今回は、本当に欲しいものを手にするための内容をご紹介します。私達が今、欲しいと思うものや得たいと思っているものは、どうしても欲しいものではあったけど、自分が本当に欲しいものじゃなかったりします。必要なものを選び、そして本当に欲しかったものへの思いを私達自身の手で取り戻していく。そんな話です。
では、早速いきましょう!
どうしてそれが欲しいのか?
私達の暮らす社会では、何を買うのも、何を選ぶのも金銭的な制限は確かにあるけれど、ある程度は自由です。好きなものを買っていいし、好きなものに没頭して良い時代に暮らしています。
ところが、そういった自由があるのにもかかわらず、私達が買ったり選んだりするものには、なぜだか「ある一定の偏り」があることにも気付きます。
例えば、新製品だったり、ある時突然火が付いたようなものだったりと、人気がある物というのは存在します。
この人気がある物の中には私達の心理的には「皆が欲しいと思うから、私もまた欲しいと思う」という一面もあったりします。
これ自体は経済を活性化させる要因にもなるので、むしろ「経済的には」良い影響なのだと思っています。
ですが、「個人の幸せ」という点から見ると、必ずしもイコールではないという事がいえるんです。
というのも、その商品は「どうしても欲しいもの」ではありますが、「本当に欲しいもの」では無い可能性があるからです。
多くの人が欲しがっているから
時に私達は、「多くの人が欲しがっているから」という理由で何かを買ったりします。
もっとはっきり言えば「多くの人にうらやましいと思われたい」から、購入を決めたりしてしまう事があると思います。
しかしこれは裏を返せば、うらやましいと思われたいから「どうしても欲しかった」のであり、自分の役に立つ「本当の欲しかったもの」ではなかったりします。
また、うらやましいと思われたい気持ちで買ったものは、大抵の場合、他者からすれば「うらやましい」では無く「うらめしい」になってしまいます。
こうなってしまうと、結果的には買った瞬間の満足感は得られるものの、「大金をはたいて恨みを買う」というなんともいえない状況を作ってしまう可能性があります。
更に言ってしまえば、買った瞬間の満足感も「皆にうらやましいと思われたい」という、私達の期待からなる「勘違い」かもしれません。
さてここで、チョットした子話に付き合ってはいただけないでしょうか?
石の力
とある時代の、とある国で私が暮らしていました。
河原を散歩していると、綺麗な形の石を見つけました。私はその石を子供たちに見せるために、家に持ち帰りました。
家に帰ると、隣の国の友達が来ていました。ああ、そうか。今日は遊びに来る日だったなと思い出し「ようこそ!」と友達に挨拶を済ませました。
そしてその後、石を子供に見せようとポケットから取り出しました。
「こんな石見つけちゃってさ、綺麗でしょ?」と私が見せると、子供たちは興味津々。私はしてやったりです。
ところが、隣にいた友達の様子がなんだかおかしい。
友達は「おい!それ…!どこで見つけたんだ!?」と言い、落ち着きが無い様子です。
やっぱり何か変だ。
私は「そこの河原だけど…?」と答えたその瞬間。
友達は子供たちからその石を奪おうとしています。
子供たちは怖くなって泣き出すし、私も事態が把握できません。
とりあえず私は「どうした!一旦落ち着け!!」と半ば取り押さえるような形で友達を落ち着かせます。
荒い鼻息をたてていた友達も少し落ち着いた様子です。そうしてよくよく話を聞いて見ると、
友達の国では石に守護の力が宿り、その強さは形によって左右される、という文化がありました。そして私の持ち帰った石は、どうやらとんでもなく「イイカタチ」だったようです。
私の国ではそういった文化はありませんでしたが、友達の話を聞いて少しずつ理解しました。
それと同時に、全くそんな文化が無かった私の心の中に「ある気持ち」が芽生え始めます。
「そんなにいいものなら、手放したくない。」
さっきまで私の中でたいした価値が無かった河原に転がっているただの綺麗な石なのに、友達の話を聞いてからというもの、何か特別なものに感じています。
そうはいっても友達はどうしても欲しい様子です。
でも、私は手放したくないので、こういいます。
「君の国では、これの評価を決めてくれる人がいるかな?先ずはその人に会いたい。」
この場のお茶をどうしても濁したい。そう思った結果の苦肉の策でした。
それにその価値も確かめられそうだとも思いました。
そうして私達は隣国にいき、石鑑定者とよばれる人にその石を見せました。
その石鑑定者は「これは…!?大変な事になった!」と友達と同様のそぶりで慌てふためいています。
私は心の中で、やっぱり相当のいいものなんだ!と期待に胸を膨らませていました。
がしかし、
石鑑定者は「これは相当に邪悪な力を持った石です!カタチは確かにいいが、色がマズイ!あなたに不幸を次から次へと与えるものです!今すぐ手放した方がいい!」
