自信ってなんなんだろう?

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人間関係

こんにちは!幸せマンです。
今回は、自信を取り戻し、自信を作り上げるための内容をご紹介します。自信ってなんだろうと考えた時、なんとなくフワッとしていますよね。そんなフワッとしたものを確固たるものにするべく、今回の記事でご紹介出来たらなって思います。自信というものをどなたであっても持つことが出来るよう願いつつ

では、早速いきましょう!

自信ってなんだろう?


私達は自分に自信が無いとき、優しい誰かから「ほら、大丈夫だから自信を持って!」と言われても、なかなか自信というものを持てないものです。

または自分自身で「よし!自信を持とう!」と考えている時、なんとか自分を奮い立たせたり、落ち着きを取り戻そうとしますが、やっぱり上手くいかないですよね。

こうなってしまう原因は、「自信というものがなんなのか?というものが、とても掴みにくいものだから」だと思います。
また、「自信は、それ単体では存在しえない」んじゃないかとも思っています。

ちょっと分かりにくい言い回しになってしまったんですが、つまり
「自信を持ちえるだけの【何か】があって初めて、自信なるものは生まれてくる」という事です。
自信というものはその場で即座に、パッと生まれているものじゃなくて、何かをした結果や過程に伴って少しずつ私達と一緒に育ち始めるもの、って言ったほうが分かりやすいかな、と思うんです。

そうはいっても、今回は「だから、何か偉大な事を達成しましょう!」的な内容ではないので、安心して読んでいただければと思っています。

今日はそんな「自信」について、少しだけお付き合いいただけたら嬉しいです。

それは偉大な事なんかじゃなくて良い


先ほど「自信を持ちえるだけの【何か】があって初めて、自信なるものは生まれてくる」
と言いましたが、これは誰もが唸るような立派で偉大な事なんかじゃなくても良いんです。

むしろそれが偉大かどうかはあまり関係がないと思っています。

例えば、
多くの功績を残し、周囲から、世間から賞賛をされても、思い悩んでしまう人はいます。
これだけの事を成し遂げたのに、皆から愛されているのに、本人は自信がない。
という事があるのは、少なからず耳にすると思います。

こういったことが起きてしまうのは、「自分自身を過小評価してしまっている」からです。

「自信」とは、読んで字のごとく「自分を信じること」です。
もうちょっと具体的に言うと「自分がやってきた事や、今現在の自分を信じる」という事です。

かっこの良いものでなくても、立派でなくても、偉大でなくても
「これで良いのだ」と心から思えた瞬間から、自信というものは生まれ、そして少しずつ育ち始めます。

そういう意味では、社会に向けた大きな成果より、自分が認めた小さな成果の方がよっぽど自身に繋がります。

「根拠のない自信を持つ人は強い」と言われる所以は、厳密に言えば根拠がないわけでは無く、今現在の自分であれる事に対し自分を認め、信じてあげているから、自信を持っているんです。

自信を失った時の話

ここで少しだけ、「自信」を失った時の話をします。

私自身が悩んでいた際は「人の為に尽くす理由は、私の存在を認めてもらいたいから」という気持ちがとても強かったと思います。正直に言うと、当時の私は「承認欲求」の為に生きていたと思います。

自分で言うと薄ら寒いですが、それ以前の私は比較的「優しいね」と言ってもらえる事が多い人間でした。
学生時代は、誰かに尽くせば感謝されたし、私もそれがとても嬉しかった事を覚えています。
そんな当時の私の「自信」を作り出していたのは、今思えば「認められている」という実感によるものでした。

しかし、穿った見方をすると私は「認められたいから、優しくしてた」んです。

しかし、就職をしてからはこのサイクルが上手く回らなくなりました。
成果を残しても認めてもらえないどころか、嫌味を言われるような事が仕事では良くありますよね。
また、優しくしてもそれが帰ってきません。

