分かり合えないものは敵ではない~レヴィナスの他者論~

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人間関係

今回は、分かり合えないものは敵では無いよ!という事を哲学者レヴィナスさんが教えてくれた話をします。レヴィナスのいう「分かり合えないものは敵ではない」という考え方は少なくとも私達自身の争いをなくし、皆で手を取り合うような共生の仕方を教えてくれるものです。

では、早速いきましょう!

レヴィナスが選んだ道


レヴィナスは1995年までご存命だった、現代哲学者の1人です。
レヴィナスの言った事を理解するには、先ずはその時代背景を知っていくと、良いかなって思います。

レヴィナスさんはリトアニア生まれのユダヤ人です。当時、ナチスの迫害を強烈に受け、彼の家族、親族や友人のほとんどが、その迫害によって亡くなってしまいました。

彼自身は偶然にもフランス国家によって救われますが、この時の気持ちをこう語っています。
「これだけの人達が亡くなっていっても、当たり前のように続いていく世界が、怖い。」

彼の身の回りだけでなくて、当時は戦争による沢山の被害がありました。沢山の人が亡くなっていくなか、それでも過ぎ去っていく日々と世界に対する「恐怖」を、レヴィナスは必死に理解しようとしました。

そんな想像もできないほどの世界を生き抜いたレヴィナスが最後に行き着いた考え方は、
「復讐」ではなく
「共生」の道でした。

自分の世界から、敵を無くす事に成功したんです。
この「自分の世界から」はとても大切なところです。

分かり合えぬものを知っていけ


そんなレヴィナスの考え方を簡単に表すと
「自分の思い通りに行かないもの否定するものは、思い通りにいかないということを認識する事で、むしろ学びを与えてくれるものなので、敵じゃないんです。」

といった感じです。

レヴィナスは、この「自分の思い通りに行かないもの、否定するもの」
「対人関係」だけではなく、自分の周囲の「環境」や「文化」にも言っているものと思います。(またおそらくは、無意識なども他者に当たると思われます。)このあたりの内容はかなり難解なので、あくまで私の解釈である事をご承知ください。
今回は「自分の思い通りに行かないもの、否定するもの」を「対人関係」についてメインにご紹介できたらなって思っています。

「自分の思い通りに行かないもの、否定するもの」を私達は敵だと認識してしまうところがあります。
また、人類の争いの起源も、
「自分(自分達)は正しく、自分の主張を理解しないものは間違っている」という考え方が、大きな要因として生まれていることが多いと思います。

ですが、これはその事実をどう捉えるか?によって随分様変わりするものです。

「自分の思い通りに行かないもの、否定するものを認識して、学びに」という事は、言い換えれば
「分かり合えぬものを知っていけ」という事です。
もうちょっと違う言い方をすれば、「世の中には違う考え方をする人がいる、という事実を知っていく事こそが大切」なんだといっているんです。

全く同じという事は無い


外見が全く同じ人などいない事は、誰であっても知っています。これは一卵性双生児の双子であっても「とても似ている」だけであって、「全く同じ」ではないですよね。
だとしたら、心や考え方はどうでしょう?

心が「とても似ている」事はあっても「全く同じ」という事は、これまたありえない事です。
恋人であっても、家族であっても、子供であってもです。

「全く同じ考えを持った人はいない」という事を認識する事で初めて、私達はその違いに向き合う事ができるんじゃないでしょうか?
そしてそれを強く認識させてくれるものが「自分の思い通りに行かないもの、否定するもの」の存在です。

ここで、こんな意見もあると思います。
「違いを認識するのは分かったけど、それのどこが共生なの?ただ気持ち的に一人ぼっちになるだけじゃん!」
はい、私自身もそう思いました。

しかし、
これについては、ちょっと例え話に付き合ってもらうことで解決すると思います。

あなたに唯一無二の「親友」がいます。
その親友に対しては本音で語る事ができて、話しているだけでも楽しい。

そしてその親友も何の気兼ねもなく本音で向き合ってくれます。
この時、あなたと親友は「全く同じ」意見を持った人なのでしょうか?

一部の趣味が同じという事はあったりもしますが、
趣味も違えば、好きな食べ物も違う、という関係もかなり多いと思います。ですが、一緒にいるのはとても心地よい。
こんな関係が築けているのは、特に意識はしていなかったけれど「違いがある事を認めて、その違いを合わせるような強要をしていないから」です。

また、この大切な相手とケンカのような事態が起きてしまう時はいつだって
「その違いがある事を認めず、その違いを合わせるように強要しようとしてしまうから」です。

この例えで大切な事はたった1つです。
「あなたと誰かは違う考えを持っていて、それは様々な要因からなる、人それぞれが持つに至った考えであり、それをお互いに強要しない限りは、その大切な関係は壊れない。」

誰かとは違う、というその考えが、今のあなたを作り上げました。何かにこだわりをもてるほど、強い信念を作り上げました。
しかし、「その誰か」も同じように今まで必死になってあなたとは違うこだわりを、信念を持っています。
私達はただ、そのこだわりを認め合うだけでよかったんです。

世の中の仕組みは複雑で、「絶対こうだ!」と断言できるような事実は非常に少ないものです。ですが、「違う考えを持った人がいる」という点に関しては、認めなければならない、いやむしろ、認めたほうが、脳や心の仕組みから見ても楽になれる方法かと思います。

世界を変える事は難しい。ですが「自分の世界」を変える事は世界ほど、難しくは無いんです。

そういった意味でも、レヴィナスはこの世界の「1つの事実」を教えてくれたんじゃないかと思います。違うという事を認識して初めて、それが違う事が分かります。

「自分の世界」の確固たる信念は持っていていいものです。ただ、「違いを認め、それを強要しない」ことで共生できるようになる、私は強く感じています。
それを「自分の思い通りに行かないもの、否定するもの」が教えてくれています。

「私はこう思うけど、君はこうなんだね!」

世界とは何か?は分からない


そもそも、人類はおよそ3,000年も掛けて尚
世界とは何か?
人とは何か?

という問いに、いまだに答えを見つけることが出来ていません。

「これで答えに近づくよね!」というものが現れても、「それは違うんじゃない?」と、全ての人にとっての答えとなりえないのは

人類全体の答えなんてものは無くて、
「人によってその答えって違うんじゃない?」という事がいえるんじゃないでしょうか?

実際心理学でも
幸福というものは
「その人がどんな境遇であれ、それに幸せを感じるか?」である
事は示されています。

言い換えれば、「その人がその状態を、心から幸せと思えたら幸せ」という事です。

もうすでにこのあたりの話にはほとんど結論が出ているといって良いと思います。

極端な話、
毎日のご飯を楽しめているような人は、最高に幸せです。
そしてそんな人は大きな幸せを掴んだ際にも、勿論幸せです。

少なくとも、争いを求めている場合では無いのだと強く感じています。

自分と誰かは違う意見を持つ、別の個体です。
違うことを自覚できれば、「ああ、この人はこう考えているんだな。でも、違って然るべきものだから。」とする事ができるんじゃないでしょうか?

「違いを認め、強要しない事」で、その関係は広がっていきます。

今日のあなたの一日が「共生のコツ」を知る一日である事を願って。
読んでいただきありがとうございます!!

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