今回は、全ての人に好かれる事はできないという話をご紹介します。誰かから嫌われるのが好きな人なんかいませんが、残念ながら私達がどうあろうとも良く思われない事があります。心の優しい人ほど疲れてしまう現状に対して、少しだけ楽になってもらえるような話が出来たらなって思います。
では、早速いきましょう!
他人を怒らせてはならない
私達は大きくなるまでに「他人を怒らせてはいけないよ」といわれて育ってきました。
確かに出来れば誰も怒らせることなく平穏に暮らしたいと私自身も思います。
ですが、この言葉を守り続ける事には大きな問題があります。
その問題が
「相手が怒らせないようにするためには、常に誰かに従わなければならない」という事です。
もし、私達が絶対に誰も怒らせぬように暮らしていったとした場合、怒る相手に対してだけでなく、誰に対してもただただ従う事を強要されるような感覚に陥ると思います。
怒らせそうな発言や行動には、細心の注意を払って、私たち自身が制限をして生きていく事になってしまいます。
そうなってしまえば、常に気を張った状態で暮らしていかなくてはならないので、誰かに会う事自体がどんどんと苦痛に感じてしまいます。
それでも、「私が我慢すれば良いんだよね。」と考える、とても心の優しい方もいらっしゃると思いますが、その優しさを持ってしてもどうすることもできない事があります。
2つの意見が出たときどうにもならない
例えば
Aさんが「こうしたい。」といった時に、Bさんから全く違う「いや、こっちの方が良い。」という反対の意見が出た場合に「他人を怒らせない」を実現するために、どうしたら良いでしょう?
仮に内心、Aさんの意見が良いとは思うけど、Bさんも怒らせたくない場合、私達は必死になってお互いの面子を保とうとします。
私達は「確かにAさんの意見はとても良いですね。ですが、Bさんの意見も一理ありますよね。うーん、難しい問題ですね。」とBさんもたてようとします。
そんな気持ちも知らずに、AさんとBさんはどっちつかずの私達にやきもきするかもしれません。
長い話し合いの結果、結局結論が出ずにAさんもBさんも疲れた様子です。
しかし、おそらく一番疲れたのはそれを取り持った私達です。
この話し合いの結果、私達に残ったものは「我慢を沢山した上に、どっちつかずだと責められ、挙句とても疲れる。しかも問題は解決していない。」という状況です。
こういった意見が割れるような事はしばしば起きますよね。
そのたび徒労感と後に引きずるような問題が残ってしまい、更に誰かに会うのは面倒だと思うようになってしまうかもしれません。
この時、私達はどうしたらよかったんでしょうか?
もう誰かの責任は背負わなくて良い
「怒らせたくない」という思いを強くした結果、私達が疲れてしまっています。
それも皮肉な事に、気配り出来る心の優しい方であるにもかかわらず、そういった方ほど、こうした事態が起きてしまっています。
じゃあ、どうしたらよかったんでしょう?
ここから少し厳しい話になってしまいますが、ご了承ください。
現実を直視した場合、こう結論が出ると思います。
それが
「全ての人に好かれるという事は実現出来ない」という事です。
私達はどこかの段階で「全ての人に好かれる事は出来ないという事」を認識してしまったほうが良いと思っています。
私達は日頃、責任という名の重荷を誰しも背負っています。ですがその重荷は必ずしも「私達が背負わなければならないもの」ではない事があります。
そもそもとして、「相手が怒るかどうか?それをどう捉えるか?」は私達がどれだけ気を配り、その重荷を背負ったところでどうする事も出来ないものです。
どうする事も出来ない事を私達が背負う必要はないんです。
私達が自分に嘘をついてしまったなら、その嘘で苦しむのは自分です。
私達に課せられた「責任」は「自分を幸せにする事」です。自分の一番大切な部分を蔑ろにして、置いてけぼりにするから、誰かの意見に右往左往し、自分の意見ってなんだっけ?となってしましまいます。背負うべき責任は、まずは「自分を幸せにする事」です。あなたに余裕が生まれた時初めて、周囲の人への幸せを願うことができ、社会貢献をも目指すことができます。
あなたが優しいばっかりに自分以外の責任を背負い、肝心の自分の責任を背負い忘れています。
ですがもう、誰かの責任をあなたの優しいその背中いっぱいに背負って疲れなくて良いんです。
その誰かの責任は、その誰かに任せてしまって良いんです。その重荷の押し付け合いをしないで、一人ひとりが自分自身の責任を背負ったなら、そこまで重くなくなっていきます。
特に今まで沢山背負っていた人程、「こんなに軽かったのか」と実感します。
それを軽く感じた時、初めて他者への思いやりを持つことが出来ます。自分を思いやった結果、それが誰かへと広がり、大きくなっていくんです。
いきなり「はい。やめます。」というのはなかなか難しいかもしれませんが、
私達が自分の信じた真っ直ぐで素直な発言や行動を、一切押し付けることなく「私はこうしたい。」と進めた先には、ちゃんと待っているものがあります。
あなたの真っ直ぐで素直な態度は、きっとその以前よりも多くの人の心を掴みます。
始めは賛同する人は少ないかもしれません。
しかし、あなたの周りはあまりにも居心地がいいものだから、少しずつあなたに賛同する人、「素直でありたい人」が集まり始めます。
それもこれもあなたが意見を押し付けることなく、皆を認めた結果です。
それでも、あなたを良く思わない人はいると思います。
ただ、どちらにしてもそういった人がいるからこそ、私達は私達に向き合って素直に生きた方が気持ちは晴れます。どう生きていっても良く思わない人が現れるのならいっそ、素直な方が良いんです。思いやりを持って素直に真っ直ぐに歩んでいたなら、何を言われようがあまり関係が無くなります。
人は不安が大きくなると、時に「自分と同じ不幸を味わって欲しい」と思ってしまう事があります。たとえ、不幸に引き込んだとしても自分自身の環境が変わる事が無いのにです。
これには心のどこかで「おんなじ不幸の人」が自分のもとにやってきてくれた事による一種の安心感のようなものを感じたいと思ってしまうところがあります。
どうせなら、自分が楽しく生きて幸せを感じて「おんなじ幸せの人」を自分のもとに呼び込むように、皆を幸せにする事の方がどうあっても良いです。
嫌われる勇気を持ってくださいという話ではなくて、好かれる勇気を持ってくださいという話です。
周囲の幸せを願うなら、先ずは私達から始めた方が、可能性が高いものと私は強く感じています。
「誰かを怒らせてはいけないよ」というものの真意は「悪意を持って人を傷つけないでね。思いやりを持って真っ直ぐ生きてね。」というものなんじゃないかと思っています。決しておじいちゃんもおばあちゃんもご両親も「怒らせるくらいなら、自分の意見を持つな」とは、言っていないんです。
今日のあなたの一日が「好かれる勇気」を持つ一日である事を願って。
読んでいただきありがとうございます!!