今回は、「人生の意味は決まってるんじゃくて、決めていいものだ」と題しまして、哲学者サルトルの「実存主義」について、簡単にご紹介できたらなって思います。もう名前からしてややこしそうなこの考え方ですが、今回は誰にでもわかる形でご説明していきます。「実存は本質に先立つ」というサルトルの有名な言葉をお借りしつつも、希望を抱けるような考え方を見ていきます。
では、早速いきましょう!
みんな自由?の資本主義、みんな平等?のマルクス主義
資本主義社会の中で生活する私達は、ある程度の自由というものを手にしました。通う学校も、勤める会社も、なんなら起業も自由です。もっと言えば何を買うのも、何をするのも、基本的にはかなり選択できる社会になりました。
反面、その自由をこれでもかと謳歌するために、私達の中にはどこか「お金」という存在も、ちらつきます。
だって、お金さえあれば、世の中で売りに出されているものはいくらだって手に入るじゃないか。これこそ自由の絶対条件だ!
こういった意見はやっぱり依然として根強いものです。
資本主義は確かに多様な選択肢を与えてはくれましたが、嫌な言い方をすれば、「お金がすべて」的な観念を根付かせるところも否定できない社会ではあります。
「さあ、自由に稼ぎましょう!その自由に稼いだお金でこれまた自由に暮らしましょう!」が資本主義です。
ですが、現実問題として資本主義は格差社会を生んでもいます。(特に海外ではその傾向が顕著に出ています。)
この問題にいち早く気付いたのが、マルクスです。
「資本主義は搾取する側と搾取される側を作り出し、いずれ崩壊する。だから別の社会を目指した方がいいよ。いやむしろ、社会は自然と別の形を求める。」といいました。
実際、マルクスの資本主義の問題点に関する予想は大当たりで、経済的な成長はぐんぐんと続けるものの、お金による制約はやっぱりあって、その制約を個人が乗り越えるのは容易ではなかったりもします。
自由な選択肢は生まれて、以前の階級のようなものもないんですが、お金にまつわる様々な障壁が、人々に精神的な圧力を与えている。これは現代において顕著な問題になっていると思います。
さて、そんなマルクスは「理想の社会」を実現するために、共産主義と社会主義を掲げます。
歴史は必ず共産主義を求める。とまで言いました。
簡単に言えば「みんなの稼ぎを再分配。みんなで働いてみんな幸せ!」が共産主義です。
聞こえがいいこの社会の在り方に、実際第二次世界大戦前後には、結構な数の国が「みんな平等」に取り組みました。ですが、戦後しばらくすると、その大きな欠点によって多くの国で破綻しました。
このあたりの問題点は、別の記事でまとめてありますので、良ければそちらをご覧ください。
あえて1点だけ言うならば、まじめに働いても、ダラダラ働いても、同じだけお金がやって来る。となれば、働かなくてもお金がもらえるんだから懸命に働かなくてもいいじゃん!となって生産性がガクッと落ち、これを危惧した国側は、働くように見張りをつけ、それはどんどんエスカレート。ライバルの資本主義国に負けないためには、ムチを打ってでも働かせよう!
こんな感じで「みんな幸せ!」は「みんな辛い…。」になってしまいました。
蓋を開けてみれば結局、資本主義に勝る社会システムは、いまのところないのが現状かもしれません。
「歴史」は自ら掴み取る!な実存主義
さて、そこから少しだけ時を進めていこうと思います。
時は第二次世界大戦の真っただ中。一人の哲学者さんがいました。それがサルトルです。
サルトルは、定住することのない人でした。
おしゃれなカフェで、これまたおしゃれな今どきの若者と議論しては、論文を書く、といった一風変わった人です。
そんな若者からは「サンジェルマン通りの法王」なんて呼ばれたりもしました。
サルトルの有名な言葉に
「人間は自由の刑に処せられている」というものがあります。
「自由とは聞こえはいいがその実、何をしていいのかも分からず、放り出させることと一緒だ!」といったんです。
確かに、何も決まってない状態で「はい、今日からあなたは自由です!」と言われたら、
何をしたらいいのか分からなくなります。
いやいや!それでも自由な方がいいだろ!と思う方もいらっしゃると思いますが、その当時、資本主義社会によって、実際あまりにも自由。自由だ!と言われてしまって、何が正解かなんてわからなくなっていた人も少なくありませんでした。
また、
マルクスの「歴史は必ず共産主義を求める。」という考え方を基にすると、資本主義に限界を感じ、社会や国はおのずと共産主義に向かうはずです。
ただ、これは裏を返せば、「勝手に社会は変わっていく」と言っているようなものでもあります。
なので、社会の行く末を気にかけている人からすれば、
「勝手に社会や国が変わっていくなら、私や私たち市民はそれをただただ見ていることしかできないことになる。」
「じゃあ、私達の存在理由って、私達の価値って何だろう?」
資本主義は自由すぎるから、共産主義は勝手にやってくる。とすれば、「私」という個人の存在理由がもうなんだか訳が分からなくなっちゃうよ!
