今回は、脳の可能性についてどなたが見ても分かるような内容でご紹介していきたいと思います。脳は変化し、順応してくれます。何度でも、何歳であってもです。今回は私の記事では常々言っている「脳の可塑性(かそせい)」について掘り下げていこうと思います。
では、早速いきましょう!
脳は幼い頃、洗練の道を通る
脳は変化を続け、その考え方やその訓練などにちゃんと成果を残せるよう、対応できるように順応します。その仕組みは大雑把に言えば「使えば強くなり、使わなければ弱くなる。」といった感じです。
また脳は、幼い頃にシナプスの数を爆発的に増やします。しかしその一方で、その後は「その数を減らします。」
これについては、誤解が無いよう言っておきたいんですが、
その時シナプス達が「刈り込み」される理由は、誤った情報を減らすために、よりシャープな神経回路を築くためだと考えられます。実際に幼少期の頃、神経回路は「過剰生産」されているんです。ですのでこの「刈り込み」はその過剰な部分を減らすためです。
決して脳機能の低下が幼い時から始まるという意味ではありません。むしろ逆の事が言えるんです。
これを道路と車で例えると
道路に車が走っているとき、その行く道にあまりにも選択肢が多い状態だと、運転手は迷ってしまう可能性があります。運転手も本当は迷うことなく短時間で目的地に尽きたいはずです。
このはた迷惑な道路内で、何回か迷っている内に運転手はそこそこに早くいける道を覚え始めます。
そこで、あまり使わないし、迷いやすい道路に関しては、この際だから減らしていこう!と、脳内の国土交通省は動き始めます。
こう考えるとちょっと分かりやすいんじゃないかと思います。
つまりは、私達が生活しやすいように、その神経回路たちをより洗練してくれる期間なんです。
また、幼い頃の神経回路たちはただ闇雲に神経を張り巡らしているわけではなくて、私達が生まれた時点で、既に成人に近い神経回路を持っています。
だから生まれた瞬間から全くの白紙から神経を繋いでいっているのではなく、ある程度の行く先を目指せるレベルで、既にその回路は大体の形で張り巡らされているという事です。
どうしてある程度決まっているのかというと、「遺伝子である程度コードされている」からであって、むしろその方がメリットの方が大きいからです。
これがもし、全く白紙の状態からスタートして、神経を1から繋いでいったとすると、1人ひとり全く違った脳を持つ事になります。
そうなると、皆考え方も行動も全くてんでバラバラになり、混沌とした生き物になってしまいそうな気がしませんか?
また、生後間もない赤ちゃんの脳の活性化の状態を調べると、成人の脳と非常に似通った反応を示します。ただ、「成人よりも少しだけ反応範囲」は広いんです。よく赤ん坊はボヤっとした視界で周囲を見ているけど、その内、徐々に大人のような視界を獲得していく、なんて言いますが。まさにその通りで、各脳部位で担当しながら、また連携を取りながら徐々に洗練されていきます。
これからも分かる通り、ある程度の設計図は既にあの小さな頭の中にあるんです。
ちなみに、目が開いた赤ちゃんにマジックを見せるとしっかりと驚くんです。目の前からそこにあったはずの物体がなくなる事は、赤ちゃんにとってもびっくりなんです。
更に言えば、子供が風船を好むのは、「それが日常にはあまりない物理法則に反したものだと思うから」だからだと推測できます。
子供が「ふむ、これは物理法則に反する。実に興味深い。」と考えていると言う意味では無くって、「なんか浮いてる!おもしろ~い!」的な感じです。
ある程度のヒトとしての設計図があるからこそ、それを元に経験していき、洗練する事もできます。
思春期から成人へ
今まで、幼い頃の「刈り込み」期間は悪いものじゃないということと、ある程度の設計図が既にある、という内容について触れていきましたが、今度は身体と脳を発達させつつ、成人していく私達を見ていこうと思います。
