今回は、前回の「ビッグファイブ」と呼ばれる5つの性格特性を理解し、その一長一短である特性をどのように生かしていくか?が今回の内容になっています。今回は最も苦しい思いをしているであろう「神経質傾向の高さ」に着目して、そのメリットを最大限生かしていきます。
では、早速いきましょう!
前回のおさらい
前回の記事内で「ビッグファイブ」についてご紹介しました。
5つの特性である
「外向性」「神経質傾向」「統制性」「協調性」「経験への開放性」
によって、
私達の性格は5つの特性の組み合わせとバランスで成り立っていて、それを理解するということは、自分を理解するということに繋がるんじゃないか?ということで、その中身を一つひとつ読んでいただきました。
もし前回を読んでいないよ、という方がいらっしゃいましたら、まずはそちらを見ていただいた方が今回の内容は腑に落ちるかもしれません。
さて、その中でも「悩み」などの大きな原因となる可能性が高い「神経質傾向」についてもう少し掘り下げていき、その道筋を見出していこう。というのが今回の内容です。
ここではっきりと申し上げておきますが、私自身は「神経質傾向が高い」人間です。
もしくは「高かった」人間といった方が適切かもしれません。どちらについても半分ずつは合っているかと思います。
この辺については、次回の記事でもう少し詳しく掘り下げます。
ただ、ひとつだけ言える確かなことは「私は不安や不満をずっと抱え続けるようなことは、ある時から無くなった」ということです。悩まない、と言う事では無くて、悩んでる時間が極端に少なくなった、という感じです。
神経質傾向とそのほかの特性の関連性
「神経質傾向」とは、「ネガティブな感情に反応しやすいか否か」の特性です。
日常で起きる様々な経験に対して「不安や恐怖」などの負の感情を抱きやすいです。
またそういった外側からの刺激だけでなく、内側からの思いや考えに対しても、自分を責めてしまう傾向があります。
そしてそういった傾向があるにも関わらず、深く考えることが得意なのがこの思考に拍車をかけます。
つまりは、嫌なことを思い返しやすい上に、それを深く考えてしまうあまりに、ゆっくり噛みしめるように味わってしまいます。
そうなると悪い事からより大きな悪い事を導き出して、自分の心をどんどんと傷つけます。
この状態だけでもとても辛いんですが、これに「統制性の高さ」も持ちえた場合、これが嫌な気持ちに加担します。
「統制性が高い」とは「自制が利く」ということですので、
負の感情で現状苦しんでいるのに「ああ、あれもやっとかなきゃ」と、
「~べき。~しなければならない。」という「してはならないこと。しなければならないこと。」が多くなって気持ちが休まりません。その結果、この高い自制心が傷ついた心に更に無理をさせます。
加えて「協調性」も高い場合はもっと辛い思いをするかもしれません。
「協調性」とは「共感力の高さ」です。
嫌な気持ちが遂には爆発してしまって、一時的な感情の高まりによる「いらだちや不安」をついつい表に出してしまいますが、その協調性の高さによって後々後悔をします。
「何をやっているんだ私は」と、
本来基本的には強みなはずの「思いやりの強さ」によって、再び自分を傷つけます。
今の苦しみと過去の後悔を抱えつつ、それを再び深く考え始め、大きくしていきます。
そうして心が疲れ切った際には、以前は外に向いていた気持ち(外向性)は失われていき、何をするのも、誰と会うのもただただ苦しくなっていきます。(経験への開放性の低下)
ここまで具体的なのは、これが「ビッグ・ファイブ」から見た、私自身の経験だからです。
さて、ここまでネガティブな内容を読んでいただいたのは、誰かを傷つけたいわけでも、私自身が「自分はこんなにかわいそうな人間なんだよ」と共感していただきたいわけではありません。
自分を落ち込ませ続けた人にも「活路がある」ということを示したかったんです。
ここからが本題です。「神経質傾向の高さ」には、「あるとっておきの強み」があるんです。
その性格特性の強み
「神経質傾向が高い」事による特性は先ほども申し上げた通り、
「負の感情を抱きやすく、またそれについて深く考える」というところがあります。
一方の「負の感情を抱きやすい」事は現代社会において、あまり恩恵がないものだと思いますが、
もう一方の「深く考える」事は必ずしも悪い事では無いんです。
またこれに加えて、神経質傾向が高い方は「努力が得意」なんです。
この特性がほかの4つのどれかと組み合わさった時、とんでもない力を発揮します。
成功したいから努力し、
成さなければならないものがあるから努力し、
誰かのためにと努力し、
新たな知識を得るために努力する。
これらから鑑みて、思い出してみて欲しいんです。
心が折れ、何をすることも、誰に合うことも苦しくなった以前のことを。
もしかしたら、今は心が折れ、何事に対してもどうしても気持ちがついてこないかもしれません。
でもね、
あなたはとにかく頑張り屋さんではなかったですか?
