今回は、いつ終わるかも分からない絶望の日々を乗り越えた心理学者さん「ヴィクトール・フランクルさん」のお話です。その日々は突然始まり、私達がおよそ想像のつかないほどの苦しい経験を長い期間続けたフランクル。
彼の著書の多くは、私達に生きる勇気を、そして生きる意味を見つけるヒントを与えてくれます。
では、早速いきましょう。
「第4の巨頭」ヴィクトール・フランクル
心理学者として、精神科医として、そして脳外科医としても有名だったヴィクトール・フランクル。彼は1997年までご存命だった方です。
三大心理学者と呼ばれる、フロイト、ユング、アドラーに加え、時に「第4の巨頭」とも呼ばれる人です。
1905年に生まれた彼は、30台半ばに不幸にも「歴史の渦」に飲み込まれます。世界情勢は徐々に不安定さを増してきていた頃です。
ある時突然、「ドイツ人を治療してはならない」と言われ、任を解かれ、いわれのない差別を受け、そして遂には、何の罪も犯していないにもかかわらず悪名高い「アウシュビッツ収容所」を初めとした強制収容所に収容されては、違う場所に移動し、また収容されました。
理由はたった一つ。彼が「ユダヤ人」だったからです。
ここからは、何度か苦しい内容が出てきます。
その点についてはご容赦ください。
最初の選別
収容所に輸送された人達は、「最初の選別」を経験します。
綺麗な軍服を着た1人の男が、収容された人々に対し、次々と左右に指差しをしていきます。
あるときは左に、またあるときは右に、しかしたいていは左に
フランクルさんはこの時、本能的に背筋を伸ばし、しっかりと直立しました。
そして右に行くよう指示され、彼は右へと向かいます。
その時のフランクルには、それがなんなのかは理解できませんでした。ですが、夜になってその男の「人差し指」の意味を聞かされます。
この時、左に向かわされたおよそ9割の人は「今後の労働に適さない」と判断されました。
それが「最初の選別」だったんです。
「きっとなんとかなる」と楽観的だった人達も、事態を理解し始めます。
その後は
服は全て脱がされ、代わりに一枚のボロ切れを渡され
良い靴は没収され、代わりにサイズの合わないボロ靴を渡され
列を乱せば殴られ、反抗すれば殴られました。
それだけでなく、特に理由がなくとも、よく殴られました。
時に泥にまみれて、時に吹雪の厳しい極寒の中で、過酷な労働を強いられました。
たった一枚のボロ切れしか着ることが出来ないその環境の中で、彼らが身体を温めるすべは、たった一つ「身体を動かす事」のみでした。にもかかわらず、支給される食料は水っぽいスープかほんの一切れのパンでした。そしてまた、理不尽に殴られる。当然人々はやせ細っていきます。
そんな状況に収容された人々は恐怖し、その異常さを実感していましたが、収容されておよそ数日間の間に、その異常が、異常では無くなっていきます。
誰かが殴られようと、誰が病気になろうと、あるいは亡くなってしまっても、それに対し特別な感情を抱くことなく、目を逸らす事さえなくなっていったそうです。
あまりに頻繁に起きるために何も感じなくなっていったそうです。フランクルはこれを「感情の消滅」と言いました。
絶望の中で生きる意味
かなり表現を抑えたつもりですが、気持ちを落としてしまったならごめんなさい。
しかし、彼が強く生きることが出来た理由を説明するには、どうしても避けては通れない話だったんです。
その後も様々な死の局面が訪れますが、そのような困難に負けることなく、フランクルはとにかく生き続けました。
殴られ、労働を強いられ、罵られつつも必死で生きました。
そしてそんな長い長い、いつ終わるかも分からない日々を過ごした後、
1945年の4月にフランクル達は、遂に解放されます。
そんな私達には想像もつかない絶望の日々を過ごしたフランクル達が、過酷な労働をこなしつつ、「感情の消滅」を経験して、それでも「生きたい」と思えた理由はなんだったんでしょうか?
