差別意識はどうして生まれる?

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人間関係

今回は、世界を見ても依然として存在してしまっている差別意識。この差別意識の一つの理由について本能的に働く心理から読み解き、どうして無くならないのか?私達はどうしたらいいのか?をご紹介します。

では、早速いきましょう!

現代における差別意識

私達の暮らす現代において、「差別」は非難されるようになり、少しずつではありますが、減少傾向にあります。しかし残念ながら、少なからず「差別」が悪い事だと知りながら、繰り返してしまっているのもまた事実です。

私達1人1人が根本的な心の理解を深めなければ、「人種差別」などの差別意識は無くなっていかないものだと感じています。
その根本にあるものとは、とある心理的作用、言ってしまえば思い込みや決め付けなどの「考え方の偏り」です。

私達は心理的に
「知らないものに恐怖を感じやすく、知っているものに愛着が湧く」生き物なんです。

例えば
ニュースなどで海外の方がと日本である事件を起こすと、少なからず「やっぱり海外の人は」と考えてしまいませんか?

しかし、これは少し考えるとおかしい事に気付きます。
日本人が同じような事件を起こした時、「悪い事」だとは感じますが「やっぱり日本人は」とは考えないですよね。

自分の属す集団に対し愛着が沸き、自分の属さない集団には違和感や恐怖を感じる心理を「内集団バイアス」と言います。
「知らない海外の人」と言う集団に属さず、
「知っている日本人」と言う集団に属している私達が、少なからず違和感、不信感を抱いているんです。

自分の属している「日本人」と言う集団に安心感を抱き、「外国人」と言う集団に恐怖にも似た感覚を抱く。
これが陥りがちな「内集団バイアス」という心理です。これは知らない事には私達の預かり知らないところで起きてしまうものです。

内集団バイアスの怖さ

この内集団バイアスは、自分の属さない集団に対し、敵意を抱いてしまうものなので、
この考えが強くなってしまうと、次第に自分の属さない集団に対しての敵意が、勘違いから広がってしまうんです。
別の集団に対して、自分の集団の会話の中でふと出た「こうなんじゃないか?」「こうに違いない。きっとそうだ!」になり、
結果として起きてもいない事に対して「ありもしない思い込みや決め付け」に発展しています。

しかし、実際に蓋を開けてみたら、別集団の考えている事とは全く違ったという事がよく起きます。

更に言えば、この敵意は広がるんです。「ありもしない事を考える自分の集団」と、「ありもしない事を考える別集団」による勘違いから始まった話のこじれは、次第に意思のぶつかり合いとなり、最初はありもしなかった事は「実際に被害を被り合う集団同士」になってしまうんです。

例えば
「同じ地域のママさん」と「別の地域のママさん」などの争いは
きっときっかけは些細か、むしろ何も無かった可能性まであります。
多くの場合、「知らないことに対する恐怖」と「こうなんじゃないか?」という思い込みから発展しています。

実際、黒色人種と白色人種などの、異人種間に対する悪いイメージは払拭しにくく、信頼の回復には時間を要するというデータがいくつもあります。
たとえ同じ過ちをしてしまったとしても、「内集団バイアス」でかなり印象が変わってしまうものなんです。

私達はこれからどうしたらよいか?


「内集団バイアス」による集団意識が敵意を感じさせ、敵意が差別意識に発展しているので、集団として物事を見る癖を少しずつ取り払う意識をすることが大切です。
難しい話ではないんです。
知らないものに対する「恐怖」は私達の勘違いです。
大切なのは、その勘違いに気付く事です。
もっと簡単に言えば、
人種やその集まりを「集団」として見るではなく、「1人のヒト」として接する。
海外のヒトだから○○、あの地域のママ達は▲▲というのは思い込みでしかないんです。
思い込みを取り払った結果、「かけがえの無い大切な人」にだってなり得ます。

目の前にいるその人に対して、素直に意見を聞き、あなたの意見を聞いてもらうだけです。
聞くだけであれば、失うものは無く、むしろ得るものばかりなんです。

また、意見が違う=敵ではないんです。そもそも意見は1人1人違うものです。
意見の違いを認め合えるのは、なんとも心地よいものです。
私達と意見が違うというのは、自分とは違う案がまた1つ得られたと考える事でむしろメリットにもなります。

たとえ相手が思い込みを持っていても私達は素直でいる事には変わりありません。
私達の素直さは必ずその人に伝播します。

「良く考えたら相手の意見を聞いていないし、なんとなく嫌っていただけかもしれない。」
こう考える事が大切です。
「実際話を聞いてみたら随分と違った」
こういうことの方が多いんです。

全く争う必要が無いのに、心理的な作用で選択肢を減らしてしまうのは、なんとも勿体無いと思いませんか?
「争いの火種は大抵勘違い」から始まります。

これからのあなたの毎日が集団に囚われない1人1人と向き合える日である事を願って。
読んでいただきありがとうございます!

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