捉え方を変える

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人間関係

こんにちは!幸せマンです。
今回は、捉え方を変えていくことで私達の負担はかなり減っていきます、といった話をご紹介します。これは私が悩みを抱えていた初期の頃に大きな助けになってくれた考え方です。少しでも皆さんの助けになれたと思っています。

では、早速いきましょう!

私達が抱えている問題


私達が「悩み」として自分の中に抱えこんでしまうものは沢山あります。誰かに何かを言われたりなど、人によって様々な事柄が悩みとなって私達に覆いかぶさってきます。

そうして悩みを溜め込みすぎると、心の調子だけでなく、身体の調子にまで影響してしまうものです。
悩みに関しては、悪い事はあっても良い事はありません。

なんとか悩み続ける状況を打破したいといろいろと考えてはみたものの、なかなか難しいものです。

私自身がそうだったんですが「悩み」となっているものは、その原因の捉え方をガラッと変えてあげる事で次第に解決は確実に出来る様になり、行く行くは「悩み」ですらなくなっていきます。

今回はそんな「原因の捉え方をガラッと変える」ことが出来る様なきっかけになればと思っています。

悩みの原因は外側に


私達が悩んでしまう原因とはなんでしょうか?

たとえば
誰かが何かを言ってきて、それによって私達が嫌な気持ちを抱いたとします。
この時、大抵の場合その嫌な気持ちは「嫌な事を言ってきたその人」に向いてしまいます。
「何であんな事を言われなければならないんだ!」と、私達はこう思うものだと思います。
確かにその人の言動はあまりにも酷かった場合は、私達はその人にイライラしてしまう事もあるかと思います。
その後もその人の顔と言動が頭の中でちらついて、その度、イライラした気持ちが戻ってきます。どうにも釈然としません。「言い返してやろうかどうしようか?」などの考えが頭の中でグルグルと巡ってしまいます。

こういったことがある度に私達の「悩み」は増えていきます。場合によってずっと忘れる事ができないより大きな悩みになってしまう事もあります。

このように、そのイライラを「嫌な事を言ってきたその人」に向けた場合、解決できる時ばかりでは無いんです。むしろ解決できない事の方が多いんです。また、もしやり返したとしてスッキリするかと言えば、スッキリする事の方が少ないように感じています。

つまりは、気持ちの矛先を「誰か」に向ける事はなんとも不安定な上、報われることも少ないんです。

しかし、別の捉え方をしてみようと試みると、それが解決するだけでは無く、私達は次第に同じようなことが起きてもイライラしなくなっていきます。

考え方の転換を起こす!


多くの場合、私達は「その人が私をイライラさせた」と考えてしまいますが、前述したとおり、その気持ちを誰かに向けた場合には解決できない事が多いです。

しかしこれを別の角度から捉えた場合、

具体的に言えば、その気持ちを「自分」に向けた場合
「私がその人にイライラしている」ともとれる事に気付きます。

つまりはなにが言いたいかというと、
嫌な気持ちを「誰か」に向けた場合、基本的には解決しない可能性が高いですが、
嫌な気持ちを「私の心」に向けた場合、私がイライラしないで済む解決策を見出してやれば良くなります。

「誰かを変える」よう努めるのではなくて、「自分の心を強くする」方向で解決していった方が結果的にはそれを気にしなくていい方法を手に入れる事が出来、今後の私達のためになる、という事です。

自分の内側で解決できるようになってくると、どんどんそれは上手くなっていき、その内に何事にも動じなくなっていきます。

我慢し続けたり、外側に求めたりするのではなくて、我慢しているその心の状態を自分の内側で解消してあげると、外側のどんな影響にも屈しなくなっていきます。

では、どうすればそんな事が出来るのかの「最初の一歩」をここから見ていこうと思います。

外側の責任は任せ、内側の責任を果たす


誰かが酷い言動をしてきたとき、自分の外側には「嫌な事をいってきたその人」がいて、自分の内側には「イライラした自分」がいます。
ですので、先ずはその2つの原因の解決する「責任を仕分けてしまう」とかなりスッキリします。

どういう事かというと
その嫌な事を言ってきた人に関して考えると、嫌な事を言ったという「行為と言動の責任」はその人にあるという事です。
そういった言動をする事自体は、私達が解決する事ではありません。
その誰かがその行動を正すかどうかはその人に任せてしまう方が良いんです。

反対に私達もまた、自分の「行為と言動の責任」を引き受ければ良いんです。
私達が素直に生きていて、その人が嫌な事を言ってきたとするならば、全く持って気にしなくて良い事です。
私達に課せられたものは、私達の心をコントロールする責任のみです。

自分だけに向き合えば良いというと、「自己中心的だ!」などのご意見もあると思います。
しかしよくよく考えると、誰かを変えたい、屈服させたいと思う事こそが誰かへの介入であり、自己中心的な考え方なのでは無いかと思っています。

こう考える習慣が付いてくると、私達は次第に心に余裕が戻ってきます。
そうして、心に余裕が戻ってくると私達に更なる変化が起こり始めます。

心に余裕が戻ってきた先には


始めは上手く仕分ける事が難しいかもしれません。

しかし、脳は私達の変化にどんどんと順応してくれます。
少しずつ上手くなっていき、少しずつ簡単になっていきます。

自分で自分をコントロールできたと思う数だけ、自信が付き、心の余裕は加速して戻っていきます。

そして、どんどんと心に余裕が出来始めると、今まで誰かの幸せを願えなかったのは、自分に心の余裕が無かったからだと気づく日がやってきます。

つまりは
自分の責任に向き合った結果、回りまわって自分だけでなく、誰かの幸せを願えるようになるんです。
その人を変える努力は大抵の場合は報われません。しかし、自分の内側に目を向けることが出来たなら、私達は少しずつ、着実に変わっていくことが出来るんです。

誰かの責任はもう誰か自身に任せて、私達は私達の責任を全うするよう努めた方がいいのだと思います。
そしてその先には誰かの幸せを願える自分が待っています。

私達の毎日は自分の外側に支配されているわけではないんです。

内側のコントロールがうまくなるほどに、嫌な気分になること自体が少なくなっていきます。

今日のあなたの一日が「原因の捉え方」が変わる一日である事を願って。
読んでいただきありがとうございます!!

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