しがらみに翻弄された「とある男」の話をしようと思う~辛さや苦しさを乗り越える~

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人間関係

こんにちは!幸せマンです。
今回は、多くの人が「嫌な人からは距離を開けよ。」とおっしゃってはいますが、それが出来ない人もいるんだよ。ということを「とある男」を例にして、ご紹介していこうと思います。少しだけお時間いただけると嬉しいです。

では、早速いきましょう!

嫌な環境、嫌な境遇


あまりにも嫌なことが起きる環境に身を置いているとした場合、皆さんはどのように感じ、それをどうするでしょう?

環境を変えることで得られるものがあると感じるとき、
私達は時に、目の前の嫌なことに対して実際に「距離を開ける」事で解決しようと試みることがあります。

「どこに行くかは分かんないけど、ここではないどこかに行ったら、少なくとも今のこのわずらわしさからは逃れることができる。」と考え、思いをはせます。
確かにその通りだし、それが実際に行動として移せるのならそうすることも選択肢の一つにはなり得ます。
これ自体はまっとうな意見であると私自身も感じるんです。

ただ、多くの人はさまざまな立場があるし、守るべきものがあることの方が多いものですよね。
わずらわしさやしがらみを請け負いつつ、それでも手放したくない何かがあるものです。

だからそんな人達はその場で踏ん張ろうとします。その身と心を削っていることなど重々承知で、その環境に身を置いています。

手放すことのできないしがらみ~とある男の話~


手放すことのできないしがらみは、その人の心に大きな負担を掛けてしまう事があります。

例えば、
会社の跡取りの方は、世間からすれば、その未来はある程度安定したものに見えるかもしれないですが、本人がそう感じているかは本人にしか分からないんです。

むしろそこに不幸を感じる人もいる。今日はそんな話をしようと思う。

これは、「とある男」の話です。

小さな会社の跡取りとして生まれてしまったがために、「とある男」は別の何かをしたかったけれど、未来は既に決められてしまっていて、それ以外の選択肢を取ることが許されなかった。
就職した当初、男はあえて賃金が誰よりも低くなるよう自ら志願した。自分がまだ仕事ができる人間かどうかわからないから、と頑張る理由を自らに課した。
そしてなによりこれから働く仲間に認めてもらうためには、その方がいいとも思っていた。

しかしそんな立場もあってか、最初期から「ぼっちゃん」や「せがれ」などと呼ばれ、周りの態度は明らかに冷たく、話しかけてもそっけない。いわれの無いバッシングも多かった。これからもずっとここで一緒に働く仲間からこんなバッシングを受け続けるんだ。そう思うと「とある男」はげんなりした。

それでも男は頑張り続けた。
朝から晩まで働き続けた。ただただ、認めてもらうために。しかし、どれだけ頑張っても、どれだけ成果を示しても、「いいよな。特別な環境の奴は。」と言われ、報われない。
男は、いい意味での特別じゃねえし、と思った。
ああ、頑張っても報われない事ってあるのかもな、とその男はうすうす気付き始める。

それでもずっと我慢し続けた。いつかきっと分かってもらえると、頑張り続けた。しかし、それは何時になってもやってこなかったし、それより先に我慢の限界が来た。
嫌なことばかり頭に浮かんできた。そしてそんな自分が嫌いだった。

我慢の限界を迎え、こんな環境にはもう耐えられないと、父である社長に本当にどうしようもなくなり吐露した時、

男の父はこう言った。

「お前はなんて無責任なんだ。自覚が足りない。」

その男は耳を疑った。
無責任?自覚?
今まで責任しかなかったじゃないか、と男は思った。

当然失敗もたくさんした。でもそれでも前に進もうとした。

必要とあらば、自分なりに何でもやってきた結果、周囲からは「いいよなぁ。」と言われ、上からは「無責任だ。自覚がない。」といわれる。
また、見事に失敗をすれば「ああやっぱりな。」と言わんばかりの顔をされ、その一方で「何をやっているんだ!」と叱咤される。

