AI技術と脳~AIの急激な進歩は意識をもたらすか?~

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雑学

今回は「AI技術と脳」についての話をしていこうと思います。毎年のようにまるでSFのような技術が誕生しつつある近年のAI技術において、一度それらをさらっとおさらいをしていくのも悪くないのでは?と感じましたので、今回はAIってそもそも何だろう?だとか「脳とコンピューターの融合(BMI、BCI)」だとかの最先端の話と、未来についての展望を見ていこうと思っています。

では、早速いきましょう!

AIってなに?


近年、AI技術がどうだ!とか、人工知能がどうだ!とかと言う情報をいたるところで目にします。
例えば
「AIが描いた画にものすごい高い値が付いた。」
「AIが作成したブログが閲覧数世界一位を成し遂げた。」

などです。

私達はなんとなく「AIが」、と言う反面、実は専門家の間であっても定義が割れていて、「AIとはこういうものだ!」という明確に示せないものでもあります。

とはいえ、「AI」という言葉から見ていくと「アーティフィシャル・インテリジェンス(人為的な知性)」がまさにそれに当たるとは思いますので、そんな人為的なプログラムによる出来るようになったことを、その歴史から先ずは見ていきます。

人工知能の歴史


私達人間はこの地球に住む生物として生まれましたが、人間だけはその進化によって偶然得た頭の良さを使用して、自身が途方もなくゆっくりとした進化をするとしても、知識によってそれらを積み重ね、「道具」を進歩させ続けてきた種でもあります。

そういった道具の進歩は、良くも悪くも今や留まるところを知らず、生活や環境をわずかな時間で様変わりさせてきています。

その中でも、特に大きな変化を遂げた事と言えば、「人工知能と私達」の関係です。
今回はそんな人類が作り上げた、人工知能の約70年に満たない歴史を先ずはざっくりと見ていきます。

第一次AIブームと「トイ・プロブレム」

1,950年代後半から1,960年代にかけて、人は人工知能に挑戦します。この時期を
「第一次AIブーム」
と呼びます。

この当時誕生した人工知能は「明確に意味を決めた、かつ非常に狭い範囲のみで機能するもの」でした。

「迷路」だったり、「オセロ」のような明確にルールが決められていて、かつゴールも決められた単純なものしか解けない状態でした。

当然、複雑性の塊のような「社会問題」に対しては全く対応できるはずもなく、
この時代に人工知能に解ける問題は皮肉を込めて
「トイ・プロブレム(おもちゃの問題)」
とも呼ばれました。

そこから大きな発展は得られず、1,970年代においてはほとんど進歩しませんでした。

第二次AIブームと、「エキスパートシステム」

1980年代になると、再びAI技術は注目され始め、「第二次AIブーム」がやって来ます。
その火付け役と言っていいであろう技術は「エキスパートシステム」と呼ばれるものです。
「エキスパートシステム」は、その名の通り「専門的」な情報を扱い、それについて知らない人の問題解決が「いくつか」出来るようになりました。

例えば
「熱はありますか?」「はい、いいえ」
「喉は痛いですか?」「はい、いいえ」

のように
専門知識の条件式を沢山プログラムし、その質問に対して答えることが出来るようになったんです。

しかしこれもまた、裏を返せば
「ルールに従っているだけに過ぎず、そのルール自体は膨大な時間をかけて人がプログラムする必要がある」ということでもあります。

第一次AIブームと比べれば、確かに取り扱える範囲は拡がりましたが、プログラムにない問題に関しては、依然として取り扱えませんでした。
あくまで知識の外注作業であって、そこから新しい問題を解ける見込みは「全くのゼロ」
でした。
コンピューターにとってはプログラム自体が経験なので、日常からプログラムを作成し、自身を更新するようなことは出来ません。

これによって、1,990年代から2,000年代は、再び停滞期を迎えました。

第三次AIブームと、「ディープラーニング」

2010年代に入ると、「ディープラーニング」によって「第三次AIブーム」がやって来ました。

「ディープラーニング」を簡単に言えば
「大量のデータの中から、それらデータの特徴を探し出す技術」です。

これによって、人工知能は
「分類に必要な特徴を【自ら】学習できる」
ようになりました。

それ以前は「特徴量」とその分野では呼ばれている、識別に必要な情報を与えることで、学習させていました。
要は、それまでの人工知能の精度を上げるために必要だったものは、人間がその「特徴」をいかにうまく教え込むかが重要でしたが、「ディープラーニング」以降、特定の分野においては、既に人の精度を大きく超えるものも出てきています。

