今回は、「人の本性の核心」についてです。前々回に「人の本性は善か悪か?」の考え方について、また前回に「2つの科学によって示されたことの実態」についてを見ていきました。そして今回は、人類の歴史で言われていることの実態、そして何が戦争を作り出しているのか?について順にみていこうと思っています。
では、早速いきましょう!!
人類の画は天使か?悪魔か?
前回、前々回の記事で「人の本性」について「考えの生まれ」と「科学の実験」を通して、少しずつお話を進めてきましたが、今回はまず、大きな視点で人類史全体を見ていくことにします。
さて、人類の歴史は地球の歴史に比べるととっても浅いものです。とはいえ、私達人間からすれば途方もない時代を積み上げてきたこともまた事実です。
とある時代にホモ・サピエンスとして私達は偶然進化し、ホモ・サピエンスとしての歴史を紡いできました。
歴史の本などには「人類は古くから争いを繰り返し、今の時代へと発展してきた。」的な記述が散見されますが、それはどういった根拠を基に語られるのでしょうか?
タイムスリップして見に行けたらすんなり解決しそうですが、そういうわけにもいきません。じゃあどうしているかというと、遥か昔に暮らしていた私達祖先の残した書物や、もっと昔の道具の発見や、骨を分析することで「その時代では何があったのか?」を考察することがそれらの解釈を生むことに一役かっています。
つまりはパズルのピースが一つ、また一つと手に入っていき、そのピースを並べた時に「全体の画」は一体どうなっているんだろう?と推論や仮説を立てていくことで、こうだったんじゃないか?いやいや、こういう事だろう。と考えていくんです。
という事で先ずは、今回は現時点で見えている「人類の全体画」を見直していこうと思います。
その全体からなる人類の画は「天使か?はたまた悪魔か?」
偉大な心理学者スティーブン・ピンカーの解き明かしたもの
偉大な心理学者スティーブン・ピンカーは自らの著書『暴力の人類史』の中で、人類史のパズルのピースの大きな部分を提示しました。
その本の中で何を示したかというと、
「人が人に対して暴力をふるった形跡」です。
ピンカーは祖先たちの「骨」を調べた結果を統計にして自らの本に載せました。
その結果を先に行ってしまえば
「遥か昔、暴力によって頭蓋骨などに致命的な損傷を受け、亡くなったであろう方の割合は15%。」という事を示しました。
つまりは「祖先の頭蓋骨を調べたら、道具を用いて殴られたような痕跡が15%もあった。」という事です。
この数字が多いか、はたまた少ないかがピンとこない人のために、別の比較要因を出すと、
2つの大戦を含む20世紀最大の暴力の死者数は3%。
そして現代社会は1%です。そして戦争を含む過去100年は1.3%です。
つまりは「文明がほとんど築かれる前に、暴力によって亡くなった方は現代社会よりはるかに、それもとんでもなく多い」という事です。
ここから考えられることは
「人は文明化によって自由の制約を受けたが、その分身の安全が保障された」
「国や社会制度によって人は初めて理性的に生きていける」
と言った、前々回の記事で取り上げたホッブズが正しいようにも見えてきます。
じゃあ、人の本性はやっぱり悪なんでしょうか?
