人の本性は悪である?~悪名高い2つの科学実験「スタンフォード監獄実験」と「ミルグラム実験」~

スポンサーリンク
人間関係

今回は、前回の「人の本性」の続きです。前回、東洋と西洋の「性善説と性悪説」について見ていただきましたが、今回は「性悪説」を強めるような悪名高い実験について、見ていこうと思います。おそらくは多くの方がこの事実を知らないでいます。ですので今回は分かっていることを踏まえて、科学の実験についてご紹介します。

では、早速いきましょう!

「人の本性は悪である」という事を科学でもって検証した、2つの実験


「人の本性は悪である」という「性悪説」は、現代において「否定したいが、紛れもない事実に近しい解釈」であるとされがちです。実際、「性悪説は正当」であり、「性善説は気持ちは分かるが、きれいごとの類である」という見方は結構根強いんです。

簡単な話をしてみても、
「人が本来穏やかで優しいのであれば、どうして争いが止まらないの?」と言われれば、確かに「性善説側」の人は、ちょっとたじろぐんじゃないかと思います。

そして科学分野でも、「人の本性は悪である」という事を実験で見せつけてきた事例は確かにあります。

だとすれば、先ずはその科学から何が行われ、何が示されたのか?を包み隠さず見ていった方が、「事実」なるものは見えてきそうです。

そう、「包み隠さず」です。今回の肝はここにあります。

まずは手始めに現代社会に「大きな闇」を見せつけた、とある有名な実験を見ていきます。

ジンバルドーさんの「監獄実験」


まず最初に取りあげるのは、悪名高い実験の一つと言われ40年以上たった今尚語られる、スタンフォード大学のフィリップ・ジンバルドーによって行われた「監獄実験」についてです。心理学の研究の中では、最も有名な実験の一つでもあります。

ジンバルドーは、
学生を「看守役」と「囚人役」に分け、更に心理学部の地下室において監獄のような実験室を用意しました。看守役の生徒は囚人役の生徒を見張り、囚人役の生徒は看守役に見張られる。そんな環境に置かれた場合、その学生たちの内なる変化がどのように起きるかを調べました。

この実験の目的は、「2つの役割を明確に分けた時、自然な形でその心境がどう変化していくか?」を調べる事でした。

そしてその実験結果を目の当たりにした人々は、そして世界中の人々は大きな衝撃を受けました。
どんな結果だったかというと、
「人はほんの数日間で、制御不能になる」というものでした。

その実験が行われたほんの数日の間に、
その疑似監獄は、悪臭が漂い、わざと睡眠を妨害するような時間に点呼をとり、足首に鎖をつけさせたり、裸にしたりもしました。

囚人役の生徒は一人、また一人と脱落していきます。
その囚人役の生徒たちの数名は、極度の落ち込みや激しい不安に襲われます。

6日目にこの実験は終わりを迎えましたが、これはフィリップ・ジンバルドーがそう決断したわけではなく、彼の当時の彼女(同大学の院生)が厳しくやめさせるように言ったからでした。
この実験は、今では様々な心理学の本に「事実として」載っています。

では、この実験の中で、生徒たちの心に何が芽生えてしまったんでしょう?
人間の本性は悪だから、ひとたび環境が変われば、皆このように変わっていってしまうのでしょうか?
人は立場さえ変われば、自然な形でその心に変化が生じ、立場の違うものを追い込んでしまうのでしょうか?

監獄実験の実態


さて、ではこの「監獄実験」について、現在分かっていることを記していきます。

結論から言えば、この実験には
「嘘」があります。

看守役と囚人役に生徒を分け「自然な形で」その心がどう変化するのか?を調べる実験だったはずが、実際には「ジンバルドーの明確な指示」があったんです。

つまりは、看守役の生徒が自然に、自発的に囚人役の生徒をあの手この手で追い込んだのではなくて、そういった実験結果が望ましいという目論みがありました。

じゃあ、どうしてこんな事が言えると私は断言するんでしょう?
実際にジンバルドーはその後40年以上の間、あらゆるインタビューや論文において、
「看守役には一切指示を与えなかった」と言い続けています。

しかし、それを覆すような証拠がいくつも見つかっているんです。

2019年、社会学者ル・テクシエがこの実験を徹底的に分析した結果、適切ではないという主張の論文である「スタンフォード監獄実験の偽りを暴く」が『アメリカン・サイコロジスト』
に掲載されました。

