今回は、予期せぬ幸運「セレンディピティ」の話です。この言葉は、しばしば科学者さんなどの間で使われる言葉だったりしますが、偶然から予期せぬ発見をする事を指しています。これが単なる「運」の話なら、「運が良かったね!」となってしまいますが、脳の観点から見るとどうやら「セレンディピティ」は「運」だけの話ではなさそうです。
では、早速いきましょう!
予期せぬ幸運「セレンディピティ」
「セレンディピティ」。聴き慣れない方も多いかと思いますが、早い話が「予期しなかった幸運」の事を指しています。
研究の結果、思いもしなかった発見があったりします。
とある実験で女性の手に電流を流し、痛みによる脳の反応を調べました。女性が「痛い」と感じたときに、脳が反応する部分があったんです。痛みに反応する場所がある事が分かりました。
ところが、女性の夫がその女性の手を握った際、その痛みの反応は小さくなったんです。これが他の人の場合は同様の反応は見られませんでした。
痛みによる脳の活性化の状態を調べた際、ちょっとした偶然から、
愛やぬくもりがその痛みを和らげた、ちょっと素敵な実験になりました。
その他にも
薬の発明をしていたらおいしい飲み物「コカ・コーラ」が偶然生まれたり、電子レンジも元はレーダーとして使用されていたマイクロ波が、実はものを暖めるのに使えると気付いたことから生まれたりと、私達の周りには意外にも「予期せぬ幸運」で生まれたものが数多くあります。
こういった「セレンディピティ」に出会った人達は、面白い事に「運が良かった」とおっしゃられる事が多いですが、脳でなにが起きているかに着目すると、必ずしも運だけでは無いなと思ったりします。
今日はそんな「セレンディピティ」に出会いやすくすべく、先ずはそういった「予期せぬ幸運」が訪れた方々の共通点に触れていきます。
セレンディピティが起きるとき
先に取り上げた研究や偉大な発明は、ちょっと私達となじみが無いものですよね。
ですので、あくまで私達の場合は、日常の中で「ちょっとした幸せ」や「予期せぬ楽しみ」に出会う方法くらいで考えていきます。
そして日常の中の「ちょっとした幸せ」などは、偉大な発明よりも出会える可能性は遥かに高いので、私達の毎日を少しずつ楽しいものにしてくれるはずです。
「セレンディピティ」に出会う方々にはどのような共通点があるかというと、実はわりとシンプルです。
その共通点が何かというと
「その幸運を自分自身の手で掴みにいっている」という点です。
「なんだそんな事か」とお考えになった方もいらっしゃるかと思いますが、これはとても大切な事です。
「毎日が楽しくないんです。」とおっしゃられる方は、おそらく毎日の中に自分が楽しいと思える何かが見つけられていない場合が多いように感じています。
確かに
こうした幸運は偶然ではあります。
ですが、ただじっと待っているだけで起こり得るものでは無いんです。
例えば
私達は、例えそれが見知らぬ人であっても、親切をされれば晴れやかな気持ちになるよう、脳が「嬉しい!」と活性化します。反対に親切をした場合も、自分自身が「嬉しく」なる事が分かっています。
「あの人はこれをしたら喜んでくれるかな?」という、この考え自体が脳にとってはご褒美です。
この場合、どちらも「嬉しい」気持ちになるのであれば、自分から迎えにいった方が「嬉しい」に出会う可能性は圧倒的に高いですよね。
私の話で恐縮ですが、先日お気に入りのコーヒー豆をとあるお店に買いに言った際、駐車場でおじいさんが重たそうな荷物(コタツ的ななにか)を頑張って車に入れようとしていましたが、なかなか思うようにはいっていない姿が目に止まりました。
ソーシャルディスタンスが世間でしきりに言われている現在ですので、私は気を遣いながらも「よろしければ、お手伝いさせていただけませんか?」とお声掛けしました。するとおじいさんからは「おお!助かるよ!」となんとも気持ちの良いお返事が返ってきたので、私は荷物をおじいさんの車に積みました。
無事積み終えて、おじいさんから屈託の無い笑顔と「店員さんを呼ばずに済んだよ!ありがとうな!でっけぇ兄ちゃん!」という言葉をいただき、私は良い気持ちで立ち去りました。
ただの買出しの際に自ら行動を起こした結果、私は確かに「ちょっとした幸せ」を手に入れたんです。
または、優しくする対象は必ずしも他人ではなくても良いはずです。
身近な家族に「思いやり」を持ったり「いつもありがとう」と言っただけでも、「ちょっとした幸せ」には出会う事ができます。
「特別な話じゃないな」とお思いの方もいらっしゃるかと思います。ですが、特別な事では無いからこそ、誰もが実現可能なんです。
「ちょっとした幸せ」を誰であっても掴むことが出来るんです。
何かしらの行動を起こす事によって「セレンディピティ」はやってきます。なにも特別大きな事じゃなくても、私は確かに良い気持ちを手にしたんです。
さて、ここから本題です。「新しい何かしらの行動」を起こすことで、脳の中ではとある事が起こっています。
この、脳で起きるとある事が、私達の脳にはとっても良いんです。
そのとある事とは「ノルアドレナリンの分泌」です。
ノルアドレナリンを制覇せよ!