俺がそこまで言われるほどの何をしたっていうんだ?と男はその時、心からそう思った。

逃げられるものならすぐにでも逃げ出したかった。
苦しくて苦しくてたまらなかった。
嫌で嫌で仕方がなかった。

誰も分かってはくれないし、もう逃げてしまおう。男はよくそう考えるようになった。
だがそんな思いとは裏腹に、その辛いと思う環境下でさえも、ここで逃げてしまったらと考えた時、
ここまで育ててくれた家族の顔が浮かんだ。

その男にとっては、家族を捨て置くことがどうしてもできなかった。

ああ、逃げることは許されないのだと、逃げようなどと思うのは私が弱いからなのだと、
男はその度に考えた。

我慢に我慢を重ねた末に、身体は常にだるく、しばらく左目が痙攣したりもした。また、会社にいるだけでも吐きそうになった。仕事中は仕事に専念すればまだなんとかなったが、休憩時間に誰かと一緒になる事が苦痛だった。男にとって休み時間は休みじゃなかった。

挙げればきりがないが、そうした積み重ねの末、遂に「とある男」は心が、折れた。

頑張ってるんだよね


「嫌なことから逃げよ」と、「嫌な人から距離を開けよ」と人は言います。
もちろんそれが可能であれば、それもまた素晴らしい対処ではあると思います。

でもね、
そうあれないから、頑張ってるんだよ?

そのしがらみの中、身を粉にして懸命に頑張っているあなたに、私はエールを贈りたいんです。
偽善と罵られるかもしれません。
でもそんなことは正直どうだっていいんです。
もしかしたらこの活動が、どこかの誰かを救うきっかけになるかもしれないのだから。

そしてそんな、頑張っている人にこそ必要であると、心からそう感じるのは
「その環境下に留まらなければならないのなら、その環境下だからこそ、まだできる事を見出す」ということです。

私達が困難だと感じるものに対して、結果的に我慢を減らす可能性があるものは
「解決する」か「対処する」の2択であることがほとんどだと思います。
困難に見合った答えを見出し、困難を乗り越えるのが私の言う「解決」であり
困難に見合ったいなし方を見出し、困難を捌いていくのが私の言う「対処」です。

真っ向から受け止める術を身に付けることで「解決」が可能になり
真っ向から受け止める必要のないものは、気にしないようにすることで「対処」が可能になり
ます。

もちろん今ある考えでどうにかできるのであれば、おそらく私の記事はあまり役には立ちません。でももし、そうではないのであれば、今までとは違う何かがきっと必要だと思います。

その一つひとつが自信になって、屈託のない笑顔であふれる日々がやってくるんです。私はそう信じています。

そしてどうも「とある男」も今までには経験してこなかった何かを見出し始める時が来たようです。

「とある男」の転換期


再び「とある男」を見ていきます。

「とある男」は自暴自棄になっていた。
それでもやらなければ、という思いがある反面、
このまま過労か心労で倒れるか、どうにかなってしまえば後は楽そう
だとも考えていた。
現に体調は芳しくない。というかかなり悪い。じゃあその先はもうすぐかもな、と考えた。
その当時、男の心を支配していたのは「周囲に対する怒り」と「でも、その周囲に分かってもらいたい、本当は助けてもらいたい」という気持ち。
そして「まだ頑張ろう」や「いや、もう駄目だ」という気持ちが入り混じった、複雑なものだった。

またお酒をたくさん飲むようにもなった。
とんでもなく酔っ払っては、たいていは「誰か助けてくれよ!!」と嘆いていたらしい事を、男は妻から聞いた。自分でもうっすらとした記憶があった。
そんなこともあってか、更に後悔するようになった。
男は泣くことも多くなった。悔しくて、悲しくて、情けなくて仕方がなかった。

そんな折、偶然にも心の仕組みを知り始めた。自らの意志ではなく、ひょんなことからいただいた1冊の本によって。
本を与えてくれたその人は、ただひと言「読んでみて欲しい。」とこう言った。