脳の発達は大人になるにつれて進んでいきますが、
実際は「それぞれの脳部位でその成熟に達する年齢が違う」んです。
私達はなんとなく、ある年齢(例えば成人くらいで)に達する時に、脳全体が足並み揃えて完成するような気がしてしまいますが、そうでは無いんです。
少しずつ成長し、思春期を迎えた私達。あの時の私達は、愛や恋、反抗期など、結構感情に左右されがちな時期でしたよね。
これは脳から見ると、いくらか大きな根拠があります。と言うのも、
おおよそ14歳~19歳くらいで、感情を担う部分の脳は完成し、情緒豊かになります。
しかしその一方で、その情緒的な反応を抑制してくれる「前頭前野」というおでこの辺りの部分はまだまだ成熟しきっていません。
この結果、感情はしっかり働くのに、それを上手く抑える事ができない時期がやってきます。これが「思春期の脳」です。またこれは、「成長の証」でもあると思っています。
大人になる準備は順調に進んでいるんです。
そんな時期の最中にも、「前頭前野」はゆっくりと成熟を続けます。
そして、その完成はおよそ25歳~30歳を過ぎたあたりです。
つまりは、他の脳部位に比べ、私達の思考を担う部分の完成は、「とっても遅い」んです。
全ての脳が成熟しきるにはかなりの年月が必要で、また最も理性的な部分を担う「前頭前野」はその中でも特に遅いという事です。
さて、ここからが本題です。私達の脳は成熟、完成した後、「変化の余地があるのかどうか?」という部分に触れていきます。
変化の余地、更新の余地
「20歳を越えたら性格は変わらない」となんとなく聞いたことがある方もいらっしゃると思います。
しかし、先ほどの話の通り、25歳~30歳を超えたあたりまで完成していない脳部位があります。
だとすると「変わらない」と断言してしまうのは、誤りである事も分かります。
じゃあ、「30歳を超えたら性格は変わらない」のか?という疑問も出てくるとは思いますが、結論から言えば「それでも尚、変わります。」
先ほど言った脳の完成と言うのは、「脳が今後成長する事がない。変化する事がない。」という意味では無くって、あくまで「その人の脳の大きさ・神経回路がある程度安定した、成熟した」という意味です。
確かに、視覚や聴覚などは、かなり早い段階で完成し、その後ほとんど向上しない事が言われていますが、
「前頭前野」という部分に関しては非常に柔軟に物事に順応していき、変化もします。
前頭前野は脳の中でも特に「高次な脳部位」と言われ、この高次な部分はかなり変化の余地を残してくれています。
加えて記憶のメインを担う「海馬」も変化しやすい事が知られています。
つまりは、考え方や決断の向上と記憶に関する部分は、まだまだ沢山の余地を残している、という事です。
よくよく考えてみると、そうでなければいけない理由もあります。
例えば
全く新しい問題が発生した時、脳が変化しない仕組みなら、それに対抗する術もなく、30歳以降は新しい問題の解決が不可能になりますよね。記憶も出来無い事になりそうです。
でも実際は全くそんな事ありません。
柔軟でなければならないという理由があるためにその余地を、成長しきっても尚残しているんです。
「使うほどに使いやすくなり、使わぬほどに使いにくくなる」が脳の本質
「使うほどに使いやすくなり、使わぬほどに使いにくくなる」が脳の変化に対する本質なんです。
時に仕事などの努力は成果として花を咲かせないこともあります。
しかし、思考の観点から見れば、使った分だけ成果が自分の能力の成長として実感できます。
また、運動は脳の成長をこれでもかと加速させます。
おじいちゃんやおばあちゃんが運動を始めた結果、身体も脳も若返ったと言う事例は数多くあります。
私達の脳は何歳になっても変化してくれるんです。
今日のあなたの一日が「よし!変わろう!」な一日である事を願って。
読んでいただきありがとうございます!!