「お金」の心理作用

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生き方

今回は、お金の心理作用を行動経済学からご紹介します。
今回は少し難しい話題なのですが、読んでくださっている方の何かのきっかけになればと思い、あえて記事にしていきたいと考えています。

では、早速いきましょう!

お金による事実とその影響


現代の生活では、お金を払う事によって様々なサービスや食事を得る事ができます。私達の生活において「お金」は切っても切り離せないものです。沢山のサービスを受けるには沢山のお金が必要になります。これは紛れも無い事実です。

しかし、この「お金」もしくは「給料」などの金銭を思わせる言葉や概念は、人に悪い影響を与える事が行動経済学では言われています。

先に受けた印象を引きずる心理「プライミング効果」


人は行動する前に受けた印象をしばらく引きずる心理があります。これを「プライミング効果」といいます。この心理の難しいところは、無意識下で起きているので本人は気付かない事です。

ミネソタ大学のとある実験で
何種類かの単語を用意し、その単語を並び替えて言葉を作ってもらう作業をしてもらいました。その際、並び替えるグループを2つに分けました。
グループ1:「給料」「高い」などのお金にまつわる単語を並び替えるグループ
グループ2:「外」「寒い」などの中立的な単語を並び替えるグループ

並び替え作業自体は難しいものではありません。

この作業を終えた後に、難しいパズルを解いてもらう作業を両グループにしてもらい「解らない事があればいつでも質問してよい」という条件のもと、取組んでもらいました

その結果、グループ1(お金にまつわる単語グループ)の人は、グループ2(中立的な単語グループ)の人より助けを求めるのが2倍近く遅かったんです。

その後も、実験者がうっかりを装い、箱に入った鉛筆をばら撒いてしまった際にも、お金にまつわる単語を並び替えたグループは、その落ちた鉛筆をあまり拾わなかったんです。

今回は1つの実験を取り上げましたが、いくつかの実験によって、
「お金」が人に与える無意識の印象(プライムといいます)は
「非協力的、個人主義、不親切」などがある事が分かっています。

これは個人的な意見なんですが、おそらく無意識に、お金=守りたいものになってしまい、他人へ足を踏み込むことが守りたいものを失う感覚になり、結果、個人主義に至るんじゃないかな?と思います。

罰則は有効か?


お金が個人主義を強めてしまい不親切になるという事をご紹介しましたとが、ここから更に日常で起きた実際の例を見ていきたいと思います。

とあるイスラエルの託児所で、子供の預けた親が時間通りにお迎えに来ないため、
「遅れた場合は罰金を課す」という新たなルールを設けました。

託児所側が願っていた事は
「罰則を設けることによって、時間通りに迎えに来てくれるんじゃないか?」ということでしたが、結論から言うと望むような結果は得られませんでした。

それどころか、事態は悪化します。
子供を預けた親は、「お金」のプライミング効果によって、個人主義化が強くなりました。
無意識で働く「個人主義」的な考えによって
「お金さえ払えば、遅れてかまわない」という結論に至り、時間通りに来ない親が増えてしまったんです。

更に、この話には続きがあります。
本来の目的から外れてしまったので罰金制度を取り止め、今までどおりのやり方に戻したんです。
しかし、遅刻する親は減るどころか、罰金制度を設ける前より時間に遅れる親がより増えてしまいました。

お金の問題が取り払われても、個人主義化だけが残ってしまったようです。

この託児所が取り組むべきものは、「罰金」では無く、時間に来れるような「やりがい」だったのでは無いでしょうか?

社会規範(やりがい)と市場規範(価格)


私達は「こうありたい」と思ったときに意欲が湧きます。仕事であっても家庭であってもやりがいがある場合や明確な目的がある場合は頑張れます。
その反面、罰金だけでなく、報酬なども長期的にみると成果が下がっていく事が分かっています。これも「お金」は個人主義化を強めるものだからではないでしょうか?

長期的に意欲が湧くものとは「やりがいを感じる事」なんです。家庭においても、居心地がいいと感じるときは、パートナーとの関係が大切です。やってもらった事に対し、感謝をする事、やった事が思いやりからである事が、日々の生活に活力を与えてくれます。

パートナーとの日々の生活に、例えば「洗濯物ありがとう!じゃあ、300円ね!」なんてやり取りが発生したら、直感的にもパートナーは良い気分はしないのは分かります。

社会規範(やりがいや思いやり)に市場規範(お金や価格)を一旦盛り込んでしまうと、人間関係は崩れていきます。本人も気付かない内に価格でしかものを見れなくなり、大切にすべき人間関係を隅へ追いやってしまうんです。
「信頼」できる人間関係は、お金のやり取りによる「信用」になってしまうんです。
信用とはお金やものなどが与えてもらえる代わりに取引をする状態です。そこに温もりは感じにくいものです。

また、より身近な話であっても私達が気付いていないだけで、実はこんな事もよく起きています。
数に限りがある物を無料でもらえるような場合、他の人のことも考えて「あんまり持って言ったらなんだか悪いな」と、少なめにもらい、
数に限りがある物を有料で買う場合には、私も含め多くの人は「まだ残ってた!良かった!ラッキー!」と、残りの数も気にせず欲しい分だけ買います。

お金が絡んだ途端に、他の人に目が行かなくなるんです。

お金を稼ぐ=悪ではない!

私がこの記事で一番お伝えしたかった事は、
人生はお金に縛られ過ぎると、人間関係が見えなくなる。
という事です。

もし、幸せな暮らしを望んでおられるのなら、大切な人を大切にし、お互いにやりがいや思いやりを持てる社会規範的(やりがいや思いやり重視)な生き方のほうが、私は近道だと思っています。

お金を稼ぐことが悪だ!と言っているわけではありません。一所懸命努力した結果、得たものであればこれ以上に素晴らしい仕事に対しての「やりがい」はないと思います。そしてむしろこの「やりがい」によって仕事に従事することが、結果としてお金を呼び込むことも多いと感じています。

私が言っているのは、お金にばかり気を取られていると本来得る事の出来た「やりがい」や「思いやり」をなくしてしまっては元も子もないという事です。お金を得る事が幸せに暮らすための1つの手段から、人生全てを掛けた目的になってしまう事が起き得ます。

また、家族のためにと必死働くことは素晴らしい事ですが、働きすぎて身体を壊したり、大切なその家族を蔑ろにするのも、少し冷静になって考えてみると見えてくるものがあるかもしれません。

今回は例ばっかりで申し訳ないですが、もうひとつだけ

結婚相談所で女性が男性の「年収」を基準に結婚する相手を決めようとしていたとします。
お目当ての男性と無事結ばれて、その女性は贅沢を手に入れました。

手に入れたいものが明確で理にかなっているようにも見えますが、
その手に入れたいものが
「結婚する相手」では無く
「相手の資産」なので、
長い目で見た場合上手くはいかないでしょう。

女性が美しく、相手に資産があったとしても
そこに信頼関係や愛は極めて生まれにくいものです。あくまでお金を所持する、美しい女性をそばに置くという、ある種の優越感に縛られ、全ての人間関係を自分より上か?はたまた下か?で見始めた場合の話です。

お互いを認め合い、相手の為に行動する。これはお金があっても無くても出来る事です。信頼関係の構築は私達の思いやりによって生まれるものなんです。

今日のあなたの1日がやりがいや思いやりに満ちた1日である事を願って。
読んでいただきありがとうございます!!

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