「ディープラーニング」によって、とにかく大量のデータを与えることによって、より精度の高い解を出すようになったんです。

またそんな大量のデータを取り扱うための、コンピューター自体のスペックの向上と、データ量自体の爆増がこれらに拍車を掛けました。

ちなみに「ディープラーニング」は「ニューラルネットワーク」という私達の神経細胞(ニューロン)の働きから着想を得たものがベースになっています。

その結果の例を挙げるなら
「最先端AI(アルファ碁と言います)が最も複雑なゲームである囲碁の人類最強棋士を2016年に倒し、それ以降人類は圧倒されている。」
「また、2021年には新しくルールを学習した対戦型ボードゲームに関しては、およそ3時間に満たない時間で、人類最強の人たちを超える。」

このように加速度的に、現代にいたるまで進歩していっています。

こうなってくると、おそらくは少しゾッとする人もいるかと思います。

だとすれば現時点において、AIはその「意味」を理解しているわけではない、と言うところにも触れる必要があるかもしれません。

「意味」を理解するときは来る?


哲学者サルトルは、「人間は意味を与えることのできる生き物だ」という事を示すために「実存は本質に先立つ」と言いました。

確かに私達は「道具に意味と役割を与えることのできる生き物」ですよね。
フォークは食べるため、スマホは情報や連絡手段のため、と人はそれに意味を与えて道具として使用しています。

一方、AI技術からなるその「答え」というものは、あくまで、「こうなった場合、次にこれが来る可能性が高い。したがって、これが回答です。」と言った、可能性による分析であって、その意味自体を理解しているわけではありません。

つまり現時点でのAIの成していることは、「意味による解の判断すること」ではなく、「意味を与えた人間の目的を達成すべく、それに基づくデータを探った特徴を提示すること」です。

「AIが人を本当の意味で超える」という時が来るならば、おそらくはAI自体が「意味」を理解し、「意味」を与えるものになった時がその始まりなのだと感じます。

そしてAIに、私達の最大の特徴の一つともいえる「意識」が生まれるようなことがあれば、これらは起きうるかもしれません。つまり、人工知能が「意識」を有するような場合があれば、社会は一変してしまう可能性を秘めています。
ですが、事態はそう簡単では無かったりします。「意識を生む」という事は、今までの技術とは比にならないレベルの技術を要すると考えられます。

意識問題はブラックボックス

ここで、意識を理解し、意識そのものを生み出すのがどれだけ難しいかの話を、脳の話をしながら見てきます。
現在、特に脳神経科学分野において「意識」というものが解明されそうか?と言うと
「分かりません!」状態です。

ただ有力な「理論」はいくつか存在していて、その中でも個人的にはトノーニたちが提唱している「統合情報理論(IIT)」は秀逸だと感じています。トノーニの本はとっても面白いので、もし興味があれば手に取ってみるのもいいかもしれません。まるで小説のような語り口で、結末まで至ります。ただ少し難しい部分があるので、そこは注意です。

別名「φ(ファイ)理論」とも言われている「統合情報理論」が正しいとすれば、我々が危惧するような「AIに【偶然】意識が宿る」、ということはほぼあり得ない、と感じます。

「情報統合理論」をざっくり説明するならば、
「豊富な情報を持った私達の脳が、【その情報を複雑な処理をして】統合するとき初めて意識を宿すとするならば、どの段階において意識が宿り得るのか?を客観的な数値として確認出来るんじゃないか?ということで、数値化してみた。」という理論です。

とはいえ、これだけだと少し理解しにくいと思いますので、もう少し掘り下げます。

私達の脳は沢山の情報を統合しつつも、【複雑な処理】を経て、何らかの判断や意思決定などを行っているわけですが、
トノーニはこの「複雑な処理」にこそ、意識解明のカギがあると考えます。

