私達がここに存在する意味

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生き方

こんにちは!幸せマンです。
今回は、少し大きな話題で「生命ってなんだろう?」という話です。私達がここに存在しているのは、偶然なんかでは無いんです。という内容で今回はご紹介していこうと思っています。ちょっぴり哲学チックな話から、生命とは何か?を探ってみたいと思います。

では、早速いきましょう!

生命ってなんだろう?


全ての生命は細胞からなっています。生き物と呼ばれるものは全てこの「細胞」によってその形を成しています。
どの生命も始めは1つの細胞がどんどんと分裂して、例えば私達人間のような複雑な形を作り上げています。
そうして、たった1つの細胞から始まり、数え切れないほどの沢山の分裂を今尚繰り返すことで、私達はこの身体を維持しています。

この世界に存在する全ての生き物は、「細胞からなる生命」です。

そんな「生命」を宿した私達って一体なんなんでしょうか?

これまでも「生命とはなにか?」について考えた人はいるんです。
1944年。エルヴィン・シュレディンガーさんは著書「生命とはなにか?」によって
生命には説明できない何かがあり、その働きを説明するには、新たな物理的な法則が必要かもしれないといいました。

その数年後、生物学者のJ・B・S・ホールデンさんは同じく「生命とはなにか?」という名の著書によって、
「生命とはなにかを断言する事は難しい。完全な答えがあるかさえ疑問だ。」と言いました。

その後も様々な人が、「生命」について考え、論じてきましたが、その答えはまだ分かっていません。
しかし、今ある事実から考えてみると、少なくともその片鱗は見えてきます。

その事実とは、
「自分という生命」は今確かに存在し、「自分以外の生き物」とコミュニケーションが取れている、という事です。
つまりは「自分」も「誰か」も「他の生き物」も今ここに存在している。
これは紛れも無い事実です。

この、「今存在している」という点から、少し掘り下げていこうと思います。
なぜ、私達は今ここに存在できているのでしょうか?

自然淘汰


あらゆる生き物は3つのシステムを上手く組み合わせることで進化する事が出来て、実際に進化してきました。

その3つが
「生殖」「遺伝システム」「そのシステムの変異」です。

世代から世代へ、その遺伝子を受け継いでいき、その過程でほんのちょっとの変異が起きていきます。

変異というと、例えば「突然変異」のように、なんだか悪いもののような気がしてしまいますが、一概にそうとは限りません。確かによろしくない変異もあれば、良い変異もまたあるんです。

そんな変異による進化が起こるのも「自然の厳しさ」があったためです。

自然というものはとても厳しいものです。
その自然に適合するよう変異したものは生き残り、
その自然に適合できなかった変異は生き残る事が出来ませんでした。

厳しい自然の中、様々な生命が次世代へと繋がる反面、繋がる事の出来ない生命や種もまたあったんです。

そう考えるなら、今現在に生きる全ての生命は
「遥か昔から続いた自然淘汰を耐え抜き、今現在の最も適合した姿で存在している。」という事が出来ます。

とするならば、今ここに存在する私達は皆、最高の姿を持っているんじゃないでしょうか?

私達は最高の姿で、ここに存在している


私達の身体は常日頃、この身体をできるだけ維持するように活動しています。
過去の災害や災厄を乗り越えた、勇敢な先祖たちの意思と身体を脈々と継いでいます。

懸命に受け継がれた「生命」が私達なんです。
「自然淘汰」を生き抜いた、最高の姿でここに存在している、という事に気付けるのは、おそらく私達人間だけです。

「ここに存在する事自体が素晴らしい」という事を私達は知らないがために、争う要因を自分たちの手で作り上げ、憎み合います。その争う要因は、社会全体で押し付け合っている「評価」の波に、自ら飛び込んでいることです。

例えば
世間や社会が決めている「容姿や気質に対する評価」は、人間同士の傲慢な決めつけだと、私自身は感じています。
容姿に関しては、時代と共に変わっていく不確定なものであるし、気質に関しても決まりきったものでは無く、多くの場合その時の環境や考え方がその気質を左右しています。

そんな「世間の評価」から離れてしまうと、本当に楽になります。

誰かより優れている、誰かより劣っているというように感じるのは
その時々の「世間の評価」の中に身を置いてしまうからです。
しかし実際は、その時々の社会システムによって変動する、なんとも頼りなく、それでいて個人を傷つける事さえある、ただの「評価」です。

誰しも優れているから、ここに存在しているんです。

この存在の評価や価値を決めるのは、世間や社会では無く、私達一人ひとりです。

自分の欲しいもの、したい事は「周りが良いと言っているから」と求めた時より遥かに価値があります。

いつか来るであろう
私の人生の終りには
「ああ楽しかった!幸せだった。」と必ず言ってやります。

そのためには「誰かを傷つけたり、怒りを覚えたりしている場合では無い」んだと気付いてからは、
私がここに存在している事はとてもありがたい事だと気付いてからは、

とても幸せを謳歌しています。

不思議なもので、今では窓から見える景色も違っています。以前は何の変哲も無いただの毎日見慣れたものだった風景も、最近は空を見ても、植物を見ても、虫さんを見ても「最高かよ!」と思っています。

生命とは
今ここに存在している、最高の姿を持った「生き物達」なんじゃないでしょうか?

今日も太陽はまぶしいです。

今日のあなたの一日が「生命の素晴らしさ」を実感する一日である事を願って。
読んでいただきありがとうございます!!

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