こんな気持ちを多くの人が抱いていました。
これに対して、サルトルは一つの答えを提示します。それが「実存主義」です。
サルトルの「実存主義」の根幹を表すであろう、もう一つの有名な言葉として
「実存は本質に先立つ」
というものがあります。
これを初めて聞いた人は、おそらく
「哲学者さんは本当に回りくどい言葉を使うし、分かりにくいったらありゃしない。」と思われるかと思いますが、この言葉には結構な希望が詰まってます。
そして今回は、そんな希望を抱くためにもっとわかりやすく簡単な形にしていこうと思った次第です。
大まかにサルトルの考えを言えば、
人間はもともと生まれた意味なんかない。
反面、モノや道具には生まれた時から意味がある。ハサミは何かを切るため、スプーンはものを口に運ぶため、それぞれに意味がある。
それに意味を与えているのは人間だ。
とすれば、人間は「意味を与えることのできる生き物」という意味で、かなり特殊なんじゃないかな?他の生き物や動物にはできない事をやってのける。
だったら、こういえそうだ。
人間にはもともと生まれた意味はない。でも人間は「その意味を与えることが出来る。」
だとすれば、「自分自身にもその意味を、生きる意味を、与えることが出来る。」
「実存は本質に先立つ」
つまりは
「生まれる(実存)のが先であって、その意味を見出す(本質)のは、今からできる!」このようにサルトルは考えました。
更にサルトルは続けます。
「じゃあ、その意味って何だろう?」というところまで踏みこみます。
私達はどうやって今の現状に至るんだろう?と考えた末に、
私達は先人たちが積み上げてきた歴史の上に立っている「歴史の一員」だ。
たとえ歴史が勝手に進むものだとしても、その一員として、歴史を刻みたい!
その一員として、歴史を加速させよう!
ひどく単純な言い方をすれば、サルトルは
「生きる意味は今から見つけるものだ!そしてそれは歴史の一員として、その歴史を動かすことにある!」
という価値観を提示し、それが多くの人の心に刺さりました。
「生きる意味は自分で見いだせる」
この考え方は、現代でも刺さるんじゃないかなって思います。
なんとなく毎日を暮らすことに面白さを感じない人へ。
はたまた、生きる意味が元々決まっていてそれに付き従わなければならないと思う人へ。
大きな意味を自分自身に与得る事が出来るとも言えます。
実存主義の危惧すべき点
「生きる意味は今から見つけるものだ!」というサルトルの主張は、もっともらしく、また私達に可能性を与えてくれる現代でも尚通用する考え方ではあります。
ただ一つだけ注意したのは、サルトルの考え方はちょっと「社会の在り方に偏り過ぎていた」点はおさえておいた方がいいと思います。
一見するとすがすがしいほどの希望を与えてくれるサルトルですが、その意味を「歴史」に向けすぎたんです。
「歴史の一員として、その歴史を加速させるため」という大義名分を掲げた人々は、まさしく「歴史を進めるために」暴動を起こしてしまったんです。それも世界中で、です。
「歴史の一員として、今の社会をあるべき姿に」という主張は、革命の名のもとに過激なデモ活動を助長してしまいました。
信念があることは素晴らしく、それに向かって突き進む様もこれまた素晴らしいものです。
ですが、それによって悲しむものが出ることは忘れてはなりません。
こういった考え方を社会に向ける場合は、どうしても避けられない難しい問題に直面します。
今現在の社会問題はそのほとんどすべてが「あっちが立てば、こっちが立たず」な側面があるから難しいんです。
サルトルの「実存主義」は、こういったこともあって徐々にその熱量を減らしていきます。
ここからは私個人の考えなんですが、
「生きる意味は今から見いだせる」これ自体は大変すばらしいものだと思います。ただ、もっともっと、とことん広く見た時に、また違った視点が生まれ、「歴史」が何なのか?そして生きる意味は何なのか?というものがもっと理解できると感じています。
おそらくは今はなにを言っているか分からないと思いますが、次回の記事で総まとめしたいと思っています。
というのも、サルトルの実存主義の少し後、とって変わるように人気を博したレヴィ=ストロースの「構造主義」が次回の話だからです。
レヴィ=ストロースの「構造主義」を一言で言えば、
「その歴史、というものに楔(くさび)を打った考え方」だと思います。
実存主義の信念である「歴史」というものに対し、「ちょっとまった!」と言わんばかりに割って入ります。
構造主義を知るに至って、私の中に芽生えている考え方は、
「世界はもっとずっと広い」ってことです。
レヴィ=ストロースの「構造主義」については、次回の記事で掘り下げていこうと思いますが、
実存主義からの構造主義の流れを知った後は、
文明の発展、歴史といったものに、また違う観点を手に入れた気がします。
そしてその結果
「個人レベルの生きる意味を見出せたと感じる上に、資本主義に生きる私はかなり毎日が楽しい!」という感じになりました。
誰も傷つけることなく、自分の周りの人たちが笑っている。そんな「意味」がおぼろげながら見えてくることを願いつつ、次回は「構造主義」に迫ります。
今日のあなたの一日が「生きる意味は今から見いだせる」ということを知る一日であることを願って。
読んでいただきありがとうございます!