今回は、「人の本性」についてです。人類史の中で私達ホモ・サピエンスの生まれながらに持った生来の気質は悪なのか?それとも善なのか?という議論は、アジアからヨーロッパに至るまで遥か昔から行われてきました。その中でもどちらかと言えば「人の本性は悪である」という説は根強いと思います。
ですが、今回は真っ向から吟味していって、「実際のところはどうなんだろう?」という事を見ていこうと思います。
では、早速いきましょう!
性善説?性悪説?はたまたどちらでもないのか?
人が大きな集団を形成し、文明と社会を作り上げてから間もなく、幾度となく繰り広げられてきた2つの対立する議論があります。
それが「性善説」と「性悪説」です。
言いかえれば、
「人の本性は善(優しい)である」VS「人の本性は悪(意地悪)である」の論争です。
人の本性は利他的で優しいものか?利己的で意地悪なものか?という議論は、決着はつかないものの、どちらかと言えば私達が「歴史」と呼ぶものの多くは「悪である」という見方が多いかと思います。
つまりは現在のところ「性悪説」が優勢であることは事実としてあります。
ですが、優勢である=正しい、とは必ずしも言えません。
またはどちらでもない、つまり、人の本性は善でも悪でもない可能性だってあります。
じゃあもし、この前提が間違っていたとしたら?
これを探るため、出来るだけこんな考え方の基、以降進めてまいります。
【信じたくないものは信じたくないから信じない、のではなく、それが事実であれば受け入れよ。】
【信じたいものを信じるのではなく、信じたいものこそ吟味せよ。】
そんなわけで今回はこの考えの基、世の中にある事実から、性悪説と性善説を根っこの部分から吟味していきます。
現代のこと、人類史で起きたこと、科学で公表されたもの、そして戦争など、なんでもござれで片っ端から「実際はどうなんだろう?」と吟味していこうと思います。
では、まず初めに「性善説と性悪説」が生まれた歴史的背景について軽く触れていきます。
歴史的背景を知ると、グッと理解が深まりますし、その中に見え隠れしているものも確かにあります。
私達の歴史の中には「東洋(アジア)の性善説と性悪説」と「西洋(ヨーロッパ)の性善説と性悪説」がそれぞれあるので、今回はそれをメインに見て行こうと思っています。
孟子(性善説)と荀子(性悪説)
「性善説」を世に広めたのは、中国の「孟子(紀元前372頃~紀元前289年頃)」です。
「人は本来優しい」をモットーに、それを国の政治にも求めた偉人です。
この考えの根底を教えた人は、おそらく名前くらいは聞いたことがあるであろう「孔子」です。
孔子が説いたことは「仁」と「礼」です。
「仁」とは簡単に言えば「思いやり、優しさ」のようなもので
「礼」は「礼儀やその態度」の事です。
つまり孔子は「思いやりや優しさでもって、礼儀を尽くしなさい。態度で示しなさい。なぜって?古い時代の人たちはそれで素晴らしい時代を築いたんだから。」と言いました。
そんな孔子の教えから、
孟子は特に「仁」、つまりは「思いやり」を大切にしましょう、と説いた人です。
孟子は
「井戸に落ちそうな子供を見た時、誰だってハッとして助けるでしょ?そういう時って思惑も何もないでしょ?じゃあ、やっぱり人って本来優しいんだよ。」
と、このように説明しました。
確かに、子猫が捨てられていたら私達はいたたまれない気持ちになります。
人間の心が純粋な悪だったら「可哀そうだ」と考えないはずです。
じゃあ、性善説は正しい気もしないでもないですよね。
しかし、これに対して少し後の時代に反論があります。
その反論こそが「性悪説」を説く、「荀子(紀元前313年頃~紀元前238年頃)」です。
荀子は「人は本来意地悪だ」をモットーに、同じく政治にもその対策を求めた偉人です。
荀子は、孔子のいう「礼」を特に大切にしたんです。
礼儀を持ち、その態度を律することで、人は人らしく生きていける、と説きました。
どうしてこんな事を言ったかというと、その時代は国と国とが争う、激しい時代だったことも背景にあります。
荀子はこう考えました