ピンカーの調べは事実ではあるが、偏りがあった
「祖先の頭蓋骨を調べたら、道具を用いて殴られたような痕跡が15%もあった。」
これはち密な調査によって統計的に示された事実なんです。
つまりは人が人に対して暴力をふるったことは疑いようもないんです。
ですが、近年の調べによってピンカーの統計には「偏り」があったことも言われています。
ピンカーの研究対象になった時代は主に、農業が始まった「混合文化の時代から」でした。
この時代は、定住をしようとする農村民と、移動しながら生活をする狩猟採集民が混在する時代です。
私達祖先は奇しくも定住することで「私有地」のようなものを手に入れましたが、その反面守るべきものが多くなりました。
安定した食糧の確保とそれによる人口爆発の代償に、食糧の絶対数量の増加、奪われる不安、天災による飢饉、長大になった労働時間などが生まれました。
人は「私有地」を得たとともに「より多くの大切な仲間」も得ました。
この「仲間意識」は、人々をより強くし結託させるものである反面、その外側に対する「敵の意識」も高めます。
また、所有による安定が、奪われる不安を大きくもしました。そんな不安に対抗するには、自らの属する集落を大きく、そして強くする必要がありました。
よくよく考えれば、その場にある土地や食糧が「私有地化・私有財産化」していることを狩猟採集民は知りません。集落を作る農村民と折り合いはつきづらいのはなんとなく想像に難くないんじゃないかと思います。
狩猟採集民からすれば農村民はよく分からない事を言い、
農村民からすれば狩猟採集民は勝手にモノをとっていく悪党に見えるかもしれません。
また、もっと深刻なのは農村同士で飢饉に見舞われた時かなとも思います。
狩猟採集民のように移動すればいいんじゃ?と考えてしまうところがありますが、先程言った通り、人口は増大し、簡単には移動できません。
また農村民として長く暮らすうちに、狩猟採集民時代のノウハウはいずれかの時代でなくなってしまったことも予想され、農村民には「明日の暮らしの保証」が無いように感じられたことと思います。
人は不安に敏感であり、その不安が大きくなれば本来優しかったであろう気質は、怒りや嫌悪に覆い隠されることもあります。
基本的には争いたくない、毎日が穏やかであればいい。だがしかし、仲間のためにそれを奪うものがあるのなら、人を傷つける苦しみを耐えながら、守るために闘わなければならない。それ以外の選択肢がもはや失われている。
たとえ相手が必死の形相であっても、やらねばならない。
つまり「争いの始まりは私有財産の始まり」だった可能性が高いんです。
ピンカーさんの著書に対し、人類学者ダグラス・フライは、更に表記の上でもいくつか正しくない個所を指摘していて、ついには厳しくこう言います。
「科学的客観性があるように見えるが、これは幻想である。」
ピンカーの調査は事実ではありますが、偏りがあることは確かです。
じゃあここから先はその「偏り」を無くしてみていきましょう。
私達がホモ・サピエンスとして生まれてから現代までの歴史を100だとすると、農業が始まった時代から現代までの約1万5千年の間は、「5」でしかありません。
私達は20分の1の歴史を見て、私達を見定めようとしますが、実際はもっと古く、そして穏やかな人類史があります。
混合文化以前の祖先たちの頭蓋骨
現在に至るまで、約400か所で発掘された約3,000を超える「混合時代以前」の骨が見つかっています。
農業をするために集落を作るもっとずっと前の私達祖先の骨です。それらを分析した結果示されるものは、
「人類同士で集団同士の争いがあった、という形跡は【一つたりとも】見つかっていない。」
これが定住化する以前の、人類の事実です。
また、私達の祖先はその他にもいくつかのものを残しています。
祖先たちは狩猟採集民だったがために、必要最低限の道具しか持たず、各地を転々としていたので、道具についてのほとんどの痕跡は残っていません。
それでも例外的なものとして、「洞窟壁画」があります。私達の祖先も絵を楽しんだんです。
