問題の根っこの見つけ方~ソクラテス~

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人間関係

今回は、私達に幾度と無く降りかかってくる問題に対して、そもそもなにが問題になっているのか?の答えを出すには「ソクラテス」の質問方式がかなり有効だよ!という話をします。今回は哲学者ソクラテスになじみが無い人でも分かるようにご紹介していこうと思います。今日は「問題の根っこ」の見つけ方についてです。

では、早速いきましょう!

ソクラテスとは?


紀元前410年頃まで活躍していたソクラテス。今から2400年以上も前です。そんな遥か昔の人物であるソクラテスは、今でも十分に、いや今だからこそより効果を発揮してくれるような「問答」を残してくれています。

そんなソクラテスの考えを一言で言うと
「なにが正しく、なにが間違っているのか。う~ん、白黒つけたい!」
という感じでした。

ソクラテスが活躍する少し前、世の中では「相対主義」といわれる考え方が主流でした。
「相対主義」を簡単に言うと
「皆、考え方が人それぞれだから。それをどう思うかはやっぱり人それぞれです。」といったようにお互いの意見の違っていて、個人も政治もそれを貫いていました。
「人それぞれです。」を、今の社会から見ると「とても良い考え方」のように思えますが、当時としてはあまりにも早すぎる考え方だったんです。

というのも、当時は今のような「実はこうだったんだ」という根本的な仕組みだったりが全く解明されていなかったためです。何も分かっていない状態でこの考え方をすると、おそらくその価値観は纏まるどころか、てんでバラバラだったと思います。

つまりは、なにが本当でなにが嘘かも分からない状態でした。
何も根拠が無いという事は、なにを言ってもなにをやっても「私はこう思う。」といった感じで、思い込みもまかり通ってしまう。特に政治に関しては、良いことっぽい事を言う政治家が支持を集めては、実際には何も進まない。そんな世の中でした。

これがどうしても許せなかったソクラテスは、どうにかこれを打開するべく、ひたすら討論を仕掛けます。

その討論の仕方を簡略化してみてみるならば、
「○○ってなんですか?」
と表されるんじゃないかと思います。

○○ってなんですか?


ソクラテスは、政治の討論の場に割って入りました。

政治家Aさん「これからこの世の中を良くするためには、この聖なる剣は絶対に必要です!」
ソクラテス「ちょっとすいません。その聖なる剣って何ですか?
政治家Aさん「聖なる剣とは、この世界をあるべき姿に保ってくれる、それはそれはすばらしい力を持った剣です。」
ソクラテス「世界のあるべき姿ってなんですか?」
政治家Aさん「…皆が幸せになる、これが世界のあるべき姿です!」
ソクラテス「皆の幸せってなんですか?」
政治家Aさん「(なんなんだこやつは!!…富、といってしまえば、貧民の幸せが説けない…。)…。とにかく幸せがやってきます!!」
ソクラテス「ほう。答えられないという事は、あなたは幸せについても、その聖なる剣についても知らないということでよろしいんですね?」

これは創作話ですが、こんな感じで「○○ってなんですか?」を繰り返し、政治家さんたちをバッサバッサと言い負かしていきました。

ソクラテスの根底に「分かっていないことを分かったように話すのは、嘘だ。」という考えがあります。

質問する側は特別な知識を持っていなくても、「根拠の無いもの」を打ち破り、「根拠の根っこ」に行き着くことが出来るという優れた点を持っています。
反対に、根拠の無い話をする応答側は、頭を使って答えていかなければならない上に、
いずれ答えられなくなります。

そしてこれは、今でもかなり効果的なんです。

現代におけるソクラテス式「問答」


では、現代ではどうでしょう?私の場合はこれを「私自身」に活用しました。
ソクラテスの質問形式では、本当に「問題の根っこ」があった場合は、その問題を見つけることが出来るんです。そして自分の悩みであれば、必ずその理由があります。
これを私達の心を助けてあげるために利用してあげればいいんです。

私の場合は、自分自身の悩みに対し、
「今、私は悩み苦しんでいる。」
「でも一体、私は【なにに】悩んでいるんだろう?」

「私が今悩んでいるのは、誰かや環境のせいだ。」
「じゃあ、その誰かや今の環境の【なにが】原因なんだろう?」

「誰かの意見を押し付けられたりする事に不満を感じ、今の環境に満足していない事が本当に苦しい。」

こんな感じで自分自身にソクラテスの質問をしていくと見えてくるものがあります。
その際は、上のように多少形を変えてもいいのかな?と思いますが、基本的には
【なにに(が)】という「なに」の部分を「なぜ、どうして」などのwhyにはしない方がいいと考えています。
Whyにしてしまうと、「なぜ」の性質上、その問題に対しての範囲が全体的になるからです。これが「なに」であるwhatだった場合、より問題をフォーカスできるんです。

とはいえ、その原因を突き詰めるのは結構しんどいので、ある種の決心は必要になってきます。

少し話を戻しまして、私の悩みの原因は
「意見を気にしている点」「環境を受け入れきれず、それが不満となっている点」の2つが主な原因でした。

要は、私の悩みの「根っこ」の部分が、自分自身で把握する事が出来ました。

「根っこ」が見えた事によって始めて、
「じゃあ、その問題をどのように解決して言ったらいいのか?」というところに私は行き着いたんです。

ところが
「問題の根っこ」の部分を見つけるのが得意なソクラテスの「問答」にもできない事があります。

ソクラテスさんの「問答」の弱点


そんなソクラテスの質問形式にも「明確な弱点」があります。
それが、
「問題の根っこ」には行き着くけど、そこからの「問題解決」は出来ない。
ということです。

確かに、その問題の根本部分が見えてはくるこの方法も、その問題自体の解決に関しては、全く歯が立ちません。

どの考え方にもいえることなんですが、たった一つの思考法や方法論で全てを解決する事が出来るというものはこの世の中には無いんです。

「○○ってなんですか?」によって、政治家を言い負かしてきたソクラテス自身も、「自らの正しさを主張したかったわけでは無い」んです。

むしろソクラテスは
「政治家さんであっても、何も知らなかったというこの現状があります。こう言っている私自身も何も知りません。でも、私は【知らないということを、知っている。】その点、少しばかり嘘をついている人より優れていると思います。私達はまだ何も知らない。だからこそ、知らない、というところから始めていき、皆で知っていきませんか?
という「自分も良くわかんない。だからこそ、一緒に探そう!」というスタンスを保ちました。

ここで、「世界の真理はこれで決まりだ!」といってしまったら、また何の根拠も無い意見がまかり通る考えに逆戻りだったんです。

あくまで問題は解決していないじゃないか!分からないことに蓋をするな!がソクラテスが言いたかった事です。

今回は、「問題の根っこ」を掴むにはソクラテスの質問が現代においても有効です。という内容でした。

私達の抱える「問題の根っこ」が見えてくれば、問題の解決はそう遠くないと感じています。
逆を言えば、問題の解決は「問題の根っこ」を見つけてあげるのが、一番だと私は思います。

特に現代では沢山の情報が溢れているので、根っこからの問題解決は見つけやすい時代になったんです。

それを見つけ出すのも「○○ってなんですか?」は効果的です。

今日のあなたの一日が「問題の根っこ」を見るソクラテスの問答を知る一日である事を願って。
読んでいただきありがとうございます!!

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