また、その中で「実験の音声記録」が書き記されています。
あまり過激なことを好まないマーカスという看守役を務めた生徒に対して、ジャッフェという、ジンバルドーの協力者(実のところこの実験のおおもとを立案した人)が、マーカスがあまりに温和なのを危惧して「もっとタフな看守になるんだ。タフっていうのは、分かるよね?」と言っています。

しかし、それに対するマーカスの答えは
「どうするかは僕が決めていいんだよね?だったら僕は何もしない。むしろ皆を冷静にさせたい。」でした。

更に、実験中のみならず、実験の前に明確な指示があったという事も、今では明らかになっています。
つまりそれらの指示によりあらかじめ決まっていた方針の基、この実験は行われました。そして実は実験に参加した大半の生徒は、その過激な内容をこなすことに躊躇しました。
それどころかそういった指示があって尚、看守役の3分の1はむしろ囚人役に優しく接しました。

今なお多くの人は、この実験の裏側、いやむしろ事実を知らないんです。

なぜならジンバルドーは特権的な地位を築き上げていて、そちらの声ははるかに大きいからなのかもしれません。
そちらの方が、人の注目を浴びやすいんです。人は不安に敏感です。

残念ながら、私はこれを「科学」だとは思っていません。
科学は客観的事実を示さなければならないんです。またそれは何度だって再現可能でなければならないのも忘れてはなりません。

ジンバルドーの「監獄実験」はあまりに悪名高いがために、長らく再検証がされませんでした。
ですが、2002年に、とあるテレビ番組で2人の心理学者監修のもと、これが再現されました。ただし今度はしっかりと「看守と囚人の制服を着て、【指示をせず】監獄に入れた場合」という注釈付きで、です。

当時は人々に「狂気の沙汰だ」と言われましたが、これは実際に映像化されています。
そしてその結果示されたものは、これまた衝撃でした。

そう、「なにも、起きない」んです。

本当に何も起きることのない映像がただただ流れ続け、そしてあんまりにも何も起きないがために7日目で打ち切られました。

一度だけ口論があったんですが、それすら「話し合い」で丸く収まってしまいます。
それどころか看守役も囚人役もどんどん仲良くなっていって、後半になると談笑し、一緒にたばこを吸い始めてしまいます。

つまりは「違う服装をした一般人が、団らんして、ダラダラしているテレビ番組」になってしまったんです。

テレビ番組として完全なる失敗でしたが、科学的観点からは大きな意味がありました。

その後、2人の心理学者は10本以上の論文を公表しましたが、人の印象にはあまり残っていないようです。(ですが、近年少しずつこの監獄実験はイカサマだという意見が強まっています。そしてその背景には科学界で問題となっている「再現性の危機」が大きな要因でもありそうです。)

ミルグラムさんの「電気ショック実験」


もう一つ、「監獄実験」と同じくらいに有名な実験をご紹介していきます。
それが、スタンレー・ミルグラムによる「電気ショック実験」です。

この実験はミルグラムが若干28歳の時行われた、とても有名な実験です。
「数百名の一般の方」を募って行われたこの実験も、「人の本性を悪だ」と裏付けるような結果が出ています。

二人一組で行われるこの実験は、
一方を先生役、もう一方を生徒役に分けます。

先生役と生徒役にはそれぞれ「別々の部屋」にいてもらい、生徒は電気ショックが流れる椅子に座り、先生はその電圧を操作してもらいます。

別々の部屋ですので、先生役側からは生徒の姿は見えないようなってはいますが、音声は聞けるようになっているので、生徒の声や、生徒が出す音は聞こえます。

このような状況下で先生は生徒に問題を出し、生徒の答えが間違っていれば、手元にある電圧のスイッチを押すよう指示されます。
また、問題を間違えるたびに電圧を上げるようにも言われています。

1問間違ったら15ボルト、2問間違ったら30ボルト、その後も45、60…、と電圧を上げるようあらかじめ指示されます。

ただ、先生役は一般の方ですが、実は生徒役は「研究所のメンバー」なんです。
それどころか、仰々しいその電気ショックを出す機械も、実際には電流は発生しません。

生徒は「演技で」次第に激しい苦痛を訴えるようになります。叫んだり、ドンドンという音を聞いたりしながら、先生役の一般の方は電圧を上げなければなりません。
例えそのスイッチの表示に「危険!」と出ていたとしてもです。