今回は「認められたい」について書いていきたいので、そのほかの部分については触れないで行きます。

そんな事を含めたいろいろなストレスを長い間続けたある時、私は遂に壊れました。
ギリギリで保っていた気持ちは、完全に折れてしまいました。

寝ても醒めても気持ちが前に出なかったんです。
そして「認められないなら、優しくしない」になり、それはどんどんと加速しました。

自信の源を「誰かに認められること」で得ていた私は、その自信を保つことが出来なくなり、その結果気持ちは完全に裏返り「世の中ってクソだわ」と考えるようになりました。

それまで積み上げてきた「自信」がもう上手く積み上げられませんでした。
他のやり方を知らないがために、何にもなくなってしまったような途方もない気持ちでした。

ですが、私は運よく心理学などに出会い、解決法や対処法を得ることが出来たためにそこから何とか回復する事が出来ました。
いやむしろ、以前よりも遥かに「折れない心」と「自信」を手にする事ができたように思います。

私はまだまだ半人前ですが、それでも以前とは比べ物にならないくらい幸せです。

ゼロになった、というよりマイナスになってしまった気持ちを、再び積み上げさせてくれたのは、「自分を信じる」という積み重ねでした。

自信を再び積み上げる、今度は別の方向で


「認められないなら、優しくしない」という思考に陥っていた頃の私は、はっきり言ってしまえば
「私自身が自分の存在を認めていなかったがために、誰かに認められることを求め続け、そのために懸命に頑張っていた」んです。

自分を信じていなかったがために、「自信」がなく、その穴埋めを「誰か」に頼っていました。しかし、その「誰か」は自分が思うような穴埋めをしてくれなくなって、その結果「なんにもない自分」だけが残ってしまったんです。

私がすべき事はその穴埋めを「誰か」に求めるのでは無く、「自分」で自家発電する事でした。
そっちではもう積み上がらないという事を自覚し、別の場所で積み上げる決意をしたんです。

そう思っても尚、順風満帆ではありませんでした。
正直に白状すると、過去の記憶の残った0歳児みたいな気持ちでした。
上手くいくこともあるし、上手くいかないこともありました。
ただ、
「全体的に見れば着実に前に進んでいっている。」
「こんな私でさえも変わっていけるんだ。」

この実感が、私自身を信じる気持ちに変わっていきました。そこからだったと思います。私が笑顔を思い出したのは。

心理学や脳科学に頼りつつ、その考え方をひとつひとつ実践しながら、運動もしました。

最初はどれも苦しく、どれもしんどかったんですが、ひとつひとつの考えや行動が私に以前とは違う形の「自信」を形成しました。

その結果、睡眠時間も、日々の笑顔もどんどんと増えたんです。
1から、いえ、マイナスから「自信」を作り上げる事が出来たんです。

これは初めて言うかもしれませんが、随分気持ちが上向いた際、頭の血管から「じゅわぁ~」という音?というか感覚?というか、とにかくそういったことがありました。

あれについてはよく分かってないんですが、脳は働く際に血流を使用するので、おそらく脳が「おはよう!」と言いながら、働き始めた瞬間だったのかな?と思います。

その先を目指し、進んでみよう!

考え方や行動を実践すると、元の場所に帰りたくなる時がきます。
社会心理学者クルト・レヴィンさんの言うように、新しい考えを取り入れるときに、組織も人も「混乱」する時期を迎えます。しかし、何度も失敗しながらそこを乗り越えた先には、しっかりと「自信」が待っていましたよ。

だから、

もし今が辛いなら進んでみようよ。
ここからまた、積み上げていこうよ。
その先にある「自信」は、ちゃんと待っててくれているから。

これは大げさでも何でもなくて、私自身がもう長い事
「認められたいから、優しくする」からは脱しました。

不思議なもので、かつては「とにかく褒めて!」という気持ちでいた私みたいな人間であっても、今となっては「過剰に褒められるのが苦手」になりました。

多分「自分を信じている」からもうお腹いっぱいなのかな?と思っていますが、これについてはよく分かりません。
ただ、今私はものすごく楽に生きています。

私は科学に救われましたが、「自信」を持てるのなら、正直なんだって良いと思います。
私はブログの他、ツイッターでも発信していますが、

この目的は「自らの主張を皆に知らしめたい!」からでは無くって、
「こんな考え方で私は悩みから抜け出しましたよ!使えそうだったら使って見ると良いかもしれません!」と言った感じなんです。

クルト・レヴィンさんの心の辿る3つの過程については、リンクを貼って起きますので、良ければご覧になってみると良いかもしれません。

今日のあなたの一日が「自分を信じる」一日である事を願って。
読んでいただきありがとうございます!!

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