そういって震え始めました。
これには、私も友達も驚きました。
それと同時に、石鑑定者のあまりの怯え具合に、今度はどうしても手放したい気持ちが芽生えます。
私は「欲しがってたよね、これ?あげようか?」といい
友達は「いやあ、君に危険な事を教えてあげようと思っていたところさ。今日の鑑定で確信したよ。」と言って、押し付けあいます。
しかし私もこのままでは夢見が悪い。まして家族に何かあったらと思うといても経ってもいられません。
すると、石鑑定者から救いの一言が
「私がお払いをしてその邪悪な石を清めてきます!お代は結構!置いていきなさい!」
これによって私と友達は無用な争いに終止符を打ち、岐路に着くことが出来ました。
その国でその石が邪悪だったのか、本当は聖なる石だったのかは、石鑑定者しか分かりません。相当の値打ちがあったかもしれませんが、それも今となっては分かりません。
本当に欲しいもの
くだらない創作話に付き合わせてしまってすいませんでした。
しかし、この話からなにが言いたいのかというと
「区別がされると、途端に価値が生まれたり、価値がなくなったりする。」という事と
「文化が違えば価値は変わってしまう。」という事です。
沢山転がった石に、何か特別な「区別」がされた場合、綺麗な石は良い!という価値が付与され、人の気持ちまで動かしてしまいます。
ですが、よくよく考えれば、確かに世間的な価値が隣国ではあったかもしれませんが、それは必ずしも私の「本当に欲しいもの」では無いですよね。何事にも影響されなければ、ただの石だったんです。
誰かの欲しいと思ったものに対して気持ちを向け続けると、その気持ちを右へ左へと、その都度揺れ動かす事になってしまいかねません。
まして文化が変われば、その価値はたちどころに変わってしまうなんて事もあります。
ここで注意したいのは、お金持ちが悪だ。だとか、
欲を捨てたら幸せになるといっているわけではありません。
むしろ何かが欲しい、何かを得たいと思うからこそ、楽しさは見出せると思っています。
この記事で言わんとしている事は
「その欲しいという気持ちを【本当にほしいもの】だけに向ける。」事が大切だという事です。
つまりは、
世間の評判や周りからの反応を気にして何かを欲しいと思うのではなく、
自分の欲しいと思ったものだけを得ていった方が、右往左往としなくていいし、何かと負担は少なくなるんです。
ものの価値は、世間や文化に決めさせるのでは無く、自分で決めてしまった方がいいんです。
ものの価値は自分で決める
ものの価値を自分で決めた先には、
当然、沢山の人が買うものも含まれるし、全然人気の無いものも含まれるでしょう。
ですが、世間の人気は私達には一切関係ありません。
だって、それが本当に欲しいものだから。
例えば
自分へのご褒美として買った少し高い服も、古物屋でひっそりとたたずむ古時計も
私に価値があるものなら、たとえ世間がなんと言おうと、とびっきりの価値があります。
高かろうが、安かろうが、それには私にとって価値があると思えたのなら、本当に価値あるものです。
私には妻がいて、その妻と実現したい密やかな夢があります。
歳をとって、私達がおじいちゃんとおばあちゃんになり、仕事も自分の手を離れ、後は余生を楽しむだけ、という時期がきたらやると決めている事があります。
それが
2人で世界一周旅行をする事です。
歳をとるまで知らなかった世界を2人で共有してみたい。
写真で見るのではなく、自分たちの目で焼き付けたい。
そういった夢があります。
それが本当に「欲しい」経験だからこそ、本当に価値あるものだと確信しているんです。
世間的に見てどうか?なんて事は全く関係ないんです。私はそれに価値を感じているというだけです。
今現在で言えば
私の場合は、本はまだまだたくさん欲しいし、お互いの両親、そして妻はどうしても失いたくない守りたいものです。
私の本もまた、妻からしてみれば文字ばっかりのつまらないものですが、私からすれば大切な宝物です。
かつての私は、世間を気にしてとにかく流行りものに手を出し、「何かが違う。」と感じていました。そうして皆が飽きた時、私もまたそれに飽きました。
ところが、
本当に欲しいもの、本当に守りたいものだけに目を向け始めたと同時に、
私の人生が輝き始めたんです。
私達はどこかで、「世間の評判」というものから離れた方が幸せになれます。
そしてそれは、早い方が良い。
あなたがもし、何かを得ても満足感が得られないのだとすると、それはあなたの【本当にほしいもの】じゃ無いかもしれません。
好きなものに思う存分力を注げるって、本当にいいものです。
生きることの素晴らしさを、今確かに感じるんです。
今日のあなたの一日が「本当に欲しいもの」を手にする一日である事を願って。
読んでいただきありがとうございます!!