「統合情報理論」では、「φ(ファイ)」を用いて数値化するんですが、このφの値は、
単一、もしくは複数程度の作業を繰り返すだけでは大きくならず、
非対称、かつ途轍もない数の複雑な処理を行うことによって大きくなる
ようになっています。

この理論をあてはめると、例えば小脳は比較的単純な神経活動を繰り返すから、そこに意識が生まれない、と説明ができ、
また、麻酔や睡眠時の意識が薄れゆくことに対して、より高い精度で意識状態か否かを示し、
更に、いわゆる植物状態の方は微かに意識の兆候があるかもしれない事が示されたりします。

脳は、「複雑な処理」の無限に近いようなやり取りによって「意識」が生まれている、という前提の基、数値化してみた結果、色々と合致するよ。ということが「理論として」見え始めていて、徐々にこの理論を支持する方が増えていってもいます。

すこし話がAIから逸れてしまいましたが、この理論が正しいとするならば、
AIの行っている処理の数は人間を遥かに超えて膨大になったものの、私達の脳よりも「遥かに単純な作業を繰り返している」と言え、裏を返せば「意識は宿らない可能性が高い」ともいえます。

確かにAI達が取り扱える情報量は人間のそれをはるかに上回りますが、それは比較的単純な繰り返し作業であって、人間の創造や創発にはまだまた至っていないんです。

脳と人工知能の今後

イーロン・マスクが立ち上げた「ニューラリンク」という会社があります。
その会社は、
「今後人工知能に人類が支配されるかもしれないので、その対抗手段として【脳と人工知能の融合】を目指し、BMI研究をします。」
ということを目指しています。

まるでSFで見たような「脳×人工知能(BMI)研究」が行われています。

しかし、私はどちらかというと、こちらの方が危惧すべき問題をより多く抱えているように感じています。

ここではちょっとした未来を想像してみようと思います。

~~20xx年の生活~~

朝がやって来ました。
私達は脳を刺激されることで、睡眠状態から覚醒状態へとすっきり起きることが出来ます。
朝一番に、頭の中のチップが心身の状態を分析し、「今日は多少ストレスを抱えています。」と診断され、適切になるよう微調整を施してくれます。

食事は、栄養の研究から導き出されたサプリメントです。
味気ないって?
心配には及びません。
味や脳の刺激によって、そのサプリメントはまるで一流レストランの朝食のように感じられるはずです。

さて、仕事の時間ですが、通勤をする事はありません。なぜなら皆自宅でタスクをこなせるような時代ですから。

脳を最適化された私達は、以前の数倍の効率で仕事をこなせます。
おかげで午後は自由です。

~~~~~~~~~

とある本から、このような話を目にしました。
非常に個人的な意見ではありますが、私はこのような生活を望むことが出来ません。
夢の中で生きているのと、何ら変わらないのではないか?とも思います。

実際の存在としての私達は実に空虚であり、また人為的な脳の刺激によって得られる反応や快楽は、「かりそめ」でしかない気がします。

また、人類の歴史において「便利さ」というものは、常々一考しなければならない危険をはらんでいます。

例えば、パソコンが普及し「便利」になった社会生活は、「その便利を前提としたタスクが再設定」されてもいます。

遥かに仕事は効率よく捌けるようにはなったものの、すぐさまその捌ける前提として仕事量は遥かに増えました。

ここから鑑みると、圧倒的な効率でこなせるようになった先の未来には、さらなるタスクが当たり前になった未来、なのかもしれません。

線引きは必要


AI技術の発展により、簡単なタスクをこなすものは、次第に私達の5感に訴えかけるようなものとなり、さらに今後の未来においては身体、ひいては心の領域にまで範囲を拡大していくことは、おそらく間違いないと思います。

実際、「頭で考えるだけでロボットを動かすことが出来る」状態がもう数年も前に実現してもいます。
ですが、
「意味」を与えるものが、「意味」を与えられるものにならないために、そこには「明確な線引き」もまた必要であると感じます。

今回少し暗い話になりましたが、こう言った話は知っておくことが重要ではないか?と思った次第です。

今日のあなたの一日が「脳とAI」について軽くおさらいする一日である事を願って。
読んでいただきありがとうございます!!

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