私達を圧倒的に変えてくれる最重要のクセ

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生き方

今回は知っている事とやってみる事の間には圧倒的な差があります。という話をご紹介します。私達の実生活が少しずつ変わっていくには、知るだけでは足りないんです。知る事とやる事。どうして差があるといっているのかをご説明できればと思っています。楽に読んでもらうために少しだけふざけた例をご用意しましたが、何より読みやすくなってくれたらという思いからです。

では、早速いきましょう!

情報を手に入れる自由


私達の生活には、様々な情報がそこら中に広がっています。好きなものを見て、好きなものを知ってと、何かと選択する自由を私達は手にしています。

インターネットや本など、その沢山の情報を基に、知識として何かを手に入れることができます。これはとてもありがたい事ですよね。
そんな時、ふとこんな事を思ったりしませんか?

「私達はその知識を何のために手に入れているのだろう?」
「その情報はなんの役に立っているのだろう?」

おそらく多くの方が何かを調べる際には、それによって「知ることが出来た!」を味わうために、検索したり、本を買ったりするはずです。

その結果「あ~良かった!」と満足できます。

しかし、後もう一歩だけ踏み出してみると、もっともっと私達を助けてくれるものになるんです。
特に心の仕組みや脳の仕組みにはこれが言えると思っています。

つまり「その知識が、自分の場合はどう当てはまるだろう?」という試みです。

知識×経験


今の時代、その知識は知るだけであれば、それはもう簡単にどこからでも得ることが出来ます。
しかし、よくよく考えてみると、
「理論上はこうだよね。」といくら言ったところで、実際にいかせなかったらそれはただの知識になってしまいます。

もう少しだけ欲張ってみてもいいと思うんです。
もう少しだけ欲張って「じゃあ、自分の場合はどうだろう?」という試みが、少しずつ私達を助けてくれるんです。これが何より私達のためでもあります。

心の仕組みを知っていても、それを自分の生活にどう反映していくかを考え、やってみない事には一向に変化はしていかないんです。

例えば、私は自分の記事の中でしきりにこう言っています。

「過去に起きた事は今の私にはどうする事もできないので、今から出来る事を懸命にやる事こそが大切です。」
こういったものに対し、その内容を理解するだけでは理屈は分かっても、実際の自分が良くなる事は無いんです。それは知識にはなったけど、私達が変わる事はありません。

内容を理解した上で、「過去に起きた事は、今はどうにも出来ない。良くあの時を乗り越えた。じゃあ、今から出来る事をやるだけだ!」と、実際に考え、今出来る事を実行しない事には、悩みは解決しないんです。

また、「脳は私達の考えに応じて変化します。」といった脳の仕組み上の内容も、実際に「脳を変化させるために考える、経験する」事をしなければ、やっぱりただの知識で終わってしまいます。

ここで、分かりやすくするためにちょっとおかしな話をします。

村人と山


とある村があったとします。

この村の近くの山では「野生のゴリラ」が沢山出るという噂がたち、村人は恐怖で震え上がっていました。
実際に何人もの目撃情報があり、誰もその山には近づこうとはしません。
しかし、1人の好奇心旺盛な若者が、それが本当かどうかを知りたくて、たった一人で山へ入っていったんです。

山の奥へと足を運ぶと、確かに木に大きな傷跡があったり、獣道もあったりしました。

そうして更に奥へ進んでいくと、若者は実際にゴリラの群れを発見します。
「本当にいた…!」と彼は驚き、慌ててすぐさま帰ろうと思った矢先に、後ろから別のゴリラの群れがやってきて囲まれてしまいます。
「もうここまでか…。」と思ったその時!

ゴリラメッチャ優しい…。

とても獰猛で縄張り意識が激しいと聞いていましたが、なんかゴリラメッチャ優しい!
バナナはくれるし、なんだかもう仲間みたいな感じで受け入れてくれるしで、若者は腰を抜かしました。

こうして若者には新しい考え「ゴリラメッチャ優しい」に行き着くことが出来ました。

この話を広めるために、若者は村に帰り、皆に伝えます。
「ゴリラはいたけど、とにかく優しかったんです。だから皆安心してください!