私達は普段しなかったような「新しい何かしらの行動」をする事によって、脳内では「ノルアドレナリン」が分泌します。
ノルアドレナリンについて、簡単な説明をすると
「頭の働き、特に【緊張感】に作用するもの」位に捉えると分かりやすいんじゃないかなと思います。
ノルアドレナリンは、少なすぎると緊張感が出ずに、頭の働きが悪くなります。反対に多すぎると過度の緊張状態を作り出し、やっぱり頭の働きが悪くなります。
ですので、ちょうど良いくらいの分泌状態を作り出す事で、私達の頭は最大限の働きを発揮します。
そのちょうど良い状態を作り出してくれるものが、日常にほんのちょっとプラスした「新しい何かしらの行動」です。
自分から望んだ新しい挑戦は、頭が冴え渡ります。この「自分から望んだ」というところは大切なポイントです。
自ら選択しているからこそ、自分にとってのちょうど良いが目指せます。無理はしなくていいんです。
これが誰かから急に与えられた条件を強制的な形でやる場合、誰であってもちょっと嫌な感じがしてしまうものです。これには理由があって、私達の心理に「自発的な行動は楽しく、強要や推薦が楽しくない。」といったものがあるからです。
この「新しい何かしらの行動」は本当に些細な事でも良いんです。
知らない土地を歩いてみたり、子供がやっているゲームを一緒にやってみたり、知りたいと思うことを知ってみたりと、
いつもはやらなかった事にちょっとだけチャレンジしてみるんです。
もしかしたらそれが、私達の新たな趣味になるかも知れません。
少しだけ偉大な発明の話に戻りますと、
そういった発明をされた方々は、新しい挑戦をしていた事は間違いないですよね。この時、ノルアドレナリンはちょうど良い具合に分泌していて、頭は冴え渡り、より柔軟な発想が生まれ、より変化や異常に気付きやすかったがために、その偶然を見逃すことなく発見できたのだと思います。
ノルアドレナリンには、その他にも心理的安定感や、記憶の定着にも作用します。
冷静かつ効率的な記憶能力が発揮された結果なのかもしれません。
勿論、何かに追われるように作業していたがために、見逃された偉大な発明も、おそらく世界中にあるでしょう。
だとすると、日常においても見逃してしまっている「楽しさ」はきっと私達の生活の中にもあるのかもしれません。
自分から出会いに言った結果、「嬉しい」と「楽しい」は増えていきます。
誰かが楽しそうにやっているその何かは、楽しいから続けているんです。
私達に課せられたものは、仕事や家事をして家庭を、自分を支える事も確かにありますが、何より楽しもうとして、その楽しみをこちらから迎えに行くことがより楽しく豊かな毎日になるんです。
だとすれば、私達もその「楽しみ」に、出会いに行こうではありませんか。
今日のあなたの一日が「セレンディピティ」な一日である事を願って。
読んでいただきありがとうございます!!