こんにちは!幸せマンです。
今回は、「こんな事を考えてしまう自分はなんて悪い奴なんだ」「こんな事をしてしまった自分はなんて駄目なんだ」という考え方が、全く悪い奴でも、駄目でもない理由を、脳の仕組みからご紹介していきます。仕組み上の話であると分かれば、スッと楽になってもらえるんじゃないかと願って記事にしていきます。
では、早速いきましょう!
こんな事を考えてしまう自分
おそらくは多くの方はこう思うようなご経験があると思います。
「こんな事を考えてしまうなんて、自分は悪い奴だ」
自分の考えたこと自体を戒めるような思いが生まれてしまって、まるで自分を責めるように考えてしまったことは、誰しもあるんじゃないかと思っています。
そしてもし、今尚そのような考え方をされていらっしゃる方がいれば、今回の記事はおそらくハッとしていただけると考えています。
初めに言っておきますが
「悪い事を考えるということ自体は全く悪い事では無いので、自分を責める必要もない」んです。
今回は、なぜそんなことが言えるのか?について掘り下げていきます。
いい事、悪い事
誤解を恐れずあえて言うならば、このように言えると思います。
頭の中で考えていることが純度100%の「いい事」で満たされ、仕事や家事などの日常を過ごす人は
「この世に1人たりともいません。」
これだけ読むと「つまり人は悪だ」となりそうなので、一つずつ一緒に見ていっていただけると助かります。
そもそも、私達がそのなにかを「良い」と思えるのは、
私達の脳が、悪いと思うことを「悪い」と認識しているからこそです。
脳は常々判断しているんです。
「これは相手が傷つきそうだから、こうしよう。こう言おう。喜んでくれるといいな。」と判断しているんです。
相手を傷つけないように気遣うには「傷つけることはなにか?」と認識することも必要になってきます。
この時、相手が傷つくであろう発言や行動を「悪い事だ」と判断していなかったら、そもそもそれが言いのか悪いのか、全くもって分かりません。
あらゆる可能性を1,400g前後の私達の脳全体で、特にその中でもわずか数百gのおでこの部分で考え、理性的に最終的な判断しているからそのように振舞えるんです。
そういう観点から見ると、
自分を責めてしまう人は、それが悪い事だと分かっているから責めてしまっています。しかし、裏を返せば、悪いと分かって表に出さないようにしている時点で「優しい人」だし、「理性的」ですよね。
それが悪いと分かるから、悪い事を考える自分はとても悪い奴だと思ってしまうんですよね。
ですが、誰であってもその判断をするために「これは悪い事だ」と考えています。
社会的な活動にも、身近な家族に対しても、その判断は必要なことです。
だから、それは否定しなくていいんです。
悪いとされることを悪いと判断できるあなたは正しい。
つまり、それは「悪」ではなくて、必要な判断材料の一つです。
むしろ「善のための道しるべ」とも言えるんです。
ですが、一つだけ。
もし、それに対して苦しいと思うのなら「自分を責める」ということをしてしまっていると思います。これについては、あんまりよろしくないんです。
心理学でも「自分を責める」事に対していい影響が無いことが近年しきりに言われています。
私達の解消したほうがいい根本の問題は「悪い事を考えてしまう」というところにはなくて、「自分を責めている」というところにあります。
負の連鎖が止まらなくなった話
ここからは、「自分を責め続ける」とどうなるか?について見ていきます。
結論から言えば
「自分自身の心の余裕がなくなっていき、それが悪い事と分かっていても発言や行動として表に出てしまう」ようになってしまいます。
「嫌なことばかり考える私は、きっとろくでもない人間だ」
「苦しいし、辛いし、もう解放されたい」
気付いた時には、ほとんどの時間をこのような考えで過ごすことになる可能性もあります。
しかし、その「自分を責める」気持ちが原因である以上は解消されるはずもなく、それどころかその気持ちは大きくなってしまいます。
「自分を責めた」先にあるのは「周囲にも当たり散らす」もっと嫌いになる要素が増えた自分なんです。
私達は「理性」を担う部分を働かせることで、内側から湧き上がってくる「感情的」な反応を抑える、あるいはいなす事が出来ます。
自分を責めるクセがつくと、頭の中では「嫌だ」という感情的な反応が常に起きているので、それを「理性」で抑えつけてなんとか凌ごうとしているんですが、我慢には限界があります。そしてその頃には、もうとてもじゃないけど抑えきれなくなってしまっています。
その結果、その感情は溢れ出ている状態が生まれ、そしてまたその発言や行動に対して罪悪感を覚えしまい、再び「自分を責めて」しまいます。
厳しい話ですが、「自分を責める」という事は「自らの負の感情に加担すること」です。
「悪い事を考える自分を責めて、負の感情を増やすこと」です。
自分を責める=負の感情に加担している
「自分を責める」ということは自分自身がその「悪い」思いに加担しているんです。
ここで少しだけ想像してほしいんですが、
例えば
ひたすらに私達を責めてくる嫌な人が昼も夜もずっと傍にいたとした場合、ほぼ間違いなく気持ちは落ち込みます。
その嫌な人の役目を「私達自身」が果たしている、と考えると分かりやすいかもしれません。
つまりは「自分を責める」という行為は、嫌なことを言ってくる人がずっと傍にいることとおんなじなんです。
これでは、心が休まるはずもありません。
ただでさえ、感情を担う「扁桃体」という脳部位からは不安が送られている状態なのに、それに加えて、「そうだ。貴様は嫌なことを考える嫌な奴だ。」と、自分自身を責める「私達という嫌な人」がいたとしたら、どう考えても辛いはずです。
先ほどもご紹介した通り
私達は「理性」を担う部分を働かせることで、内側から湧き上がってくる「感情的」な反応を抑える、あるいはいなす事が出来ます。
ここで救いがあるのは、「理性」の部分は私たちの力でもって、味方につけることができるということです。たとえ今は悪い方へ加担していても、です
誰かを慰めるときに強い言葉はいらないんです。必要なのはその人への思いやりです。
だとすれば、自分を再び立ち上がらせたい時もおんなじです。
強い言葉はいらないんです。
必要なのは「自分への」思いやりなんです。
私達は
綺麗にまとまる必要なんかなくて、
不格好でも行きついた先が「心からの笑顔」であれば
それは「幸せ」なんじゃないかな?
無理をすることなく、誰かに思いを向けることができるのは
ひとえに「自分が幸せ」だからです。
思いやりは自分が満たされているからこそ、見返りも求めず、まっすぐな気持ちとして誰かへと向けることができます。
また、そうあるからこそ「心からの思いやり」が生まれます。
今日のあなたの一日が「自分を責めない」一日であることを願って。
読んでいただきありがとうございます!!