心が折れるほどに重荷を抱えたまま、頑張れる人ではなかったですか?
勉学に励んだかもしれません。人の気持ちに寄り添うために懸命に尽くしたのかもしれません。
いずれにせよ、どこかに向けて懸命になっていたはずです。
そして今、おそらくその頑張りは「負の感情」へと向けられてはいませんか?
ただ少しだけ、その方向性を変えてあげるんです。
私自身が「悩むために深く考える」ことに長けていました。自分を傷つけるような事をずっとしていました。時には、自ら望んで「私はなんて駄目なんだ」と罵ってきました。
しかし私は運がよかったとも思います。何か優れていたわけでは全くなく、ただただ偶然によって、「新たな経験」をしました。
その「新たな経験」こそが、私のその後を大きく変えてくれたんです。
私は「心理学の本」に出会いました。特にメンタル面についての解決法や気にしなくなるような対処法が、その当時の私には本当にぴったりでした。
そこからでした。
「悩むために深く考える」私が「悩みを解決するため、または対処し、いなすために深く考える」へと少しずつシフトしたのは。
私の場合は、そもそもその当時の時点で、自分自身の悩みを解決や対処する術を持ちえないのにも関わらず、その持ちえない中でグルグルと考えていたところに最大の原因があったと思います。
ところが、その「新しい経験」によって解決や対処のための経験が増えたんです。これによって考えるための道具を手に入れ、「深く考える」の方向性は変わっていきました。
もちろん一筋縄にはいきませんでしたが、少しずつ楽になっていく自分が、失敗しつつも上手く対処できてきている自分が、とても心地よかったんです。
そしてその「新しい経験」が本からで良かったとも心から思っています。誰からも干渉されることなく、自分のペースで読み進めることができたからです。
これは「経験への開放性」を手に入れたことによる変化だと思います。
比較的「新たな経験」が苦手だった私も、それが多大なメリットを生み出すものだと分かった時から、それは止まらなくなりました。
そしてそこから得た知識や経験は、私の「神経質傾向の高さ」のみを対処するだけにはとどまりませんでした。
その性格特性は裏返る
私自身は心理学に救われて、それ脳の仕組みから知りたいと「脳神経科学」を知っていき、どうも脳の起源は遥か昔の生活にあるようだと教えられ、「人類学」を学び、その歴史の中で「哲学」にも手を出しました。
まだまだどれも十分とは言えないですが、それでも得てきた経験は私を大いに助けてくれました。
「新たな経験」からなる「新たな道具」は「神経質傾向の高い」私にどんどんと良い変化を与えてくれました。
「新たな経験」によって、深く考える方向は以前よりシャープになりました。
方向性を変えて深く考えることで、不安を抱く要因や不快に感じる要因と向き合い始め、それに対処ができるようになっていきます。
それによって、「自分でどうにかできたんだ」という気持ちが失われていた自信や意欲へとなっていったんです。
つまりはメンタルに関する「経験への開放性」が「神経質傾向」に対処できるだけの道具になり、心の余裕を作ってくれたんです。
そうして心が安定してくると、そのほかの3つの性質である
「外向性」「統制性」「協調性」が
自分を傷つけるものから、「自分を守るもの」もしくは「自分に加担してくれるもの」になります。
外向性が高い人は、よりポジティブの獲得のため行動でき、満たされ
統制性の高い人は、自制心によって無理をしていた部分の大きな要素である「悩み」が減ることで、我慢をすることの全体量は圧倒的に減り
協調性の高い人は、人の気持ちがわかるがための辛さは、人の気持ちに寄り添えるだけの強さと共に、自分自身も癒されるような心地よさとなります。
辛さを与えている原因だったものは、
今度は打って変わって多くの要素がかみ合い、多くの要素が私達を後押しし始めます。
外に目を向けたいが怖い、自分の気持ちを抑えつつルールを守るのが辛くなってきた、人の気持ちがわかりすぎて辛い、などの要素が苦しいと感じる大きな要因は
メンタルが弱り、疲れているためです。
そうなのであれば、
メンタルの復帰をするような「新たな経験」によって、促されると考えています。
この「新たな経験」については、様々なものがあります。私が偶然にも出会わせてもらった心理学が良いと思ったのは、私の好みにびっくりするほど合致していたからです。
私の心に厳しくも優しく寄り添ってくれたからです。
ただそれは別に私と同じじゃなくてもいいんです。
その進んだ先に「悩み」がないのであれば
人によってそれは、違っても構わないものです。なんだってかまわないんです。
ただただ、幸せになってください。
今日のあなたの一日が「新たな経験によって素晴らしい未来」を紡ぎだす一日であることを願って。
読んでいただきありがとうございます!!