脳の雑学~その4~

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雑学

今回は、脳の雑学をご紹介していきます。一つの大きな記事にするほどでもないけど、それでも知ると面白い。そんな雑学を取りまとめた「脳の雑学」をお送りしていきたいと思います。今日は3つの話をしていきます。読んでいただけたのなら嬉しいです。

では、早速いきましょう!!

おばあちゃん細胞


突然ですが、想像してください。

目の前のガラス製の机の上に「リンゴ」がポツンと一つあります。
そのリンゴにゆっくりと何者かが近づいていき、そのリンゴを手で掴み取りました。
その人は誰もが見たことのある、「あの人」です。

「トム・クルーズ」さんです。

CM撮影なのかトム・クルーズさんは周囲のスタッフさんとお話ししながらも、その手に取ったリンゴを丸かじりします。
いい音を立てながらガブリと一口。実においしそうです。そしてとっても笑顔です。

どうでしょう?想像できましたか?多くの人は脳裏にありありと想像できたんじゃないかと思います。

こういった想像ができるのは、私たちの脳に
ガラス製の机
リンゴ
トム・クルーズさん

などがすでに見知ったものとしてインプットされているからです。

私達の脳内には、その人やその物に対し、見たときや想像したときに反応する神経細胞があるようなんです。

有名なのは「トム・クルーズ細胞」ですが、実際にそのニューロンが見つかったのは個人的には面白いなと思いました。

その人物に対応した神経細胞が反応することで、私達はそれを識別するだけじゃなくて、脳内でもありありと想像可能なんです。

あなたのおばあちゃんはどんな人ですか?
と言われたときに、割とはっきりとした形でパッと浮かぶのならその神経細胞があるんでしょう。と思うと私はワクワクしてしまいます。

マルチタスク


複数の作業を同時に行ったりすることを「マルチタスク」と言ったりしますが、脳の仕組みから見れば、この「マルチタスク」はめちゃくちゃ効率が悪い、ということがわかってます。
どういうことかと言えば、
その作業の質が極端に落ちる上に
時間がものすごく掛かる。

このどちらも起き得ます。

特に慣れていない作業では、これが顕著に出ます。

「論より証拠」だと思いますので、以下の課題にチャレンジしてみてください。
非常に簡単な算数ですが、笑ってしまうほど難しいと思います。

以下の文章を読んで、計算をこなしてください。
「わ・た・し・は・す・う・ぱ・あ・に・せ・ん・え・ん・を・も・つ・て・か・い・も・の・に・い・き・ま・し・た・ろ・つ・ひ・や・く・え・ん・の・べ・ー・こ・ん・を・か・っ・て・ひ・や・く・え・ん・の・お・か・し・を・ふ・た・つ・か・い・ま・し・た・さ・て・の・こ・り・の・お・か・ね・は・い・く・ら・で・し・ょ・う・?」

この文体を初めて読んで、すぐさま残金がいくらか答えられる人はそうそういないんじゃないかと思います。

この文章では2つの課題が与えられています。
「文章として読むこと」「計算すること」の2つです。

これを慣れ親しんだ文体にすると、驚くほどに簡単になります。
「私はスーパーに千円をもって買い物に行きました。六百円のベーコンを買って、百円のお菓子を二つ買いました。さて、残りのお金はいくらでしょう?」

これなら、先ほどとは打って変わって
残金が200円で、ベーコンが高くて、お菓子まで買った私が後で怒られるであろうことも想像できそうです。笑

これからわかることは、慣れていない課題に取り組む時は時間が掛かることと、慣れた形に落とし込んだ時、その効率はグンと上がるということです。

新入社員さんが何事においても時間が掛かるのは、それに慣れていないからであって、十分な「慣れ」の時間も必要です。さらには一つ一つ覚えていくほうが効率は良く、その慣れに要する時間は少なくなります。

