価値観を生む、心の基準点

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生き方

こんにちは!幸せマンです。

今回は私達が持っている「心の基準点」についてご紹介します。それぞれ価値観をさらに根本から見た話となっています。
これによって、目の前の楽しさに気付けていない可能性がある事。また、動かす事が出来るものである事を今回はご説明していこうと思います。

では、早速いきましょう!

「心の基準点」とは?


私達は良くも悪くも、物事を比較することで「どう感じるか?」や「目の前の事柄」を決めています。
その比較をするために、人はそれぞれの「基準となる点」を心に置いている場所があり、その基準点から物事を判断しています。
そして、この判断が物事の良い悪い、楽しい楽しくないを各々の「価値観」です。
私達の人間らしさを作り出し、その人の生き方までも決めているといって差し支えないと思います。
「それは私には合わない」
「面白い、つまらない」
などの判断は「心の基準」から判断したそれぞれの価値観となっている
んです。

この「心の基準点」をどこに置いているかで、かなり物事に対する感じ方が変わってきます。

心の基準点はたくさんある


価値観を形成する基準となる点は沢山あり、物事によっても私達は使い分けています。

今回は、私が間違っていた、そして多くの人が持っている「大人らしさ」という基準の場合で考えてみます。

以前の私は「大人らしさ」というひとつの基準を持っていました。
「大人らしくしなきゃ」と考え、価値観を作っていった結果、それによって自分を苦しめていた事に気付けなくなっていました。自分の気持ちを押し殺して、自分自身で「大人らしさ」を何とか演じるために、我慢をしていたんです。

特に「奥ゆかしさ」は日本人の美徳とされています。これが私の中の「大人らしさ」にもありました。しかし、私の場合はあろう事か、この「奥ゆかしさ」を履き違え、「何でもかんでも我慢する」になっていました。

「何でもかんでも我慢する」=「大人らしさ」を自分の中の基準として置き、それによって価値観を形成してしまった私は、結果として「感情を抑えるのが上手」になっていきました。

感情を抑えよう、抑えなきゃ!と続けた代償に、沢山笑えたはずの機会をずっと逃してきました。もっと言うと楽しい事や喜ばしい事に気付かない、あるいは気付くことすら出来ませんでした。

無理やり基準を「大人らしく」にしたがために、それを求められていると勝手に勘違いしたために、楽しむ事にまで蓋をし始めたんです。

何かあっても感情が動かされないように、必死で空っぽの自分を押さえ込みました。
いつだって身構えて、「くだらない」と吐き捨てることに必死
沢山の楽しみがそこら中に落ちていた事に全く気付けなかったんです。

自分の「基準点」からなるその価値観こそが「くだらない」ものだった事に気付けば、すぐにでも変われたのに、かなり長い年月を凝り固まった「大人らしくいなきゃ!」に、私は執着していました。

しかし、それだけでは終わりませんでした。私は、感情を抑えるよう我慢をし続けた結果、限界を向かえ、感情を抑える事が出来なくなり、常に怒り、常に悲しむようになり、楽しむ余裕なんて全く無くなりました。

では、あの時の私はどうしたらよかったんでしょうか?

基準は自分で作っている


価値観を形成する心の基準点は私達自身で作り上げたものです。そしてそれは、生きる上で「良い悪い」の判断をするため必要なものです。

しかし、自分で作り上げた価値観なら、自分で変える事が出来ます。
私達が望めばいつだって、その基準点は選択可能なんです。

そうは言ってもどうしたらいいかは難しいものです。
ですので、私の価値観を何かの目安として使っていただけたらと思います。
「ちょっと違うかなぁ…?」って思ったらごめんなさい。

大人らしく暮らしつつ、子供のように楽しむ


私自身が幸せだなぁ、と感じ始めた時、以前との変化を考えてみると、目の前の楽しいことに気付き始めたからだと思います。
そして楽しい事が増えた結果、こうしたらいいんじゃないか?ということに気付いたんです。

「大人のように暮らしつつ、子供のように楽しむ」
もしくは
「責任を果たす大人になった子供」

どちらも同じような意味ですが、
この基準は、皆さんそれぞれでいいと私は思っています。
もし、今何か我慢しているなら、我慢をしなくても良い場所に基準点を置いて、そこから自分の価値観を見出してあげることが大切なんです。

ひとたびつらくなった時に「そうだ、楽しむんだった」と戻ってこれるような安心できるものがいいですね。

幸せを感じ始めたとき、私自身の環境は何も変わっていませんでしたが、不幸を感じていた時とはうって変わって、まるで世界が変わったように感じました。

良く笑う事で、身近にいた大切な人に感謝をし、自然を愛し、誰かの助けになりたいと思うまでになったんです。
当時のままだったら、きっと今ある素敵な世界にいる事が出来なかったと思います。

そして今は、ありがたい事に今は仲間が増えました。私が不満を抱えなくなってから、次第に身近な人達も変わり始めたように感じます。

何も感じないように抑えていた気持ちを楽しめることに向け始めた結果、私の価値観は変わり、そして私だけでなく周囲も変わっていったんです。

当時「私」にだけ向いていた関心は、今となっては「私達」に変わっています。

私達の心の基準点で見える世界も変えてしまいます。
せっかく私達は生れ落ちたんです。
ものの見方が選択可能なら、自分で選んでしまってもいいんです。

今日のあなたの1日が「世界」が変わって見える1日である事を願って。
読んでいただきありがとうございます!

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