生まれか育ちか~遺伝と環境~

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生き方

今回は、生まれか育ちかについて、つまりは「遺伝か環境か」の問題についての内容をご紹介していきます。「性格についての遺伝の影響と環境の影響」について触れていきますが、これには多少ショッキングな内容も含まれます。しかしこれも科学的な根拠のある事実であります。また、そこからそれについてどう考えていったらいいのか?について触れていきます。

では、早速いきましょう!

遺伝の影響、環境の影響

その性格は、生まれ持った遺伝によるものか?
はたまたその性格は、育つ家庭や社会で培った環境によるものか?

この「生まれか育ちか」論争は、性格の部分については約50%が遺伝であり、残り50%が環境だということは今ではよく言われるようになりました。
つまりどちらも同じくらい大きな影響として、私達の性格を形成しているんです。

ここでひとつ、こんな研究があるのでご紹介します。

とある一卵性の双子がひょんなことから養子に出され別々の場所で育つ、という非常に稀な状態があったので、これを調査したものです。

これによって何を調べようとしたかというと、正に今回の内容である「遺伝と環境の影響」です。
一卵性の双子は、ほとんど100%同じ遺伝子情報を持っています。
だとすれば同じ「遺伝」の情報を持った双子達は先天的に生まれ持った気質は相違ないとして、その同じ気質を持った人が、別々の「環境」で育った場合はどうなるんだろう?
違う家庭や、違うコミュニティを経て成長した双子は、その性格に差が出るんだろうか?

ということを調べたんです。

これによって、ほとんど純粋に「環境から受ける性格への影響」を確認しようとしました。

この結果をどう見ればいいのか?


違う環境で育った双子にいったいどんな「性格の差」が生まれたんでしょう?

結果から分かったことは
「別々の場所で育ったとしても、一卵性の双子の性格は互いに極めて似通ったもの」ということです。

その結果は、多くの人が予想したものとはかけ離れ、実際かなりの物議を醸しました。

おそらく皆さんも
「このブログを書いている人は常々人は変わる、脳は変わると言っていたけれど、全て嘘だったのか?
「ああ、この人はいまだに悩み続けているか、本当は悩んですらなかったか、のどちらかだったんだ。」

こんな事を思ったかもしれません。

実際私自身もこれを知った時は衝撃でした。
「環境の50%はどこに行ったんだ?」
「なんら影響を与えないのなら遺伝ですべてが決まっているんじゃないか?」
「しかし実際に私は、学生時代は紆余曲折ありつつもそこそこに満足していたし、仕事によって大いに悩み、またそこからゆっくりと回復し、仕事の環境をそのままに、再び一から這い上がったのは確かだ。それに脳には変化の余地があるという研究は近年さらに増えているし、こちらも紛れもない事実だ。これらの事実はどう整合性をとればいいんだ?」

このように考え、また今まで知り得たことを加味した結果、見えてきたものがありました。

影響を与えるものたち


「別々の場所で育ったとしても、一卵性の双子の性格は互いに極めて似通っている」
この衝撃の研究結果は、理解してみれば、「ああ、それはあるな」と腑に落ちました。

環境の影響を全く諸共せず、遺伝が100%に見えるようなこの研究結果は、
「実際には環境の影響がちゃんと作用していました。」
約50%の遺伝の影響を基にして、残り50%の環境の影響もしっかり受けているんです。

つまりどういう事かというと
「現代社会の一般的な生活は、かなりしっかりとした基盤のもと成り立っているために、その環境から受ける、特に社会的、文化的な影響もまた似通っている。」ということです。

日常的に文化や教育などの影響を受ける双子はその中で、多かれ少なかれ、好ましい事や好ましくない事を社会から経験していき、大人になっていきます。誰であっても酸いも甘いも、いいも悪いも経験しているものです。

つまりは
「遺伝によるもって生まれた気質が同じで、かつ文化や教育が似通った結果、その性格もまた極めて似通ったものになった」ということです。

以前ご紹介した哲学者フーコーさんは、
私達は今後、見えない監視者に見られているようになる。法や規則とは別にある、良識などのような社会規範は次第に強まっていき、私達にこうあるべき、という見えない強制力を持ちうる。
これによってこうあるべきという風潮は強まり、無理にでもそれをやり遂げなければならない。それがさらに強まれば、行く行くは画一化(みんな一緒)がなされ、強い個性の排除が起きるんじゃなかろうか?