ですので、できるだけ「シングルタスク」がいいと思います。

また沢山のことを抱え続けることを私達はあまり得意としていないので、個人的なおすすめは「紙に書いておくこと」です。一旦その問題は紙に覚えておいてもらうことで、たくさんの容量をひとつの事に向けることができます。
「記憶の外委託」は、ものすごく有効です。

好きも嫌いも「思いの量」からみればおんなじ


人それぞれ好きなことや嫌いなことがありますよね。
好きなもの、あるいは好きな人が近くにいるとき、その人の一挙一動(やること為すこと)がいい意味で目につきます。
反対に、嫌いなもの、あるいは嫌いな人がいる状態って、その人の一挙一動(やること為すこと)が悪い意味で目につきます。

私達の脳は、感情が生まれるものに対して懸命に記憶に残そうとするところがあります。
好きなものに打ち込めるように。また、嫌いなものに対応してもらうように。
覚えようとしています。

この時様々な脳部位が反応していますが、特に「生命維持や本能、感情の中枢」を担う「大脳辺縁系」が大きな仕事しています。

難しい話は抜きにして
この時って、好きも嫌いも「思いの量」としてその対象に向いているとも言えますよね。

好きもある程度の思いの量(強さ)として、はたまた嫌いもある程度の思いの量(強さ)として感じているものだとすれば、ちょっと違う視点が見つかりそうではありませんか?

分かりにくい言い回しになりましたが、要は、好きは好きのままでいいものと思いますが、嫌いを嫌いじゃなくするには、以下のことが言えそうです。
嫌いを嫌いじゃなくするためには、
「嫌いという思いの量を減らすこと」であって、「嫌いでい続けること」では、一向にその思いは減っていかないんです。

つまりは嫌いの反対は好きではなく、「特別な感情を抱かないような無関心に近い状態」です。よく言う「好きの反対は無関心」はまさにその通りです。

とはいえこれを「はいそうですか!」と、まるで機械になったつもりで「以降は、この嫌なことは気にしない」と思ってみようとしても、きっと失敗しちゃいます。

ただ、私達は明確な自分でしっくりくるような理由があれば、それが出来てしまいます。
確かに一瞬でガラリと変わることは難しいし、その思いの量が大きいほどに、困難であることは間違いないですが、不可能ではないと、私自身が実感しているところでもあります。

例えば、かつての私は
世間の評価を気にしまくって、固執した時期がありました。簡単に言うと
「みんなの良いというものが、私にとっての良いもの」だったんです。
その結果、「家庭を度外視して仕事に打ち込み、とにかく特権的な地位を目指す」事ばかり見続け、自分が本当に欲しかったもの、守りたかったものが、よくわからなくなった時期がありました。
「他者と常に比べ、見上げ、そして見下す」割と欠陥の多い人間でした。

なんとも未熟な当時の私はこの他にも、様々な問題を抱えていましたが、あくまでこれについての解決策は「自分にとっての大切なものは人それぞれ違うものだから、思い切って世間の評価を捨て去ること」でした。

つまりは比べても仕方がないものにしてしまった結果、比べることに終止符を打てたんです。

間違った方向の優越感と劣等感を持った私を自分の力で修正してみたら、なんというかこれまた別方向から「本当に大切なもの」がやってきて、私の新たな支えになってくれました。
大っぴらにこんなことを言えるのは、何より「それらを捨て去った私自身を好きになれたから」です。

これについても、先ほどの思いの量の話が当てはまるんじゃないかと思います。
「嫌な思いを向いている事柄に、嫌じゃなくする理由付け」を行ったんです。

人ってこんなに変わるんだ!ということを自らの身をもって経験したんです。

これは一つの例にすぎません。
しかし、
「そうありたければ、そうあれるだけの理由付けをしてやる。」事で、私はずいぶんと楽になりました。

今日は3つの話を取り上げました。
最後はちょっと重ための話になってすいません!
しかし、ハッとしてもらえたならうれしい限りです。

今日のあなたの一日が「ふぅ~ん」な一日であることを願って。
読んでいただきありがとうございます!!

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