その混合文化時代以前の絵の中に描かれているものは「狩りをする画」が多いんですが、「人間同士の争いを描いた画」はこちらも同じく「一つたりとも」見つかっていません。とすれば、争う事すら想定していなかった、ともいえるかもしれません。
反面、混合文化時代以降はその限りでは無くなっていきます。
つまりホモ・サピエンスという原生人類(私達)は
「元から争っていたわけではなく、争いの始まりがあった。」可能性があります。
そしてその始まりは、混合文化時代からの人類の痕跡と相関します。
また私達ホモ・サピエンスが他の人類を駆逐していった、とされる部分についてはあくまで考察でしかありません。
祖先の骨に争った形跡がないのだとすれば、最終氷河期によって厳しい食糧危機に見舞われた祖先たちは、食糧が無かったがために各地を転々としただけであって、それが結果として他の人類(他のホモ属)や他の動物たちの食糧を奪ってしまう形になった可能性もあります。あくまで可能性であって、定かではありませんが、こう言った考察も可能です。
もしくは世界各地のホモ・サピエンスが、ある日突然一斉に圧倒的な戦力を持って、他のホモ属との争いで一切の致命傷を負うことなく駆逐していった、とも考えることが出来ますが、これはかなり乱暴な考察ですよね。
極論、狩猟採集民は移動すればよかったのでお互いに大きな争いを起こすことは無かった、と考えた方が考察としては妥当ではないかと思います。
もちろん狩猟採集民を美化するわけではありません。怒り、嫉妬、嫌悪による小さな小競り合いはきっとあったはずです。人間が人間らしいのは、考える力はもちろんですが、感情も欠かせません。
ただそれら怒りなどの強い感情は決まって、何らかの「不平等」が影響していることだけは確かです。
それに、ごく少数の乱暴を繰り返す特質的な人もいたようです。
そういった場合は、先ずは追放した。という側面もあります。
また、近年の「部族」と呼ばれる人々。特に私達の文化の介入がない場合の人々は、非常に温和です。
例えば、第二次世界大戦中のアメリカの海兵隊員がイファリク島と呼ばれていた場所を訪れた際、そこに暮らす人々を「喜ばせよう」とハリウッド映画をいくつか見せてあげました。
しかしそれはそこに暮らす人々にとっては「おぞましい」ものでした。
映画の中では「暴力行為」が当たり前のように含まれていたんです。島民の何人かはあまりの恐怖に何日か寝込んでしまいました。
その後、とある人類学者がその島を訪れた際、
島民は
「アメリカでは本当に人に暴力をふるう人がいるのか?」と何度も尋ねたそうです。
世にいうところの「凶暴な部族」は、多文化の影響を受けたことによるものか、ごく一部の暴力を好む、部族の構成比からみても極めて少ない人々を、そこだけ切り取ったように公表しているものが調べれば調べるほど見つかってきます。
まるで、高度な文明を築いていない部族の方をそう思いたいかのように。
これらから察するに
小さな集落を二つに分かち、大きな争いをするより、移動してしまう事を選ぶのが、
そして争いを好まず仲間を大切にするのが、
ほとんどすべての私達が持つ「気質」である可能性は極めて高いともいえそうです。
そしてそこから私達がなんらかの進化をした可能性は極めて低いものです。
なぜなら私達の身体と精神は、進化することなく狩猟採集民のままだからです。
たった一万年強で、進化と呼べるほどの変化は起きないんです。
現に先人たちの骨からそれは示されています。
だとすれば、文明は私達にいったい何をもたらしたんでしょう?
戦争は、斯くも密やかに物語る
ようやくこの話題までたどり着きました。
長い文章をここまで読んでいただいてありがとうございます。
ここからは、人類史を語る上で、また「人の本性」を語る上で、切っても切れない話をしていきます。
それが「戦争」です。
ここ数千年の歴史の中で語られる多くの争いや戦争は、大抵の場合「〇〇軍と△△軍がかの地で戦いを起こし、そして〇〇軍が勝利した。」という記述で埋め尽くされています。
まるで、「一人ひとりが戦争での役割をしっかりとこなし、戦い尽くした」かのような印象を受けますが、実際はどうなんでしょう?