正直に言えば、その本をもらったときも、ほんの少しだけ効く自制心によって「せっかくもらったものだから、読まないわけにはいかなくなったな。ただまた面倒が増えたな。」という、よこしまな気持ちで仕方なく手に取った。

だがそこからだった。折れてしまった心に、再び小さな灯火が宿り始めたのは。
1枚1枚めくっていく度に、男の心に火が灯った。

これで駄目だったなら、全てを終わりにしよう。もう困難を抱えて歩むのは苦しすぎる。楽になってしまおう。

ただ、ただもし変わるチャンスがあるのなら、これに掛けてみよう。
「とある男」は様々なせめぎ合う気持ちの中、そう決心し、ただひたすらに本を読み耽った。
泣きながら、ぐしゃぐしゃになりながら、何回も何回も読み直した。

一生分泣いたんじゃないかとすらと思った。

幸いにもその背水の陣が功を奏したのか、小さな変化はすぐに起こり始めた。
そもそもいわれの無いバッシングはいわれの無いものだから、何事もやるだけの意味はあったんだ。
その価値を決めるのは自分自身なんだ。会社がいい方に向かうはずだと信じてやってきたこの気持ちに嘘なんかなかったじゃないか。じゃあいったい、何を臆することがあるんだと、
最初は言い聞かせながら、次第に心の底から、自分を信じることができた。

また、誰かと自分を比べることも一切やめた。
かつては、
こんな誰も理解してくれない不幸な境遇では前に進めるはずがないと、それに比べてあの人はいいよなぁと、とこう思うことで自分を慰めようとした。
しかし、そこから生まれたものは慰めになんかならない「諦め」と、まだこれからも頑張り続ける事への「絶望」でしかなかった。
男もまた「いいよなぁ」という考えに憑りつかれていた。

だから「とある男」は、それをやめた。

この世界は確かに不平等ではあるが、1人の人としては「対等」なのだと、心から実感した。誰が偉いとか、誰が優れているとかは関係なくて、前に進もうとするその気持ちは、「対等」なのだと実感した。

それによって自分が前に進めるかどうかに注力できた。
「環境を変えることは難しいようだ。でも、自分の心は変えていけそうだ。こんなにも弱ってしまった自分だけど、今度はちゃんと向き合ってみよう。心を穏やかに過ごす方法は、確かにある。どうしたらいいかを1つひとつ知って試していこう。そこに掛けよう。だってそれが、やっと見つけた希望だから。たまには後退するけど、それでも前に進もう。」こう考えることができた。

また、「周囲の人や周囲の環境に文句を言うのではなく、その環境の中で自分にはいったい何ができるか?」というものも、本から解釈した。

「とある男」はその新たな考えを1つひとつ丁寧に「できる事」から繰り返した。
数か月が経った頃にはもう、自分の進むべき道にちゃんと自信が持てていた。そしてそこからだったように思う。周囲に優しくできるようになったのは。
初めは自分を信じることのみが「できる事」だったが、ある時からはその「できる事」の範囲は広くなっていった。

優しさや思いやりの結果、たとえそれがどうあろうとも、周囲に向けた優しさに全く嘘がなかった。
いや、どちらかというと、そうあれる自分に対してこれもまた自信を持てた要因だったようにも思った。

そうして得てきた自信は、もう打ち砕かれることは無かった。むしろ以前よりずっと楽になったし、これからもこの考えはずっと一緒にいてくれるんだと思うと、もう止まれなくなった。なにより自分が少しずつ変わっていく様は何物にも代えがたい気持ちを芽生えさせた。

はたから見たら、こんな境遇はたいしたことではないのかもしれない。しかし、男にとってそれはとても苦しいものだった。
だが、その起きたことの大小は、もしかしたら関係ないのかも知れない。
本人が苦しいと感じれば、それは間違いなく苦しいのだからと、思った。
だが、自分にとって苦しい環境だったからこそ、「とある男」は自分なりに高くジャンプできた。
ありきたりな言葉かもしれないが、しゃがんだ分だけ高く飛べた。