しかし、村人たちの多くは全く信じようとしません。
夢でも見ていたんじゃないか?嘘をついているんじゃないか?
疑う人が大半でした。

そんな中でも、何人かの人は若者の話を疑わずちゃんと聞いてくれていました。
しかし、若者が「実際に会いにいきませんか?本当に優しいんで!」と言うと、
「ゴリラが優しい事は分かったよ。でもなぁ…。」と頭では理解できているつもりでも、やっぱりどうにも踏ん切りがつかないようです。

そして実際に自ら山に入ったものは極少数でした。その人達は勇気を持った結果「本当だった!」と知ります。

その結果、
実際に行動した者は、不安や恐怖から開放され、
信じない者、内容だけは把握した者は依然として恐怖を抱えて暮らしています。

つまりは「ゴリラメッチャ優しい」という事を説きたい。
というわけではなくて、
知らない人と知っている人の間にはさして差は無いんですが、
知っている人と実際に行動した人の間には圧倒的な差が生まれているよ、という事です。

そしてその差はすぐ埋まる


それを知識として知っている人と、実際に行動し試みた人の差は、それはもう圧倒的です。
心の余裕が生まれ、それはどんどん加速していきます。

しかし、ここで「圧倒的な差があるなら追いつく事はできないし、私には無理なんだね。」となる必要は全くありません。

なぜならその差を作り出しているものは、「やってみたかどうか」の違いだけだからです。またその出来不出来をだれかと比べる必要もありません。

やってみる事が私達に穏やかな暮らしを作り上げる、後押しになり得るんです。

確かに専門的な知識だったりは学ぶだけでも相当の時間がかかったりします。

ところが、「その知識をどういかすのか?」「なんの役に立つのか?」という話になり、あくまで実生活へ落とし込むというレベルであれば、
「悩みを無くすには、悩み続けるんじゃ無くて、悩まなくて済むようにしてしまえばいい」
「楽しく生きるためには悩む時間を極端に減らしてあげればいい」
といったように、それをどうやったら実現可能か探し、行動する事に集約されます。

つまり、悩みを減らしていくという部分だけ見ていけば、難解な専門書は必要ないし、
「こうすると悩みが減ります」という悩みから抜けた人やそれを簡単に説明してくださっている人のやった事を実際にやってみるんです。

やってみた上で、自分にあっていればそのまま続けてみて、あわなければ止めてしまってもかまわないんです。
しかし、やってみない事には、それが本当かどうかは分かりません。
知識はあくまで知識でしか無いんです。

私が悩み続け、消えてなくなりたいと思っていた頃から、今日のような「ゴリラメッチャ優しい」というふざけた内容を恥ずかしげも無く投稿できるのは、ひとえに「じゃあ、それを自分の場合はどういかしていけばいいのか?」と行動したからです。

突き詰めた場合、その知識たちを基に
「今からなにが出来るだろう?」が私の一番の支えとなりました。
幸せとは誰かと比べ一喜一憂する事では無い。だったら「今からなにが出来るだろう?」
過去の経験が今の私を苦しめている。だったら「今からなにが出来るだろう?」

わたしにとっては一種の「リセットボタン」のような役割を果たしてくれたものです。「まあ、ここから始めればいいよね!」という過去の失敗を恐れないためのリセットをしてくれた言葉です。

悩みをどうしても減らしたいがために、手当たり次第に試みて、失敗して、それでも自分にあったものを見つけたんです。

そうして今は、問題が起こっても、悩みに繋がる事はほとんどありません。

それもこれも脳の変化をさせるために頭で考え、行動してみたからなんです。
とはいえ、私の頭の中のニューロンが、シナプスが、どう変化したかなんて見ることも出来ませんが、私は今、自分の変化を実感できています。

知った上でやってみる。
諦めずに何度も繰り返していけば、きっと悩まない毎日が来ます。

その時、思うはずです。

諦めないでよかった、と。

東洋では、知識を基にそれを体現すること「悟る」といったりしますが、今回の話はこれに近しいものだと考えています。

今日のあなたの一日が「その山が安全である」事を知る一日である事を願って。
読んでいただきありがとうございます!!

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