのに、私達の中にある「固定概念」によって、まるで間違いを忘れてしまったかのように、または責めるように再び「こうあるべき自分、こうあるべき誰か」を望んでしまっています。
しかし、私がよく間違うように、あなたもよく間違い、誰かもよく間違ってしまいます。
よく間違ってしまうのは、仕方の無い部分がほとんどなんです。
心理学(主に行動心理学や認知心理学)からみても、脳の仕組みから見ても、私達は間違わないように出来ていません。
むしろ「良く間違うように」出来ています。
つまり、今私達が持ってしまっている「固定概念」の、「こうあるべき自分、こうあるべき誰か」は実際に則していないという事です。
人の本質とは
生きていく中で暗黙のルールのように私達の心に居座る「こうあるべき」は、次第に私達を苦しめるように強制感を強くし、自分や誰かに無理をさせるようになり、生きづらさを強く感じるようになります。「こうあるべき」という考えばかりが一人歩きし、実際と理想のギャップに苦しみます。
人の本質はそんなものではありません。
人の本質とは
「間違いやすく合理的では無いもの」です。
私達が今持っている「こうあるべき自分、こうあるべき誰か」を「よく間違う自分、よく間違う誰か」に置き換えてみると、自分が間違ってしまうのもよくある事だし、誰かが間違ってしまうのもまた、よくある事だと気付きます。その結果として、よく間違えるのが基本であれば、自分にも誰かにも寛容になれます。
そして何よりこれが私達の本質を表すもの、本当の私達なんです。
人はその仕組み上
「合理的に判断できるもの」では無く
「基本的に間違いやすく合理的でないもの」という事が全ての人において言えます。
間違わないよう尽力する事はもちろん素敵なことです。私も間違わないためにその都度実際を基とした加筆修正はしたいと思います。
しかし、間違わないがスタンダードでは無く、間違う事がスタンダードなんです。間違ってしまっても、そういうものなんだと知っておけば、今よりずっと私達は気楽になれます。
これからの私達
私達はよく間違うという話をしてきましたが、実はこの間違い。いくつかの間違いやすい「思い込みや決め付け」に関しては、ありがたい事に実に規則的に、予想通りに間違うんです。人の仕組みとして存在する以上はその仕組みが一定なのでかなり規則的なんです。
規則的であるが故、知ってしまう事である程度は対処できてしまうものなんです。だからといって再び、対処を知らない人間は悪だ!間違う人間は悪だ!になってしまって元も子も無いのでそこだけは気をつけたいところです。
では、私達がよくしてしまう間違いの「思い込みと決めつけ」。
これらへの対処はどうしたら良いかというと
自分も他人もよく間違う事を前提に
「私はこう思うけど、実際はどうなんだろう?」
「あの人はこう言っているけど、実際はどうなんだろう?」と
自分の意見も誰かの意見も鵜呑みにせず、一度「中立」な立場から考えてみるんです。
つまり客観的な視点から、事実を探り「これは思い込みなんじゃないか?」と一旦立ち止まって考えるクセをつける事で大抵の思い込みや決めつけからより実際にそうした形で修正する事ができます。
自分や誰かを信じるなと言っているのでは無くて、間違いやすさは誰でも持っているという視点から、誰もが間違うという観点からものを見ることが大切だという事です。
最近、内観やメタ認知など、「自分を客観的に見る」行為が盛んに言われているのは、私達が自分の思い込みに気付き、修正し、生きづらさを無くしてくれるものであるからです。
対処できないものもある
対処できるものに関しては、「自分を客観的に見る」ことで対処可能ですが、それでも対処できないものがあります。
それが、予測不能な「予期しない出来事」です。全く予想もしていなかったアクシデントに関しては、どんな天才であってもその出来事に翻弄されます。つまり規則性が無い出来事を予測する事はできないんです。
当たり前のことを言っているようにも感じますが、意外と私達は、未来への予測できない事に対して、不安を抱えたりしてしまいます。
ですので、不安を抱えながら生き行くより、起きてしまったその出来事に「今から自分に何が出来るか?」を考えてまた進んでいった方がより気持ちは楽になります。
人はよく間違うんです。
人はよく間違うからこそ、「まあ、そんなこともあるよね。じゃあ、どうしようか?」と互いに認め合い、許しあう必要があるんじゃないかと思う次第です。そして認め合うからこそ私達の生活をより豊かにしてくれるんです。
今日のあなたの一日が強制感の強い「固定概念」から抜け出す1日である事を願って。
読んでいただきありがとうございます!!