さて、この実験でミルグラムは何を調べようとしたかというと
「人はどれだけ相手が苦しんでいると、その良心から実験の中止を申し出るか?」です。

ミルグラムとその同僚たちの予想は、「最大電圧(450ボルト)まで上げる人は、いたとしてもせいぜい1%か2%くらいだろう。」というものでした。

しかしその結果は、世界を震撼させます。
実験の結果、なんと65%もの人が最大電圧まで、あげてしまったんです。
これは先ほども言った通り、「数百名の一般の方」がこのような選択をしたんです。

この結果から、第二次世界大戦のあの凄惨な出来事を想起した人も少なくありませんでした。
また、ミルグラム自身がユダヤ人であり、奇しくもそれを証明する結果となりました。

ミルグラムは、この実験からこう結論付けます。
「人には致命的な欠陥があり、子犬のように従順で、極めて恐ろしいことが出来てしまう。」
またこうも言いました。
「そういった施設が出来てしまえば、どの場所であっても、このようなことは起きうる。」と。

私自身、監獄実験とこのミルグラムの実験、そして第二次世界大戦で起きたことを否定できないでいました。
「性善説は存在するが、ジンバルドー、ミルグラム、そして強制収容所、という問題は確かにある。」
そう思っていました。

これは紛れもない事実であって、自制し、理性的に生きなければ、誰であってもたちどころにこうなってしまう、と。

「電気ショック実験」の実態


さて、ここから「電気ショック実験」の実態について触れていきます。
この実験に関しては、ミルグラム本人が明らかにしていることがあります。
この実験から10年後、自らの本の中で、「54%の人がその実験を信じていた。」と明かします。裏を返せば、実に46%の人はこの実験が演技だと分かりつつ、何らかの科学的意義があると感じ、実験を完遂していたんです。

また、研究アシスタントによって
「本当に電気ショックを与えている、と信じた人のほとんどがスイッチを押すことをやめた。」
という事が言われています。
更に、先生役が躊躇しそうになると、研究者から
「これは科学的意義がある事です。続けてください。」という指示があったことも今では明らかになっています。

つまり、「約半数は信じていないからこそ実験を全うし、信じたもののほとんどがその実験を続行できなかった。」んです。

また、ミルグラム自身の日記の中に、
「これは科学的意義がある事なのか、単なる芝居なのかはいまだに判断がつかない。だが私は、後者を受け入れつつある。」と記してあるようです。

これらによって、奇しくも「人が人を傷つけることは容易ではない」という事の一端は示されたと感じます。

しかし、それでもまだ残された心残りがこの実験にはあります。
それが
「約一割の人は、それでも尚、人を傷つけることが出来てしまう。」
という事です。

貢献という名の善行


さて、ミルグラムの実験において、なぜ約一割の人は電流が相手に苦痛を与えると信じながらも、その実験を完遂できてしまったんでしょう?

指示をした科学者たちは、生徒側に電気が流れないことは分かっていましたので、こちらはまだ実験を遂行できると考えられます。(スイッチを押すことに躊躇し、苦悩する人を目の当たりにして研究者が何を感じたのかは推し量れませんが。)

ただ、被験者である「数百名の一般の方」、特に約一割の信じていたにもかかわらず、電気を流し続けた人たちには「何に突き動かされたのか?」がこの実験では重要な部分だと思います。

そして、被験者の方の言い分を纏めると
「そこには貢献という名の善行があった」と、言えると思います。

被験者である一般の方は躊躇するたびに、科学者たちは「これは科学的意義がある事です。」「続けてください。」という言葉をかけていたことが明かされています。

そして被験者の方の多くは、特に「科学的意義がある事です。」という言葉を聞いたとき、再び実験を継続できたようです。

世界の未来に貢献できる、という気持ちはその人の思いを突き抜けて、行動できてしまう。
こういった事例は、世界中の事件や今までの歴史の中でも見えている大きな要因の一つでもあります。

たとえそれが偽りの善行であっても、です。
少しネガティブな話になってしまいましたが、これは裏を返せばポジティブな話でもあります。

何が言いたいかというと
「人は善行によって突き動かされる」という事です。

人を助けると気持ちが良いのはなぜか?
相手が喜ぶと自分の嬉しくなるのはなぜか?

この答えが
「ほとんどの人は善行を好む」というところにあります。

今回は科学の実験の実態についてでした。ですが、これも序章に過ぎません。

そして次回はもっと大きな視点で人類史を見た後に、おそらくは一番の問題でもある「戦争」の実態を見ていこうと思います。

今日のあなたの一日が「人の本性は悪でもないかもしれない」と思う一日であることを願って。
読んでいただきありがとうございます!!

タイトルとURLをコピーしました