この辺りを探るため、先ずは第二次世界大戦の話をしていきます。
1943年11月22日。
太平洋のギルバート諸島、ブリタリタリ環礁(当時はマキン環礁と呼ばれていました。)では、後に「マキンの戦い」と呼ばれる、アメリカ軍と日本軍の戦いがありました。
日本軍に占拠されたこの土地を奪還すべく作戦は実行されます。
当時、アメリカ軍の大佐として同行し、歴史家でもあるサミュエル・マーシャルが、そこにはいました。
人類史上において、歴史家がこれほど近くで作戦を観察することは極めて稀なことでした。
結果としてその日のアメリカは敗走しますが、その原因を探るために、マーシャルの提案で兵士たちをグループに分けて話し合いをさせました。
また、本音で話をしてもらうためにこの時ばかりは「上官への口出し」が許されました。
その結果、驚くべきことが、次々と語られるその告白から分かります。
それが
「その日、アメリカのほとんどの兵士は一度も銃を撃っていない。」
という事です。
緊張感が走る最前戦の戦場で、
生きるか死ぬかの戦火の中で、
このようなことが起きました。
マーシャルはその後も同様の話し合いを各地で設けますが、
何度話を聞いてみても結果は同じでした。
そもそも実戦で銃を撃ったことのある兵士自体が15%~25%で、
そしてそれも上官が見ている間のみ、仕方なしに撃った事も分かりました。また相手に当たらないように撃つ場合も多かったようです。
射撃の名手も勿論いました。訓練では好成績を収める人も沢山その戦場にはいました。
また臆病だったわけでも、愛国心が無かったわけでもありません。
その証拠に戦線から逃げ出すものはいませんでした。
最前線にとどまり続けるリスクを負いつつも、想像もできないような恐怖の中。それでも、
彼らは人を撃つことが出来ませんでした。
マーシャルは1946年に『撃たない兵士』という本を残していて、今でも士官学校で読まれているようです。
ですが、その当時マーシャルの意見は激しく非難されます。
この頃は、「敵国の人々は凶悪である。」という見方が支配的だったんです。
兵士同士の話し合いは行われてなくて、全部マーシャルの嘘だと、大々的に報じられました。
ですが今では実際に話し合いがあったことは確認されているんです。
戦時中、イギリスの将軍だったバーナード・モンゴメリーはこう言いました。
「我が英国軍兵士の最大の欠点は、本質的に殺人者でない事だ。」
また、その後歴史学者さんたちが第二次世界大戦の退役軍人に話を聞いた際にも、その兵役を通じて半数以上が「一人も相手を倒してはいない」と語っています。
では戦時中、なぜ沢山の方が亡くなったんでしょう?
ここに2つの事実があります。
1つは、倒された敵国の兵士たちのほとんどは、「ごく少数の兵士によって重複して倒された」こと。
もう1つは、迫撃砲、爆撃などの「間接攻撃」により圧倒的大多数の兵士が倒されたこと。
その後も、マーシャルのような人々の発見によって、さらなる調査が成されました。その結果をご紹介していきます。
撃たない兵士と「撃てない銃」
1863年の南北戦争、「ゲティスバーグの戦い」において、後に戦場から回収された約27,500丁の銃のうち、90%は銃弾が装填されたままでした。
またその内、約10,000丁を超える銃から、弾が「複数個」装填されているものが見つかっています。
当時の銃は「マスケット銃」です。一発一発を装填しなおして、その都度撃つ銃です。
何発も装填してしまえば撃つことはできなくなります。
つまり、兵士たちは「弾を込める」フリを何度も繰り返していたことになります。
当然銃の扱い方は訓練されていました。
更に銃を実際に発砲した場合も、敵に当たらないように撃っていたことも明かされています。
私はこれら知った時、故人たちに想いをはせ、少し目が潤みました。
その他の戦いの調査を見ても、沢山の訓練を積んで、敵は完全なる悪であるとプロパガンダによる印象操作を受けた屈強な兵士でさえ、
「ほとんどの人は、人の命を奪えない。」
という事が見えてきています。
人はその歴史の中で、お酒を飲み、あるいは薬を使用して、自分の意識を少しでも今より遠くへ置いておくことで、なんとか奮い立って戦場に立っていました。
沢山の苦労と悩みを抱えながら、それでも戦地へと赴いたんです。
それでも敵を倒せない人がほとんどだったことは、あまり知られてはいません。
近年こういった事を含め、科学分野でも盛んに「メタ分析」が行われています。
