私達が見ている世界

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生き方

こんにちは!幸せマンです。
今回は、私達から見た世界がいかに主観的かをご紹介したいと思います。別の視点から物事を見ると、その見え方も結構違ってきたりします。ですのでまずは、太陽系に属している「とある惑星」の話からしようと思っています。

では、早速いきましょう!

とある惑星の話


太陽系に属している、「とある惑星」があります。
その惑星は大気中に充満しているガスが強い腐食性を持っていて、とても危険です。

金属を腐らせ、いずれは粉のようにしてしまい、あらゆるものを燃やす可能性のある可燃性の強いガスでもあります。
そんな可燃性と腐食性を兼ね備えたガスが充満している惑星があるんです。

勘の鋭い方はお気づきになったかと思います。
その腐食性が強いガスとは「酸素」で、
とある惑星とは、私達の暮らす「地球」です。

酸素は、私達人間が当たり前の様に吸い、また動物にとって必要不可欠である事は誰もが知っています。

ですが、この酸素と言うものは、よく燃えるがためにひとたび燃えると消化活動は必須で、
よく腐らせるので、ラップをし、冷蔵や冷凍をし、建物もコーティングしない事にはすぐ駄目になってしまいます。

歴史的に価値ある物の中には酸素に触れないよう保管されているものもあります。
そのままにしておくと、紙は黄色く変色し、朽ちていってしまうからです。

私達の目から離れ、地球から見てみるとこうなります。
「この酸素というガスは以前は無かったんです。ですが、私地球が冷め始めた事によって、地殻が出来て、深部の暑さを外に逃がすために、私は溜まらず噴火したんです。その結果、二酸化炭素が大量に放出されました。もう随分前のことです。」

地球は噴火によって二酸化炭素を地表に吐き出しました。そして、噴火が起きた当初は酸素が無かったんです。

植物の世界、細菌の世界


では、この酸素と言うガスはどうやって生まれたんでしょう?
これは植物から見るととても分かりやすいです。

植物さんいわく
「光と二酸化炭素を身体に取り入れて、私達植物は酸素を吐き出します。当時の環境は本当に良くて、私達は繁栄し放題です。このまま私達の光合成の残骸が増えていったらどうなる事かと思いましたが、なにやら「動物」という動き回るものが誕生した様で、これを利用してくれるといっています。私達がどんなに光合成しても、その残骸を動物達がまた二酸化炭素にしてくれるんです。これは願ったりかなったりですね。ただ、私達を食べるのはやめて頂きたいところでもあります。」

植物から見れば、動物は救世主であり、侵略者でもあります。

酸素は植物が作り出した、言ってみれば植物たちの呼吸の残骸なんです。
酸素は他の気体に比べ比較的重かったので、増えるにつれて地球に今まであった大気を、より軽い気体を押し上げる形で地球の表面化に蓄積していきました。大体21%くらいが大気中の酸素の割合です。

この変化に適応したのが私達人間であり動物ですが、反面、酸素の増加でそれをよしとしない、植物よりも歴史の古いものがいました。

それが細菌です。
細菌さんいわく
「俺たちは平穏に暮らしていたのに、植物とかいうやつが酸素とかっていう俺達が触れたら生きられないような猛毒を作りやがった!しかもその猛毒を動物とかいう、これまた得体の知れない奴が平気で吸っているおかしな惑星になっちまった!もうこの惑星も終りかもしれない。俺たちは一体どうすれば…ん?動物とかいうやつの身体の中なら以前のような暮らしが出来そうだ!やったぞ!」

細菌から見れば、植物は侵略者であり、動物は救世主です。

私達の当たり前は、長い地球の歴史を見返してみると、当たり前では無いのかもしれません。
私達から見れば酸素は必須の気体ですが、その他の物質や細菌からしてみれば猛毒なんです。
反面それぞれがそれぞれを助け合っているという見方もできます。

これからの私達


この話を通して、なにが言いたいのかというと
見る視点が変われば、見え方も変わるという事です。
自分からの視点だけでものを見る事は、かなり不安定で、偏りやすい思考になりかねないという事です。

地球の大きな変遷の中に立つ、人間と言う種族はあっという間に生態系の頂点に立ったがために、なまじ頭が良かったがために、人間中心で世界が回っているように勘違いしている所があります。
それどころか、その人間の中でさえも、自分の意見は間違いなくて、完璧でなくてはならないという気持ちが生まれてしまっています。

地球全体に目を向けてくださいね。地球をもっと愛してください!みたいな思想を持ってね!といっているわけではなくて、

誰かの目線に立ってみると、その見え方は少し違ってくるという気持ちを持つことは大切だという事をお伝えしたいと思いました。
人間と言う枠組みの中において、その見解があまりに「個人」に向きすぎている時が、私自身にあったなという話です。

しかしその結果、自分の意見を守りたいあまりに、自分自身の心を傷つけていました。

「自分以外は関係ない」という個人主義が、回りまわって自分自身を苦しめる形で顕現していたように感じています。
ですが、
知れば知るほどに、自分はほとんど何も知らない事に気付かされ、それがスタンダードであることにも気付きました。
人間社会だけとってみてもとんでもなく複雑なんです。知らないことの方が圧倒的にが多くて当たり前なんです。

守りたかった自分の意見は、少し肩の力を抜いて周囲を見渡してみたり、違う目線で見てみれば、そこまで固執しなくても良かったのかなと言う事が見えたりします。

私達人間は集団性の高い生き物です。一人では到底生きられないよう進化してきています。
一人で生きようとせず、皆で認め合って生きた方がより自然なんです。

違う視点から見てみると、違う意見を認める事が出来たりします。その人の意見には、自分と同じようにちゃんとした理由があるんです。認めた先に待っていたのは、自分自身の気持ちが楽になる毎日でした。

今日のあなたの一日が「誰かの目線」に立つ一日である事を願って。
読んでいただきありがとうございます!!

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