と、このような考えを持っていましたが、どうやらあながち間違いではないようです。

ただ、ここで注意したいのは、
「それが現代の一般的な日常による環境」であった場合はそうだろう、ということです。
私は
「遺伝により気質が決まり、環境による性格への影響は社会を中心に形成されるなら、あがいたところで仕方がない」
ということを言いたいわけでも
「身の上に起きた多大なストレスは、私達の性格になんの影響も及ぼさない」
ということを言いたいわけでもありません。

事実、遺伝や環境から受けた「日常的でも一般的でもない経験」については、私達の性格形成に多大な影響を及ぼすことは分かっています。

日常の中の非日常


あくまで似通った環境的影響を受ける、という事であって、すべての人が必ずしもそうではないんです。

「日常の中の非日常」は私達に大きな影響をもたらします。

例えば、胎児期の赤ちゃんを身ごもる母親が、あまりにも強いストレスにさらされた場合、その赤ちゃんは、「より敏感な気質」を持って生まれる可能性が高まります。

また生まれてからも、極端な例でいえば「虐待やネグレクト(育児放棄)」を受けた子供は、心に大きな傷跡を残す可能性を高めます。

もっと言えば、人は長い間日光を浴びないだけで、情緒不安定になり、場合によっては「うつ」になります。
かつて行われた挑戦的な実験では、「相当なポジティブ思考の女性」の同意の基、日光の当たらない洞窟に住んでもらった結果、およそ4週間で生活リズムが乱れ始め、その後に情緒の安定を欠きました。ちなみに洞窟内では非常に快適な生活が用意してありましたが、ただ一つ、日光がなかったんです。これもまた日光を浴びることができないという「非日常」です。

また、過酷な仕事に従事したり、起きてしまった悲しい現実に、強く、そして長期のストレスを感じたのであれば、それもまた「非日常」であり、私達に影響を与えます。

そういった、一般的な日常から逸脱した負の非日常的な環境による影響は、時に私達のバランスを大きく損なうということもまた事実です。

たらればの話で申し訳ありませんが、
私達が違う時代に育ったとしたら、生まれ持った気質は変わらずとも、その性格は大きく違うものだったかもしれません。

ちょっとネガティブな話が長くなってしまって申し訳ありませんでした。
しかしここからは、「環境の可能性」についてお話していこうと思います。

航路の選択~その船を愛し、乗りこなす~


脳は常々変化し、順応しようとします。
この余地によって「日常的」な環境に適応し、順応した結果、その性格を形作っていること。
また「非日常的」な環境下では、これもまた大きな変化をもたらすこと
も触れてきました。

だとすれば、いい意味での「非日常的なもの」もまた、私達に大きな変化をもたらし得ても何の不思議もないんです。

私達が経験してきた「日常」について、つまりは「現代社会」について考えてみると、

そもそも私達は、心を穏やかにする方法や不安に対する術などをほとんど知ることなく暮らしてきました。その反面、あれは駄目だ、これはいけないと自分自身を縛るものはたくさん経験してきました。
つまり、自分を縛り付けるような、無理をさせるような事にはたくさん触れてきたけれど、とりわけそれに対する対処法などはあんまり知らないことが多いです。
いい事も悪い事も経験してきた私達ではありますが、悪い事に対しての取り扱い方は「日常」には落ちていなかった事が、私達を苦しくしてしまったんじゃないかと、私は常々思っています。

誤解を恐れず言えば、私達が暮らす日常は「性格を悪くする要素を多く含んだ日常」なのかもしれません。
そうだとすれば、それはまるで、日々襲い掛かってくる嵐に、丸腰で挑んでいるようなものです。

そんな日常は「非日常的な知識:心を穏やかにする方法」によって、様変わりし、
その見え方も変わります。

運動や睡眠などの改善は脳の調整に直結し、心の安定に、更には健康を保ちます。
また思考法などの考え方は、具体的な解決方法や気にしないだけの対処方法を示してくれます。

