今回は、失敗についての捉え方をガラリと変えるべく、脳のざっくりとした仕組みを知ってもらいたいと考え、失敗についての記事としてご紹介していこうと思います。意外なことが起きた時、私達はなぜそう感じるのか?ということにまずは触れていき、そこから私達の苦手としている「失敗」について考えていきます。
では、早速いきましょう!
意外なこと
身近で起きた日常にあまりないことに、私達は敏感に反応します。
わかりやすくするためにかなり突飛な例を出します。
例えば
ある日突然、会社への出勤途中に「道の脇を歩くラクダ」を見たら、どうでしょう?
まず間違いなくびっくりするし笑っちゃいます。
または、もう少し実生活に即した例でいけば、
会社でちょっとした問題が起きた場合も、「うわぁ…」と思いつつ、それに対してびっくりしたりといった反応してしまいます。
「日常で起きる、非日常」に対して、このような反応をしてしまうのは、とっても自然なことであって、なにもおかしなことではないんです。
そしてそんな「非日常」な事が起きた後、私達の脳は決まって次のプロセスへ移行します。それが
「どうしてそんなことが起きたんだろう?」
先ほどのラクダの例をとってみれば、ワクワクした不思議な気持ちで
「なんでそんなところにラクダが!?」と。
仕事での問題については
「どうしてこの問題が起きたんだろう?」と、
私達はその理由を知りたくなります。その後、「まあどうでもいいか。」となる人もいますが、それでも一旦は「なぜ?」と思っているんです。
この時、脳内では何が起きているんでしょう?
脳は予測の誤差を修正したい
私達の脳には、「それが予想と違ったり意に反した時、それについて学習したい」と思う仕組みがあります。
自分にとっていい事であっても悪い事であっても、「どうしてそうなったんだろ?どうしてそうならなかったんだろう?」とその原因を知りたがったり、ギャップを埋めたがったりするんです。
つまり「予測の誤差」を埋めたい、修正したいと反応するために、私達はその理由を欲しがるんです。
この「予測の誤差」から来る「理由を欲しがる」仕組みが、何かを覚えたり、向上させたりする上では大きな原動力の一つになっています。
この時に脳が必要としているのは「なんで違ったのか?」を知ることなんです。
それを明確にしたとき、脳は「そっか!」と納得しつつ、次の機会にはうまくいくよう修正し、調整してくれます。
違う言い方をすれば、
脳はその物事に対し「予測」をします。そしてその「予測」と「実際に起きたこと」に差が発生した場合、その差を埋めるべく、脳内で修正をかけたがります。「なぜそうなったのか?何が起きたのか?」と反応していくんです。この目的はひとえに「次は今回よりももっと的確な予測をしたい」からです。
ここで、最初の例をもう一度だけ振り返ってみると、
道の脇をラクダが歩いていた場合に、どうしてワクワクするのかも見えてきそうです。
私達は何の変哲もない日常を「予測」しています。だとすれば、ラクダが道にいることは全く「予測できない」事です。この「予測の誤差」がワクワクを生み出しています。
そしてその理由を知りたくなってきます。私だったらネットで何かのイベントか!?と調べてしまいます。
また、その日から毎日ラクダが歩くようになったとしたら、1週間もすれば私達の予測は見事に修正され、「あ、今日もラクダさんいる。」くらいになっていきます。
その経験が「予測通り」になると、途端に私達は「ワクワク」をなくします。
脳からすれば「学習完了」なんです。
さらに言えば、毎日見ていたのに、ある日突然ラクダがいなくなれば、今度は逆に「あれ!?ラクダは?」と再び「予測の誤差」が生まれ、やっぱり理由を考えたくなります。
ここで言いたいことは、「ラクダが道にいると面白い!」ということではなくて、
実際に起きたことと予測に誤差が生まれた時、脳はそれを知りたがっている、という仕組みがあるんです、ということです。その誤差を埋めるとワクワクは弱くなっていくけど、埋めなければ「なんか気持ち悪い」という違和感を覚えます。
「その誤差を埋めなければ気持ち悪い」
この仕組みを「失敗」の観点から見ることが今回の本題です。
失敗と脳
私達の脳は「予測の誤差」が起きた時、敏感に反応します。
これを「失敗」から見た場合、こうなると思います。
失敗を失敗と認識した時、もっとわかりやすく言うと「やってしまった」と思う時は、
私達が「予測したこと」と「実際に起きたこと」の間でギャップが生まれています。
仕事で問題が発生したときに、多少たじろぐのは、それが「予期していない」事だからです。
そして「予測の誤差」があまりよくない方向で生まれた時、私達は不安、怒りや不満を感じやすいんです。