そこには明確な理由がありました。
たった一つ。その理由のためだけに、長く続く理不尽な状況に屈することなく、生きることが出来たんです。
フランクルが「生きたい」と思えた、その理由とは、
「妻への思い」です。
彼は、絶望の最中に、愛する妻を脳裏にありありと想像し、まるで語り合うかのように日々を乗り切りました。
この世にもう何も残っていなくとも、どれだけ過酷であろうとも、どれだけ理不尽であろうとも「愛する妻への思い」が、その絶望に立ち向かうだけの力になりました。
もしかしたら妻は既にこの世にいないのかもしれない。
私と同じような目にあっているかもしれない。
それを知るすべは無い。
しかし、この「愛する思い」だけは、何者にも断ち切ることの出来ない「精神的な支え」としてその時確かに、彼を保ちました。
フランクルは、自身の妻の安否を知る事はできませんでしたが、残念ながらこの時既に奥さんは亡くなられています。
ですが、「思い」は残っていたんです。フランクルを強く強く「生きたい」と思わせるだけの力がありました。
「誰かを愛する」という事は、その存在が身近になくとも、私達を強くたくましくしてくれます。
「愛していたい、大切なもの」への思いは「生きていれば」忘れる事はなく、また、生きる意味にもなります。
そしてそれはフランクルだけでなく、収容された人々も同じでした。
一人ひとりが「大切ななにかへの思い」を持つことで、生きる意味を失うことなく、日々を生きることができたんです。
収容所から解放された後のフランクルは、この「生きる意味」を様々な人に説いていきます。
収容所から解放された人々の中には「復讐や腹いせ」を考える人も少なくなかったようです。
しかし、彼はそうではありませんでした。
彼の著書は沢山ありますが、その中身は「収容所の苦しい生活を訴える」事が中心では無く、「苦しい中でも生きる意味を持つことの大切さを説いた」ものばかりです。
人のためを思い、人の為に尽くし、生きた方でした。
人生に問われている
フランクルは
「生きる事に期待をもてない。」
という人に対し、こう答えます。
「自分の人生に問いかけるのではない。むしろ、人生が自分に問いかけているのだ。」と。
私達が疑問に思っている事は、人生から投げかけられた「問い」なのだと、フランクルは言います。
私達が
「大切なものが何にもない。」「希望が持てない。」「苦しい。抜け出したい。」と心の中で思ってるとしたら
それは、人生が逆に私達に問いを投げかけているんです。
「じゃあ、これからは何を大切に生きるのかな?」
「じゃあ、君はそれをどう乗り越える?」
「その苦しみや悩みに、どう考えていて、どう行動する?」
二度と来ないこの瞬間に、たった一つを選択し、行動する。
これは時に重く、私達を押しつぶそうとしてくるかもしれません。
しかし、その重しを持ち上げ、いなす事を人生が待っているんです。
私達自身の人生がその「答え」を待っているのだと、フランクルは言います。
これはその本人がその気にならなければならないものだと。
その「答え」は人によって違うものだから、誰かに任せる事は叶わないのだと。彼は言います。
ですが、だからこそ意味があります。
自分の力で立ち上がり、自分の力で「答え」を出す。
その「答え」が生きる目的になり、私達を支えてくれる。
フランクルは彼自身の人生に対して、
「愛していたいから、生きたい。」
という答えを出したのだと感じます。
人生は私達を疲れさせるために「答え」を求めているんじゃありません。
「答え」さえあれば、どんな事も乗り越えることが出来るという事を、私達に気付いてもらうために、何らかの「不快感」という形での「しるし」を示すのは、「答え」を求めているからです。
その答えは
大切な誰かかもしれない。
大切ななにかかもしれない。
行動を起こし、態度で示し
自ら「答え」を出していく事が私達を強くします。
フランクルの著書で最も有名なものは「夜と霧」です。それ以外にも「それでも人生にイエスと言う」という本も結構有名ですが、特に「夜と霧」は収容所から解放されてわずか数か月で書いた、フランクルのありのままの言葉が綴られています。
これからも、上手くいかない事は沢山あると思いますが、
それでも私は、「人生にイエス」と言います。
今日のあなたの一日が「人生に答えを出す」一日である事を願って。
読んでいただきありがとうございます。