そして雲を抜けた先の空が、こんなにも心地がいいということも知った。

更に「とある男」は、こんなことも知った。

「優しさを向けられ続けた人間が、その優しさを裏切り続けるのはとても難しい」
ということを。

こんなことは予想もしていなかった。
まさか周囲の人々が、こうも変わりゆくとは予想もしていなかった。
「とある男」はただ、素直に生きてみたかっただけだったのに、以前よりは心に余裕をもって行動できるようになろうとしただけなのに、
一人、また一人と協力的になってくれた。

認められなくても自分が自信を持っていればなんとかなるな、と感じていた男もこの時ばかりは、素直にうれしかった。

そして男は再び泣いた。

ただこの時、男が流した涙は「悲しみよる涙」ではなく、「感動による涙」だった。

もしかしたら周囲に認めてもらうには、成果を出すしかないと躍起になったがために、長らく「優しさ」をどこかに置いてきてしまっただけなのかもしれないと思った。

また、「優しさを向けられ続けた人間が、その優しさを裏切り続けるのはとても難しい」
というのは、自分自身にも言える事だとも、男は思った。
男の脳を含めた身体全体が、男自身に向けられる優しさに、初めは危なっかしく、だが次第にしっかりと、答えてくれた。

「とある男」は冬に差し掛かろうとしていた、少し肌寒い数年前のとある日に、そんなことを思い返しながら、休日の車の中で、笑った。

まずはあなたが幸せになってください


これは、「とある男」の話です。
実在するかもしれませんし、実在しないのかもしれません。

ただ、あえて実在しているとして話をすれば、
「とある男」は完璧には程遠い人間です。まだまだ未熟者であり、笑ってしまうほどよく間違います。
ですが、環境を変えることより、自分の心を変えることを追い求めた結果、今度はその環境すら変わりつつあると実感しては、今日を暮らしていることと思います。

完璧なんて存在しないし、完璧じゃなくても、どうやら笑顔で過ごせるようです。

また完璧な人間が存在しないのと同じく、完璧な環境なんてものも存在しません。
私達はただ、自身の心に素直に向き合い、
優しさを取り戻せばよかったのかもしれません。

そして私は、私の記事ではいつも言ってますが、やっぱり心の底からこう思うんです。

誰かを幸せにしたかったら、
まずはあなたが幸せになってください。

自信が持てることがないと人は言います。ですが、生まれてから今この瞬間まで、私達は育ち、しっかりと生きています。
悩みと闘いながらも、あるいは病気と懸命に向き合いながらも、しっかりと生きています。

自分1人に向けられる優しさから始まった、自信からなる心の余裕は、しっかりと広がりを見せます。
だから、まずはあなたから始めてください。
男がそうだったように、そこから全てが始まり、そしてガラリと変わります。

もし今は優しさを持てなくなっているのだとしたら、それは優しい気持ちを持っていなかったわけではなく、たくさんの重圧の中、その大きな部分をどこかに落として来てしまっただけなんです。

優しさは先立つものではなく、私達の中で心の余裕が生まれて初めて、持ちうるものだと確信しています。
だとしたら、やっぱりまずはあなたが幸せになるんです。あなたから「笑顔」になってやるんです。

それが回りまわって、その周囲を1つ、また1つと色付かせます。

とある男の後日談


それと、「とある男」の話には後日談があります。
あの時から少し後、大晦日の前日だったとおもう。
大きなきっかけをくれた大恩人に、心の底から「本当に、本当にありがとうございました。」と伝えたある時、その恩人からこう言われた。

「何を言っているんだ?頑張ったのは君じゃないか。」と。

満面の笑みを浮かべながら「はい!」と答え、「とある幸運な男」は、また、泣いた。

今日のあなたの一日が「あなたの心と一緒に歩み、頑張ったのは、頑張ってきたのは、自分なんだと実感する」一日であることを願って。
読んでいただきありがとうございます!!

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