事実はなぜ意見を変えられないのか?

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人間関係

こんにちは!幸せマンです。
今回は、事実はなぜ意見を変えられないのか?について心理的な話から見ていこうと思います。誰かを「説得」しようとした時、上手くいくことって少ないんです。特に反対意見の人に伝える時は顕著ですよね。今回は欧米のいわゆる知識階層ではわりとスタンダードな話をしていこうと思います。

では、早速いきましょう!

説得はうまくいかない


私達は自分と相手の意見が食い違った時、自説(自分の主張)が正しいと思った時に、相手に自分の意見に賛同してもらおうと「説得」をする時がありますよね。

私達は自分の主張にいかに根拠があって正しいかを証明するために尽力します。
話の筋道が通るように「これこれこうだから、結果こうだよね?」と自らの論理を矛盾する事無く説明しようとします。

そんな時私達は
「矛盾の無い筋道の通った話ができたな!これで相手もわかってくれるだろう!」
と思ったりします。

しかし、
どれだけその話の筋道が通っていたとしても、結果を見てみれば相手の気持ちがより離れただけになったりする、なんて事が良くあります。

そうなんです。
大抵の場合は「説得」って上手くいきません。
特に気持ちが離れているもの同士の話は、話せば話すほどに距離が開いていきます。

これはなぜなんでしょうか?

説得より納得、納得より共感


ここでひとつ例を出してみます。
会社に向かう途中
目の前で2人の人がなにやら広場で演説しています。

1人の人は、淡々と抑揚も無く目の前の原稿を読みすすめます。
「え~、こちらのデータによりますと、○○によって△△になります。であるからこのままですと…」

もう1人の人は、必死で何かを訴えかけています。
「このままではいけないんです!これから変えていかなきゃいけないのです!!どうかお力添えをお願い致します!」

私達の朝は忙しいので、
初めて目にしたこの2人に対し、私達はおそらく「なんか言ってるな?」くらいしか思いません。

しかし、その日から2人は毎日演説をするようになりました。

淡々と読む人は相変わらず何かのデータを基にこれまた淡々と。
必死で訴えかけてくる人は、声をからして必死です。

さて、そんなこんなでとある午後。お昼ごはんを広場で食べようとした時、その2人はまだ演説をしていました。

この時「ご飯を食べながら程度であれば、話を聞いてみようかな?」と思うのはどちらでしょうか?

おそらく直感的には、「必死で訴えかけてくる演説者」の話を聞くと思います。

今の例え話の中で具体的な演説の内容は出てきてはいませんが、その熱っぽい演説によって、私達の心にちょっとした変化がある事を感じてもらえたなら幸いです。

この話の見出しに
「説得より納得、納得より共感」という名前を付けたんですが、これが紀元前から言われていて、欧米の知識階層ではよく言われている、「人の心を動かす」方法です。分かりやすい例が、とある国の代表を決めるような演説などの「自信をもって情緒豊かに演説する」場面を海外では特に見ますよね。

つまり、どうも私達は「その内容」より「その心意気」をまずは優先する。
という事が言えそうです。

共感を得ることが出来なければ、話を聞いてもらえないんです。
その熱っぽい演説は、「何か大切な事を言っているんじゃ?」と思わせる可能性が高まります。
少なくとも淡々としているよりかは、です。
いかに内容が事実に則していようとも、話を聞いてもらえない事には、支持を得る事はかないません。

相手に意見を聞いてもらえていない


共感を得ることが出来なければ、話をちゃんと聞いてもらえない。とすれば、
もっと身近な例で、意見が対立するような場面において「納得や共感」を得るためにはどうしたら良いんでしょうか?

特にお互いが自分の主張に間違いが無いと思っているときには、互いに「説得」しようとしているので、まず間違いなく上手くいかないですよね。

どれだけその意見が正しかろうが、「分かってもらう準備」が整わなければ、聞いてもらえないどころか、心の距離は離れていきます。

じゃあ、どうしたら良いのかというと
「相手の意見に共感しにいく。」

これに尽きると思います。

そもそも意見というのは多様であって良いものです。
その多種多様な意見を、意見の1つであると認めるから、信頼は生まれ、話し合いがきちんとできるんです。

私達自身の意見を潰して相手の意見を鵜呑みにしてくださいといっているわけでは無いんです。
話をするために、話を聞くという事です。

もう1つ、心理的な話をすると、
私達は自分の意見、というものを少しだけ過大評価してしまう時があります。相手の意見を一度聞くという事は、私自身の意見が「独りよがり」でないか?の確認も出来ます。

さて、今回の記事で一番言いたかった事は、実は上でお話した「人の心を動かす」方法ではありません。
悪い意味で人の心を動かそうとしている人が沢山いるよ」という話です。

ここからが、全てを踏まえてうえで読んでいただきたかったことです。

実際はどうなんだろう?という力をつける


誰かの話を聞くような「共感」については、私自身も良い面が多いと思っています。
しかし、実際にはこの「共感」を悪い方面に使ってしまう人がいるのもまた事実です。

先ほどもいった通り、欧米等ではわりかしスタンダードな方法であるが故に、
「民意を動かすための有効な方法として」
良いっぽいことを言うだけの人を生み出してしまっています。例えば演説中に涙を流しながら、必死で訴えかけられたら、それを見た私達は「これは公然の場で言えないような何かを我慢していらっしゃるのではないか?」と勝手にその想像を膨らませます。

しかし、それがどれだけ感情に訴えかけてこようとも、
「じゃあ、実際はどうなんだろう?」と自分で考えるクセは重要だと思います。

いかに情熱がこもっていようとも、
それが私達を良くするとはかぎりません。

先ほどの例で言えば、
熱っぽい演説者は、もしかしたら熱っぽいだけで中身は無いのかもしれません。
淡々と読み上げる演説者は、もしかしたら必死で調べ上げたものを演説しているかもしれません。

でも実際は、ちゃんと聞いてみないことには分からないんです。

世の中には沢山の「良いっぽいこと」が溢れています。

もし、「これは良い!」と思ったことでも、状況が良くならないのであれば、一旦見直してみるのも手だと思います。

これは私の記事も勿論例外では無いんです。
色々と記事にはしていますが、必ずしも万人に合うとは限りません。

あなたに害をなすのであれば、捨ててしまってかまわないと思っています。
どれだけ熱がこもっているか、では無く、それが実際に自分の助けになるかどうか、なんです。

私は私が救われた方法と、これはいいな!と私自身が思う事を記事としてまとめています。良かれと思い、皆さんが「見てよかったな!」と感じてもらえそうなものだけを記事にしています。

さて、では私の記事の内容は実際どうなんでしょう。

今日のあなたの一日が「共感することの大切さ」と「実際はどうなんだろう?」について考える一日である事を願って。
読んでいただきありがとうございます!!

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