簡単に言えば、「分析の分析」です。こういう結果が出たっていうけど、もう一回確かめてみようか、という動きがあります。
その結果、どんどんと明るみに出ている事柄が増えてきています。
そしてこれらは、その一端なんです。
第二次世界大戦中、最恐と恐れられた軍の話
第二次世界大戦中、優勢か劣勢かは関係なく最後まで戦う軍がいくつかありました。
特にドイツ軍はそういう意味では飛びぬけていました。
では、彼らは「どうしてそこまで戦えたのか?」というものを見ていきます。
第二次世界大戦の後に4,000人程のドイツ人捕虜との会話の筆記録を歴史家が発見します。
その筆記録から見いだせることを端的に言えば、
「仲間がともに戦っているから」
というものがほとんどの兵たちの心の中にある強い動機でした。
実際当時のドイツ軍は、新兵が入隊した際に、わざわざ軍を一度招集してその仲を深めました。
また、その筆記録の中で「政治的イデオロギー」に触れた際に兵士たちは
「ドイツ軍の本質が分かってない。」と答えています。
つまりは世界史上最恐とも言われる、あの惨劇を起こしたイデオロギーに感銘を受けて兵士たちは戦っていたわけではなく、「信頼する仲間を裏切らないために」闘っていたんです。一致団結していたのは「仲間との信頼」があったからです。
時に、真実の中には到底受け入れられるものではないものも含みますが、これは記録に残っている、ましてやそんな口裏合わせをする必要のない答えです。
また、あの残虐な歴史を肯定するものではありません。
ごく少数の強権的、支配的な人間は、人の優しさを逆手にとるようです。
だとすれば、
「ほとんどの人が本来優しい。しかし、時として善行に見せかけた悪行であっても、共にいてくれる仲間がそこにいれば裏切ることはできない。」
これが本質だと、私は思います。
クリスマスの休戦~戦場のメリークリスマス~
第一次世界大戦中の1914年12月24日から25日、イギリス軍とドイツ軍の戦いの中で、とあることが起きました。
24日の夜、ドイツ陣営では「きよしこの夜」が歌われました。それに呼応するようにイギリス陣営も今度は英語で「きよしこの夜」を歌います。
両陣営は互いに拍手を贈り、クリスマス前夜を祝いました。
そうして次の日のクリスマス。前線にいたイギリス兵士からドイツ兵へ、お互いに塹壕の中にいる状態で、言葉が交わされたようです。
「やあ、タバコでもどうだい?」
その後、「クリスマスの休戦」は起きます。
両陣営ともに、チョコやお酒、タバコの交換、記念撮影、両軍を弔う合同埋葬式などが行われ、なんならサッカーの試合も行われました。ちなみにドイツ軍が僅差で勝利しています。
そこで何が語られたのか、私には知る由もありませんが、その後の変化を見れば、答えが見えそうです。
その後、お互いに戦争中にも関わらず、密やかに作戦を明かすような文書が互いに送られます。
「近日中にこういった作戦がある。注意されたし。」
ですがこの変化は束の間でした。
両国の上層部指示の基、指示の無い休戦や密告のようなことをするものについては厳正に処罰され、結果、兵たちは再び戦火の中に身を置くことになります。
そして戦争は続いてしまいました。
両国の兵たちの心で生まれつつあったものは、希望の種は、その灯火は、これでもかと潰されてしまったんです。
過去は変えることが出来ませんが、私はこの件に関してどうしてもこう思ってしまいます。
「戦争はもっと早くに終わることが出来たんだ」と。
人が生来悪であるなら、クリスマスの休戦のようなことは起き得ないと感じます。
くだらない思惑や目論みさえなければ、少なくとも戦争は避けられたのかもしれません。あくまで戦争が避けられたかどうか?は、沢山の事実を見た「私の意見」でしかないものです。皆さんがどう考えるかは、私に決められることではありません。
さてこれまで、沢山の事例をもって数々の事柄について触れていきましたが、皆さんは「人の本性」をどちらだと思いましたか?
長々とご紹介してきましたが、ようやっと次で「人の本性」について、最後の記事になると思います。
次回、私達はこれらを鑑みて「現代人」として生きゆくために、必要なものは何か?について触れていきます。
つまりは「これからの私達」について、報道や社会の捉え方も含めて、事実と考察を含めた内容にしたいと思っています。
今日のあなたの一日が「人は人を傷つけることを本質的に嫌う」という事を知る一日であると願って。
読んでいただきありがとうございます!!