「いやいや、現実的に目の前の惨状を見てみてよ。人は現に争っている。人は優しい、というのは何の根拠もないようなものだ!そんな根拠のないものより私利私欲で動く現状をみて、これをどうにかした方がいいじゃないか!」
そんな荀子は「どうにかしたい!」を形に変えます。
「人は放っておけば自分の利益ばっかり求めるから、仕組みからそうならないだけの【決まり】を作ろう!そしてその仕組みが整って初めて、人はしてはならない事を学び、その中で善に至るんだよ!」
つまり荀子は「人は本来意地悪だけど、人間らしさを求めればしっかり善にもなれる。」
こう考えました。
だとすれば荀子が高い志を持った理由は、「人本来の生まれながらの優しさからではなく、自己を律した結果、善い行いをしたい!と感じることが出来たからだ」と思っていたと感じます。
じゃあ、荀子の考え方を基にすれば
「井戸に落ちそうな子供を助けなきゃ!と思えるのは、その人が人間らしく暮らしているからでしょ。」
と、一蹴されそうです。
実際、この荀子の考えはその後広く受け入れられます。
「法家」と呼ばれる学派の一つによって「決まり」の部分は「法律」に変わっていき、国は「法」を打ち立てます。
ただこのままでは、荀子が言ったことも、孟子の言ったことのように、少し根拠が弱い、とも思えます。
何が言いたいかというと
「その当時の現状は凄惨たる時代だったのは事実だけど、その凄惨たる時代に陥ったのは人を貶める何かがあるんじゃないか?だってその前の時代は実際上手くいっていたんだから。」
「ただ、凄惨たる時代になってしまったことも事実だ。人が自分勝手である可能性も勿論否定できない。」
これはどちらも正しいように見え、どっちとも断言しにくいですよね。
ですので、人の本性が善か?悪か?は「こうなんじゃないか?」という、あくまで「説」のままですよね。
孟子は、「人の本性は善だという前提」でもって「今の社会がこうなっているのは、本来の人間らしさを失いつつあるからだ」と考え、
荀子は、「人の本性は悪だという前提」でもって「今の社会こうなっているのは、礼儀や態度からなる人間らしさが培われていないからだ」と考えた、
という「タマゴが先か?ニワトリが先か?」を繰り返す、堂々巡りになってしまいます。
ここだけ見ても、今のところは「よく分かんないや!」で終わってしまいそうなので、一旦次の時代を見ていきたいと思います。
さて、次は「西洋の性悪説と性善説」です。
時代順に説明したいので次は、「性悪説が先で、性善説が後」の順番となります。
ホッブズ(性悪説)とルソー(性善説)
人が集まるところに文明があり、文明のあるところに、社会があります。
そんな社会の共通項を求めようとする人は、いずれ現れる。
また、そこでもやっぱり「人の本性は善か?悪か?」という説は出てきています。
そんな事を思わせる人が、ヨーロッパにもいらっしゃいました。
それが「ホッブズ」と「ルソー」です。
まずは「リヴァイアサン」で有名な「ホッブズ(1588年~1679年)」についてです。
ホッブズは荀子の言うところの「性悪説」をより悪く見ています。
ホッブズは
「人間の本質は邪悪で利己的であり、人々を放置しておくとお互いで苦しめ合うんだ。これを防ぎ共存するために私達は【架空の支配者】を作り上げて国家、というものを作り上げたんだよ。」
と考えました。
この時代のヨーロッパの帝国では「神が特定の人間に王になる権利を与えた!」という考え方が根深くあったので、当時ホッブズの言った「架空の支配者」は、衝撃そのものでした。
ただ実際にその当時の王たちは、暴君やろくでなしと言われるような愚王も多くて、民衆も正直うんざりしていました。
民衆は薄々「神が選んでくださった王たちは、なんだか矛盾も多いんだよな。どうしてこんな圧政を続けるんだろう?」という疑念も強くなっていたことも後押ししたようで、ホッブズの考えは次第に広まります。
ホッブズは
「国王は、神が選んでくれたものじゃない!でもその仕組みは必要だ。だって私達人間の本性は邪悪で、野蛮で、利己的なんだから。国は、王は、人が人のために作った人工物だけど、その均衡を保ってくれているんだ!国は個人の自由を確かに無くしてしまうんだけど、その代わりに身の安全をある程度保証してくれてるんだよ。」
と考えました。
更に続けてホッブズはこう言います。