ただ、ここでもし不安などを感じたとしても私達にはやれることがあります。
そう、私達は「その誤差を埋めなければ気持ち悪い」んです
「予測の誤差」が埋まった結果、ワクワクしなくなったように、「予測の誤差」が埋まった結果、不安はなくなっていきます。脳は「なんで違ったんだろう?」と学習したがります。その差を埋めたがります。
意に反した時などに感じる負の感情に対して、
脳が求めているのは「予測の誤差」を埋めることです。
「実際に起きたこと」を基にして「予測」を修正することです。
私達はしばしば「あの時ああしていれば」という気持ちになってしまうことがあります。しかし、これは厳しい話をすれば、脳の求める本来の方向ではないんです。その誤差を大きくするほどに、私達はこう考えていきます。「現実なんて最低だ」もしくは「こんなこと考えて何になるんだ」という思いを強くし、自分を責めるための要因をむしろ増やします。私達は「報われない思いがある場合、しばしば悪者を作って辻褄合わせ」するんです。あいつが悪いんだ、私がいけないんだと、誰かか自分を悪者にします。
私自身がかつては「実際と予測」のギャップを埋めるどころか「ああだったら」と、そのギャップを大きくし、不安や不満を大きくしていました。
ですが、これは辛くなるばかりで、一向に前へは進めなかったんです。
脳が求める誤差の修正から逆行していった結果、目の前が壁だらけのように思えて何かをやる意欲は全く起きなくなってしまいました。
ただ私は運よく、その誤差を大きくすることが可能なのであれば、小さくすることもまた可能だったことに気付かされます。その当時は「脳の予測の誤差」がどうたらなんて話は全く知りませんでしたが、私が自分の気持ちを取り戻すためにやったことの一つです。
脳は私達を貶めるために嫌な気分にさせているわけではないんです。
同じ失敗を繰り返さぬよう、そこから学習し、修正してくれるよう、反応しています。
だとすれば、それに答えることで予測を実際に寄せていき、誤差を埋めてあげることが一つの悩みを解決する足掛かりになり得ます。
最近の大きな失敗談
ちょっと、具体的な話をします。
最近、私の職場で大きな問題が発生しました。
私のミスから始まった問題で、結構てんやわんやでした。
ですが、それに対して「もうだめだ」とか「ああだったらな」という気持ちになって、ふさぎ込むようなことはありませんでした。
そうでは無くて「じゃあ、実際に起きちゃったことに対して、何ができそうだろう?」と考え、動きました。
お客様に怒られるような打ち合わせをこなしつつ、その原因を探っては、どうもこれじゃ無さそうだ。という日々が続きました。ちょっと複雑で原因が見えなかったんです。
私は「これこれこういう理由で、今こういった検証をしています。もしこれじゃなかったら、こうしようと思います。」と素直に報告していきました。
その結果、そのうちの一つが原因だったのでなんとか一件落着したんですが、その原因が分かったのはひとえに「失敗の原因を紐解くために、失敗を重ねたから」だと思っています。
それが違うという理由が分かったから、また違う理由が生まれてきたんです。
途中途中は「何やってるんだ!」とものすごく怒られましたが、着実に前に進んでいると確信していたので、気持ちが落ち込む、ということは無かったんです。
むしろ途中の失敗は私にとって「失敗じゃなかった」んです。
今の私にとっての失敗は「失敗する事」では無くて「諦める事」です。
また、必ずしも失敗=悪い事ではないんです。
「失敗すること自体が悪い事」という風潮をなくすことは困難だと思いますが、それを悪い事ではないと思うことができるのは「この身ひとつ。その捉え方次第」なんです。
「期待をしないでくださいね」という意味ではなくて、
「期待と予測はそこそこにその通りに行かないことが多いので、実際に起きたことを受けて、そこからまた歩き出せばいいじゃない。」という意味です。これが現実で、それが脳に対する有効なアプローチです。
「予測→実際→フィードバック(誤差を埋める)→じゃあ、ここからどうしようかな?」
というサイクルを築きあげていけば、このサイクルは加速していきます。
また、私達は問題を解決すること、もしくはその問題から解放されることで、「高揚感」を得ることができるようにもできています。分かる、という事に私達は喜びを得ます。
極論、脳にとっては「それが何か分かれば」それでいいんです。
解決できる問題は解決していき、解決できない問題は「気にしてもしょうがないか」とできた時、開放感のような気持ちを得ることができます。
今日のあなたの一日が「予測の誤差を埋める」一日であることを願って。
読んでいただきありがとうございます!!