私達の人生を含めた、その性格を航海とするならば、
遺伝が私たちの乗る船であり、ある方向へと向かわせようとするのが社会であり、文化です。

ただ、航路と目的地を決め直せるのは、私達なんです。
舵を切り、帆を広げ、またはたたみながらその調整ができるのは、あるいは「ヨーホー」と歌い、仲間と楽しく過ごし、嵐を上手く切り抜けることができるのは、私達自身がそれに対処しているからです。

船の形は変えられないですし、嵐は時々やってきます。だとすれば、その航海を上手くこなすためには、「航海の知識」が必要です。
たった1つでも構いません。1つが不安なら沢山持ってみてもいいんです。

ただ、丁寧に一つひとつ我が物にすることが
いずれ私達の航海の助けになり、宝へのコンパスになります。

時に私達は、自分の船と誰かの船を、または自分の航路と誰かの航路を比べたりしますが、忘れてはなりません。

その大切なたった一つの船に乗って、立派に航海してきたことを。
唯一無二のその船で、眼前に広がる大海原を、立派に航海してきたことを。

誰かの船を羨んでも、その旅路には暗い影を落とすばかりで、失うものは多く、得るものは少ないんです。

私達には唯一無二の船があります。その船を乗りこなすだけの、
「もう何があっても大丈夫」と思えるだけの操舵の知識を、航海の知識を得ていこうではありませんか。

そうして自分にとっての楽しき日々、安定した航海を取り戻し、歌を歌って過ごしてやろうじゃありませんか。

自らの船を愛し、乗りこなすためには「心を穏やかにする知識」があった方がいいと強く感じます。
知識というと少しお堅い感じがしますが、私自身それを他にどう言ったらいいかが分からないので、それはお許しください。

私達に必要なのは自らの船を否定することでも、荒波に流されることでもなく、それらをうまく乗りこなし、操舵するための方法です。

その方法、その考え方が、自分の中で腑に落ち「よし!進める」と思ったのなら
それはずっと私達の中に残ります。
一度限りではなく、その後もずっと仲間で居てくれます。

これは経験談ですが、
「こう思ったときはこうすればいいんだった」と混乱と失敗を繰り返していった結果、いつからだったか
「これはこう!それもこうだ!」と少しずつ簡単になっていき
遂には、元からその考え方を持っていたような不思議な感覚になっていき、「あれ?以前はどう考えてたんだっけ?」と思うようになります。

自分の中の想定が更新されていきます。

また、もう一つ。
私自身は、自分の心に起きる問題などは「心を穏やかにする方法」で上手い事対応できるようになったなぁと思ってはいるんですが、
私は割とビビりなんです。
小さい音にびっくりするような部分は今でも健在です。
またそれとは別に、私は筋トレをはじめとする運動が大好きなので、ちょっぴり筋肉質です。

皆さんに想像していただきたいのですが、
「筋肉を身に纏いしビビりがこれを書いている」ってやっぱりちょっとヘンテコですよね。笑

それでも私は、そんな自分を気に入ってしまっています。

私自身ビビりな部分が悩みではないので、そこへ対処しようとは思ってないんです。むしろ音が鳴って、ビクッとした後に「私らしいなぁ」と笑っているくらいです。

そしておそらくは、それ自体は対処できるものではないとも思っています。これは私の船の特徴なのです。

どうしてこんな話をしたかというと、気質的には弱い部類に入るであろう私も、今では悩んではいないという事を言いたかったからです。
「こんなビビりでもなんとかなったぞ!」と伝えたかったからです。

今まで欠点だと思っていたものは、こんなこと自分で言うのもあれですが、「愛嬌」のような印象すら持っています。
心の穏やかさは、欠点だと思っていたものすら、ひっくり返してくれます。

だから、今から舵を切るんだ。

脳は常々変化し、順応しようとします。
そんな脳の変化に求めるべきは
遺伝からなる気質を丸ごと変えるような変化ではなく
私達の気質を乗りこなせるような変化なんです。

今日のあなたの一日が「遺伝と環境、そして知識」の中身を知る一日であることを願って。
読んでいただきありがとうございます!!

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