「国と国とが争っているのは、そこに最強の国家がないからだ!全地域を統制するような最強の国家(最強のリヴァイアサン)がいないがために、国家同士(小さなリヴァイアサン同士)で争っているんだ。」
ホッブズの考え方によって、
国のトップが変わる可能性が生まれ、「じゃあ愚王じゃない方がいいんじゃない?」という視点のきっかけは生まれました。また同時に「それでも身の安全は保障されているんだな。」とも考えます。
また「仲間同士での争いが起きにくいのは、その国があるからだ」という考え方にも繋がりました。
そして、その根底にある
「人の本性は悪である」という、「性悪説」的な価値観は、その後のあらゆる分野に根強く、そして色濃く影響を残しています。
「人の本性は悪だから、強い指導者とその仕組みは必要だ」
「国家の発展が、自由の制約と共に身の安全を作り上げる」
このような考え方は主流になります。
つまりは
国の可能性と共に
「人は放し飼いにしていてはいけない」という、悲観的で、それでいて強烈な価値観も人々に植え付けました。
しかし、これに対してこれまた少し後の時代に、「それは違うだろ!」という意見が出てきます。
それが「ルソー(1712年~1778年)」です。
ホッブズは
「王は架空の支配者ではあるが、その王がいるから人は血なまぐさい仲間同士の争いをしなくていいんだ。」
と説きましたが、これをルソーは否定します。
ルソーは
「そういうけどさ、実際に田舎を見てみなよ!一見、都市部は整っているし、身の安全も保障されているように見える。だけど、田舎は都市部のような厳しい決まりがなくたって、騙し合いが少なくとも都市部よりはない。というか、ほとんどないじゃないか!人は本来穏やかに暮らせば、あんなふうに生きられるんだ!だとすれば、私達を穏やかに暮らさせてくれないものが都市部には特にあるんじゃない?もっと具体的に言えば、それはつまり王の搾取だ!」
ホッブズの時点で、
「王は神が定めたんじゃない」という視点は生まれつつありました。ただルソーはそれに加えて、「国民は王が無くても暮らしていけるが、王は国民無くして生きてはいけない。」という事に気付きます。
これらから、ルソーは一つの結論にたどり着きます。
「じゃあ、真の権力者は王ではなくって、国民だ!」
これがとっても有名な「人民主権」に繋がります。
ルソーは続けて、
「国家とは、真の権利者である民衆から権利を委譲された、国の運営機関の一つに過ぎないじゃないか!それでもそんなところに留まって、支配を受けるのか?」と言います。
これで一気に民衆は目が覚めます。
つまり、ルソーの言わんとしたことは
「人の本性は善であって、それを壊してしまうほどの強権や社会規範が人々を狂わせてしまっている」という事です。(ただし、ルソーをより深く見ていくと国家自体に否定的で、むしろ国に属さない方がこんなにメリットがあるよ!的な視点があります。)
ホッブズは「人は本来邪悪だが、社会制度のおかげで善良であれる」と考えた一方、
ルソ-は「人は本来善良だが、社会規範のおかげでおかしくなっている。」と考えました。
これも先ほどの孟子と荀子の話ととっても似ていますよね。
ただ、似ているが故にやっぱり「人の本性はどっちなんだろう?」という点においては、残念ながら結論が出ません。
ホッブズもルソーも「社会契約説(論)」として考えを打ち出しました。
とすればこれもまた「説」なんです。本人たちも説であることは認めています。
さて、「今回こういう考え方があります。ただ、考え方だけでは結論を見出せないようだ。」という事を先ずはご紹介しました。
どうも、
「性善説」と「性悪説」はもっとずっと根が深いようです。
だとすれば、今までの人類史と、近年の科学もこれでもかと駆使して、実際に起きたことと、実際に確認されていることを、包み隠すことなく探っていく必要があるようです。
ですので、次回以降もっと掘り下げていきます。
次回は、「科学」によって性悪説が謳われ、実際に公表されたことから見ていき、その核心に少しずつ迫ろうと思っています。
今日のあなたの一日が「性善説と性悪説」を知る一日であることを願って。
読んでいただきありがとうございます!!